案内放送

文字数 582文字

 今では当たり前すぎるけれど、最初からすべての列車に車内放送が備えられていたわけではあるまい。
 明治の初めには車内放送どころか、客車には電灯すらなかったのだから。

 電車やキハのことは知らないが、放送装置を最初に取り付けた客車はスハ43系だったと雑誌で読んだ。
 それ以前の客車には、そんなものはなかったということ。
(車内放送装置ではなく、大声(たいせい)放送器というんだったかな?)

 ローカル私鉄の列車に乗ると、車内放送がないというのを実感することができた。
 そういう列車はたいがい単行だけれど、車掌が車内で声を出す。
「次は○○。○○駅でございますー」
 そう言いながら切符を売るのだ。

 スハ43以前の時代には、乗客への案内はどのようにしたのだろう。
 先頭車から最後尾まで、車掌が肉声で言って歩いたとは考えにくい。
 
 父の田舎、つまり父方の帰省先は山陽線、広島県内の某駅だが、ホームにも拡声器があり、列車が到着するたびに、
「○○(駅名)、○○でございます」
 とホーム中に響く派手なアナウンスをし、発車時には、
「次は××(駅名)、××」
 とそのアナウンスが変わる。居眠りしていても目が覚めそうな声だ。
 客車に拡声器がない時代も、きっと同じことをしていたのだろう。

 さらに時代がさかのぼって、駅に拡声器がなかった時代には、おそらく駅員たちがそれぞれ肉声を用いたことだろう。
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