踏切

文字数 2,102文字


「勝手踏切」

 という言葉がときどきマスコミで話題になるけれど、今回はその話ではありません。
 勝手踏切というと、

「元々道路が存在していたところへ、後から鉄道会社が勝手に線路を敷いて、しかもその場所には踏切を設けなかったので、地元住人が不便しているのだからケシカラン」

 という人がいるけれど、私も調べたわけではないが、

「本当かしらん?」

 と思ったりする。

「お前は鉄道ファンだから、鉄道会社の肩を持つのだろう」

 というのではなくて、いや、本当に何も調べてはいないのだが、それにしては、単に車窓から眺めるだけでも、

「廃止された踏切跡が沿線にいくつも目につく」

 のだ。
 もちろん場所にもよるが、一駅間に3つぐらいは見つけることができる気がする(もちろん高架化した場合なんかは別ですぜ)。
 古い踏切跡は本当に数多い。
 私が住んでいるあたりは、明治時代に山陽鉄道が建設したのだろうが、

「小さな道も無視したりせず、せっせと踏切を作った」

 のではないかと思えるほどだ。
 そういう古い時代の踏切は、もちろん遮断機どころか、警報機すらなく、事故が起こることもあっただろう。
 かといって、あぜ道みたいに細い踏切にまですべて警報器をつける予算はなかったかもしれない。
 そうなると時代が下るに従い、そういう小さな踏切は、

「地元と話し合って、なるべく廃止してしまう…」

 結果になるような気がする。
 昔の踏切は、現在よりももっと数が多く、それが廃止されるか、立体交差化されるかして、現在の数の踏切に落ち着いたのだと思う。

 お話が変わりますが、

「なぜか線路のそばには地蔵が多い」

 ということは、私も以前から気が付いていた。
 どこかの石屋さんに作ってもらったであろう、高さ数十センチのかわいらしいもの。
 それがレールと枕木のすぐ脇、場合によっては線路敷きに入り込んで置かれているのだ。
 皆さんもご覧になったことがあるかもしれない。
 相当に古び、地元の人が参拝するのか、花が供えてあったりするが、これは一体どういうことなのだろう。
 鉄道が建設される前からここに存在していた地蔵が、現代までそのままつながり、伝えられているのか。
 いや、そうであれば、地蔵たちがあまりに線路に近寄って置かれていることが説明できない。
 まさか線路を建設するときに、わざわざ地元の地蔵を縫うようにルートを選びもしないだろう。
 そのうちに、私も気づいたことがある。
 そういった多くの地蔵は、実はただ線路沿いというばかりではなく、踏切のすぐわきにあることが圧倒的に多いようなのだ。
 踏切というのは、道路と線路が交差する四つ辻のようなものであるから、この大切な四つ辻を守護し、見守るために置かれたのだろうか?
 しかしそれでは、地蔵が置かれていない踏切もたくさんあることが説明できない。
 そのうちに私は上記のように、世の踏切とは、しばしば撤去されるものであるという事実に気が付いた。
 踏切が出現するのは、もちろんその場所に鉄道が建設された時だが、その後道路が発展し、行き交う自動車の数が増えると、踏切はがぜん、渋滞の原因となる。
 朝のラッシュ時などに何十分間も続けて閉じたままの「あかずの踏切」という言葉もご存知であろう。
 となると、解決策は一つしかない。
 道路か線路、そのどちらかを持ち上げて高架にして、立体交差化を図るわけだ。
 そうすれば、渋滞など過去のものとなる。
 さらに、これまた上記のように、ごく幅の狭い路地にしかつながっていない小さな踏切の場合には、思い切って廃止ということもよく行われる。
 現代のように自動車ばかりの世の中になってしまうと、自動車の通れない路地は重要度が低下してしまうのだろう。
 これら「高架化」か「踏切の廃止」であるが、とにかく昨日までは存在していた踏切が、今日はなくなってしまうということだ。
 そんな時、踏切に隣接していた地蔵は、どうなってしまうのか。
 多くの場合、その場にそのまま残るのではあるまいか。
 宗教施設であるし、建立より何十年も過ぎて、もはや縁起や由来など誰も知らぬ時代となっても、近所の人がお参りを続けている。
 いくら鉄道会社の土地だからといって、そうそう勝手に取り壊しもできないのであろう。
 踏切が廃止されてしまっても、地蔵だけはその場にそのまま残されている事例を、私はいくつか目撃した。
 逆に言えば、線路のわきに地蔵を見つけたなら、そこにはかつて踏切があったという証拠かもしれないとまで思っている。
 そして、これら踏切地蔵の由来についてだが、もちろん根拠はない。
 私は何の証拠も持ち合わせてはいない。
 しかし思うのだ。
 これらの小さな地蔵は、みな踏切事故があった場所に立っているのだろうと。
 これらの地蔵は、事故で亡くなった方の霊を慰めるため、遺族が私費で設置したものであろう。
 そう考えるのが、最も自然ではないか。
 鉄道が日本で建設されるようになって、すでに150年。
 安全設備の進歩で最近は少なくなりつつあるが、それでもこれまでに踏切で亡くなった方は大変な数に上ろう。
 あれらの地蔵は、そのための心づくしであったのだ。

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