和田岬線
文字数 872文字
私は関西の人間だから、国鉄時代の和田岬線にはいくらか思い出がある。
走っている機関車はDD13とDE10だが、主役はなんと言っても客車たち。
オハ64は61系客車の一員で、この和田岬線で使用するために通勤客車に改造されたもの。
改造前の種車は、オハ61とオハフ61。
旧型客車とはいえ、オハ61にだっていろいろな設備があるが、それを「これでもか、これでもか」と取り去った感じ。
ではこのオハ64、いったいオハ61とはどう違うのであろうか。
・側面にドアを1個増やした。
通勤車ですから。もちろん手動。
・トイレ撤去
通勤車ですから。床下からは水タンクも撤去。
・座席少ない。
椅子は徹底的に撤去してあり、96人分がたったの15人分に。ロングシート風。
・台車がTR23になっている。
TR11よりも耐荷重が大きいからだそうな。万年超満員の路線なので。
・暖房装置
蒸気暖房はない。電暖もあるはずなく…。冬は寒いぞ。
・デッキと客室の間の仕切り壁。
完全撤去ではないが、申し訳程度。デッキと客室との間に境目なし。
・車軸発電機なし。
走行が低速すぎて、バッテリーに充電したくとも、十分に発電できないのだろう。編成から毎日1両ずつ抜き取っては鷹取貨車区に回送し、手作業で充電していたようだ。
・扇風機なし。
発電機がないんだもん。
ただ世の中の冷房化が進むにつれ、ついに乗客から、
「和田岬線の車両にもクーラーをつけてくれ」
と要望があったらしく、その割に国鉄の返答は、
「数千万円かかるからダメ」
とニベもなかったらしいが、代わりに扇風機を取り付けることになったらしい。
そのため床下にバッテリーを増やした。
充電のためにほぼ週に1度のペースで貨車区に戻るのだから、掃除が行き届き、どの車も非常にきれいで清潔だった。
オハフが2両。オハが5両の陣営だったと思うが、検査の関係かどうかで不足することがあり、そんな場合は、いつも宮原からスハフ42を借り入れていた。
この時だけ、茶色編成にブルーが1両混ざる。
このスハフ42のことを、常連の乗客たちはグリーン車とあだ名で呼んでいたそうな。