40年のむかし
文字数 448文字
当時の私は、通学の関係で阪急の定期券を持っていたので、塚口駅へ行くにあたり、迷わず阪急を選択したのだろう。
目的地は国鉄の塚口だったから、阪急塚口からは1キロばかり歩くことになる。
この日も、始発近い時間帯の外出だった。
ターゲットは尼崎港線だから。
三田からググっと大阪平野へ降りてきた福知山線も、尼崎で終点なわけではない。
実は尼崎の手前、塚口から、尼崎港へ行く支線が分岐していたが、これまたのどかな路線で、旅客列車が走るのは朝夕のみ。
でなければ、私が始発近い電車に乗って出撃してくるわけがない。
塚口のホームで待っていたのは、DD13が引くたった1両のスハフ42。
スハフはブルーの車体で、ミハの所属だったと思う。
何キロなのか忘れたが、10分程度の旅ではなかったか。
印象? 冬のことだから寒かった。
スハフには暖房なんてないんだもん。
和田岬線といい、ここといい、別府鉄道といい、関西ではDD13の引く列車に乗るのは難しいことではなかった。
ガタン、ゴトン。ブオー(エンジンの音)。