新聞電車
文字数 708文字
大阪緩行線に乗車していると、14時か15時ごろによく見かける人たちがいる。
新聞紙の分厚い束を肩に乗せている人で、大阪で印刷されたばかりの夕刊を各駅の売店へ運んでいるのだろう。
売店という呼び名も、いつの間にかキオスクと変わり、最近ではコンビニが入居していることも多い。
だが国鉄末期には、そうやって人がかついで新聞を運ぶのではなかった。
大阪駅から西へ、どこまで行っていたのかは知らないが、同じ時間帯に新聞専用列車が走っていたから。
私が知っている時代には、クモニ83の2連だった。
それ以前は、また別形式だったかもしれない。
新聞電車を103系の普通電車に併結していた時代もあると聞いたことがあるが、とにかく私が見たころには単独の2連だった。
確か所属は宮原で、なぜ2連だったのか。
2両が必要になるだけの新聞紙の積載量があったのか、あるいは古い車ゆえ、運行中にユニットカットする可能性を見越してのことだったのか、それは知らない。
塗色は湘南のことが多かったが、スカ色もいて、2両ともスカ色のことも、混色編成のこともあった。
昼下がりの列車線を、ごろんごろんと下ってゆく、今から考えれば牧歌的な光景だったわけ。
この列車の運行が、「新快速」がまだ「電車線」を走っている時代だったのか、それとも「列車線」を走るようになった後まで存続したのか、残念ながら記憶していない。
前者であれば、数少ない特急や急行に挟まれ、あとは貨物列車から逃げきればいいだけだから、クモニでも楽勝の運行だったかもしれない。
だけど後者であれば、前後を新快速(117系ではあろうが)に挟まれて走るのだから、それなりに気を使ったかもしれない。