立ち席

文字数 765文字

 中学3年の時だったが、京都から山陰線の普通列車に乗る機会があった。
 もちろん非電化の頃で、キハの3連か4連。
 先頭にいたのがキハ20で、初期のバス窓のやつ。台車がDT22に交換してあったかどうかは覚えていない。
 あの時代には非電化区間でも、特に大都会の近くはよく混んでいたので、私も座ることはできなかった。
 当然、立ち席となったのだが、立つ場所として選んだのが、このキハ20後部の運転台。

「えっ、両運車の後ろ側とはいえ、運転台に乗客が立ち入ることができるのか?」

 とお思いかもしれない。
 あの頃はできたのです。それも全く合法的に。
 運転台といっても、運転士の側には仕切りドアがあって、鍵もかかっている。
 しかし運転席の反対側(運転士が座る側を左と呼べば、運転台の右側)は解放されて、入り放題。
 というか、立ち席としては、むしろ昔は当たり前の場所でした。
 だから私は乗務員ドアに寄りかかり、風景を眺めることにした。こうなると、もう気分は車掌。
 もちろん車内放送はしないし、ドアスイッチに手も触れないが、なかなかいい気分だった。
 そういえばあの場所には車掌弁もあるが、万一にも触らないように気を使っていた。バシュッ、なんてことになったら困るから。
 車掌弁というのはブレーキの一種で、木でできた直径10センチぐらいのリンゴそっくりのボールがヒモでぶら下げられ、車体の振動に合わせて揺れている。
 これを引くと空気弁が開いて、非常ブレーキがかかるというもの。
 アガサ・クリスティーの小説を読むと、当時の客車内の天井には「コミュニケーション・コード」というものがあり、「コード」とはヒモという意味なのだが、これを引くと列車が緊急停止するようなことが書いてある。
 イギリスのように、客車がコンパートメント式の場合には必要な設備かもしれません。

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