キハ07

文字数 827文字

 本を読んでいると、大昔から感じている疑問の答えが思いがけず見つかったりする。(※)
 今はもう京都へ移転してしまったけれど、交通科学館がまだ大阪の弁天町にあったころ、展示物の一つにキハ07(キハ42000)の模型があり、サイズはOゲージ(1/45)か、もしかしたらSゲージ(1/64)だったかもしれない。
 だけど、それが塗られている塗色が奇妙でありました。
 キハ07であれば「朱/クリーム」か、旧塗装の「青/灰」であるはず。
 その模型は古い姿のように見えたから、「青/灰」がしっくりくる。
 ところが意外にも、「濃い茶色/薄い茶色(クリームに近い)」の二色塗りでありました。

「これなに? なんでこんな色?」

 そういう疑問を高校生の私は感じていたのですが、どうやらその答えが見つかったようです。
 本によると、キハ07(キハ42000)のうち、昭和10年に作られた最初の4両は、

 42002 と 42003 が名古屋の配置(稲沢かしらん?)で、

 42000 と 42001 が大ミハの配置で、

 名古屋の2両は「青/灰」塗装でしたが、大ミハの2両はなんと、

『濃褐色と黄褐色』

 であったとのこと。

「ははあ、交通科学館で見た模型はこいつだったんだ」
 
 この後キハ07は量産され、量産車の塗色としては「青/灰」が採用されました。
 ついでですが同書には、昭和30年3月15日現在の国鉄の全キハの配置表が乗っているのですが、これが泣かせます。
 この時点で京都の梅小路には10両、宮原には8両のキハが配置されていることが読み取れるのですが、その内訳が…

『どちらの区も、全部キハ17ばかり』

 キハ10も11も、16も18も、もちろんキハ15なども一台も含まれておりませぬ。
 あまりの単純さに、かえって胸がすきます。

(※)岡田誠一著 キハ07ものがたり

(2022年12月追記)
大ミハの『濃褐色と黄褐色』塗色は後にモハ52(流電)に採用され、戦後は117系に引き継がれたとのこと。
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