荷物車

文字数 1,736文字

 昭和35年、それまで客車だった『特急つばめ』が電車化されたことは、よくご存知であろう。
 だから『客車つばめ』と『電車つばめ』で双方の車両は対応しており、

スハ44  → クハ/モハ151 
マシ35  → サシ151
スロ60  → サロ151
マイテ49 → クロ151
スハニ35 →   ?

 そう。荷物車だけが、なぜか突如として姿を消してしまっているのだ。
 マイテに相当するのが、どうして「クイテ」じゃねえのかという気は私もするが、それは置いておいて、ではそもそも、スハニ35はあの荷物室でいったい何を運んでいたのか、という疑問が生じる。
 そりゃあ荷物に決まっているが、実はここに、日本の運輸史を巻き込む深い問いが潜んでいるのだとは、神ならぬ身の知るよしもない。
 スハニ35が荷物室の中で運んでいたのは、もちろん「荷物」である。
 ただ問題をややこしくするのは、「荷物」という言葉には二つの意味があることで…。

 ところで、私が子供だった頃、この世にはまだ宅急便というものは存在しなかった。
 私に言わせれば、宅急便とは突然現れて始まり、あっという間に日本中に普及したサービスである。
 では宅急便がまだなかった時代には、どうやって荷物を遠方へ送ったのかというと、「郵便小包」か?
 ところが、郵便小包には重さ制限がある。重さ25キロ以下。
 だから例えば、タンスとか、中に子供が入ることのできそうなサイズのツボとかを運ぶには、郵便小包は使えない。
 そういった荷物は、かつては国鉄が輸送していたのだ。
「客車便」「手小荷物」など、呼び方はいろいろあったようだが、ここでは小荷物と呼ぶことにしよう。
 仮に昭和40年代のある日、私が神戸市内の灘駅から広島駅まで、重さ26キロあるダンボール箱を1個、小荷物として送ろうと考えたとする。
 私はまず荷造りをし、かつぐか自動車に乗せるか、リヤカーに積むかして、それを灘駅まで持ってゆき、料金を払って受け付けてもらう。
 ところが灘駅には荷物列車は停車しないので、まず私の小荷物は、側面に「鉄道荷物」と書かれたアズキ色のトラックに乗せられる。
 このトラックは定期的に走っており、荷物列車の止まらない駅で受け付けられた小荷物は、恐らく神戸駅まで運ばれたのだろう。
 荷物列車って、三ノ宮駅には停車したかな? 元町を通過していたことだけは覚えている。
 それはともかく私の小荷物は、他の小荷物たちと一緒にマニ36に積み込まれ、EF58に引かれて山陽線を下ってゆくわけ。
 そして目的の広島駅で、私の小荷物は降ろされる。とまあ、これが小荷物のお話。

 荷物という言葉の持つもう一つの意味だが、区別のため、こちらはチッキと書くことにしよう。
 チッキとは要するに、現代で飛行機に乗る時と同じで、大きな旅行カバンやトランクなどは、乗る空港で預けてしまい、降機する空港で再び受け取るというもの。
 昔の国鉄は、優等列車については、そういうこともしていたわけ。
 だから「客車つばめ」の時代に、私が東京から乗車するとして、私の預けたトランクはスハニ35に積み込まれ、私は手ぶらでスハ44の旅を楽しみ、下車した大阪駅でまたトランクを受け取るという、こういう寸法。
 だけどそれがなぜか、「電車つばめ」になるとなくなっているから、不思議だと言っておるのです。

 スハ44系よりも前の客車には、特急用も普通列車用も区別がなかったけれど、それでも新造直後には、まず優等列車の運用についたので、だからあの古めかしいオハ31であっても、特急として走った日々があったわけ。
 そのときにチッキを乗せなくてはならないから、ちゃんとオハニ30というのが存在していたし、その後の32系客車にはスハニ31、かのオハ35系にもスハニ32と、ちゃんとチッキ輸送を意識して車両増備が行われていたではありませぬか。
 だけど想像するに、昭和30年代が近づくと、なぜかチッキの利用率が激減してしまい、国鉄は近い将来のチッキ廃止を意識したのだろう。
 もしもそうでないなら、クハニ151といったものも存在したかもしれない。
(関西国際空港行きの「はるか」281系に荷物室があったのは、先祖返りのようなものか)


(長いので続きます)

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