和田岬線

文字数 818文字


 先日ニュースで見たのだけれど、和田岬線を走っていた103系がついに引退したそうな。
 考えてみれば和田岬の103系、私は一度も乗車したことがない。
 和田岬線と言えば私のイメージはオハ64であり、それがキハ35に置き替えられた時にも乗りにはいかなかった。
 編成の半分がキクハという面白い列車だったのにね。
 それが電化されて103系の時代になっても出かけて行かなかった。
 我ながら素晴らしい意固地ぶりじゃないか。

「では103系の後、今の和田岬線は何が走っているのだろう?」

 と検索してみたがよく分からない。
 103系が消えて、もう何週間かたつだろうに、どういうわけだかネットに情報はないようだ。

 和田岬線には思い出があり、兵庫駅と和田岬駅の中間よりも少し兵庫寄りだったが、廃駅の跡があった。
「鐘紡前」駅といい、オハ64の頃にはホームがまだそのまま残っていた。(※)
 近くに鐘紡の大きな工場があったから作られた駅だが、工場の移転に伴って廃止されたのだったか。
 ところが工場がいなくなっても、鐘紡病院というのがあり、ある人の見舞いのために訪れた時、カンカンと踏切を渡ってゆくDD13けん引の旅客列車を目の前で見送ったことを覚えている。
 それがどうも不思議なのだ。
 当時まだ私は小学生だったから、当然オハ64の時代だったはずが、なぜか切妻ではなく、丸屋根客車だった記憶があるのですわさ。
 オハ35かスハ32かは知らねども、ではオハ64がやってくる前にはそういう丸屋根客者の時代だったのかというと、どうも異なり、オハ31だったらしい。
 正確には、通勤用に改造したオハ30という連中。
 オハ31の二重屋根も、デッキ部分は丸屋根と言えばそうだが、その違いに私が気付かなかっただけなのか。
 あるいはオハ61からオハ64への改造を待つ間、一時的にオハ35なりが入線したことがあったのかもしれない。

(※)カネボウのこと。現在は花王などが事業を引き継いでいる。
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