キハ53
文字数 693文字
昭和49年(1974)制作の映画に「砂の器」というのがあり、少しだけだが木次線の列車が登場する。
なんてことのない日中の普通列車だが、3連が写る。
キハ53・キハ53・キハ52
だったと思うが、あの時代にはローカル線でもまだ乗客が多かったのだね。
個人的なことだが、キハ53という車両には2回乗車したことがある。
1回目はまだ非電化だった時代の草津線で、近江鉄道にでも乗りに行った帰りだったか。
何連かのキハの中で、特に選んだのでもなく乗ったキハ53だったと思うが、車番がキハ531だったのは、へえという感じ。
よくご存知の通り、キハ53はキハ23の2エンジンバージョンで、エンジンが2個あるせいで床下が手ぜまになって、水タンクを置くことができなくなったので、代わりに床上に設置した。
キハ40とかキハ47のように水タンクを屋根上に置くということはキハ23の時代にはまだやらなかったのだな、と思ってみたが、キロ80やキハ58では平気で屋根上に乗せているわけで、それをなぜキハ53では忌避したのだろうね。
だけどおかげで、トイレの向かい側のクロスシートがなくなり、窓が一つ減ったのが、遠くから見てもわかる外観上の特徴になった。
「勾配がきついことで有名な木次線に、一度行ってみるか」
と、あるとき出かけたが、宍道のホームで迎えてくれたのはキハ52ではなく、キハ53だった(もち単行※)。
備後落合まで全線をそれに乗車したのだが、車番を見て驚いた。
キハ531だった。草津線が電化された後、こちらへ移ってきていたらしい。
(※)「もち」という言葉は、今では死語かもしれない。「もちろん」の略)