江戸のかたき
文字数 789文字
私も高校時代には、「鉄道研究会」なる同好会に所属していた。
そしてある年の夏休み明け、同じく部員のX君がやってきて、私に告げたではないですか。
なんでも夏休み中、X君は九州を旅行したのだそうで、肥薩線で乗車したのが、
「DD51がたった1両、オハユニ61をけん引する列車で、ものすごく気持ちよかった」
のだそうであります。
私はといえば、それを聞きながら、
「ふうん」
などと、なんでもない顔で答えていたが、内心は、うらやましさで死にそうでありました。
ええっと、世には
「江戸のかたきを長崎で…」
ということわざもございまして。
私があの列車の存在に気づいたのは、確か学校の春休みに旅行した時のことだったと思う。
松本駅の大糸線ホームで旧国を撮影していた。
そこへ塩尻方面から現れ、篠ノ井線へと消えていったのである。
あわてて時刻表をくってみると、ありました。
中津川発・長野行きの普通列車。
EF64がけん引する客車列車で、もちろんオハ50なんぞではなく、旧型客車。
だがその時には乗る余裕はなく、見送っただけ。
リベンジしたのはその夏のことで、松本で待ち構えて、篠ノ井線のスイッチバックを味わったが、ロコを除いてたしか6連で、うちハザは2両だけで、残りは「ユ」と「ニ」だったと思う。
車内の客もまばらで、実質的には郵便荷物列車だったのかもしれない。
さらに、時刻表を眺めてあることに気が付き、
「こりゃあいいや」
と、もちろん私はその通りにした。
篠ノ井線を走り抜けたこの列車は、長野の手前、川中島駅で信越線の上り列車とすれ違うことになっている。
時分から見て、乗り換え可能であろうと目星をつけた。
乗り換える先は高崎行きの普通で、これに乗って碓氷峠を越えることになるわけで、こっちも旧型客車でした。
もちろん、けん引はEF62。
えっ、あんまりうらやましくない? そうですか…