線路の顔
文字数 637文字
ツリカケ時代、ホームのどのあたりにモハが停車するのかは、あらかじめ見当がついた。
モハの台車が来るあたりは、線路の枕木や砂利が油で真っ黒に染まっていたから。
キハが走る路線の場合には、エンジンの来る場所の真下が真っ黒になる。
あの時代の車両は、それほどまでに油漏れが多かったのだろう。
実は私も、はっきり記憶しているとは言いがたいのだが、実は線路の砂利も現在とは違い、砕石ではなくて丸石だったろう。
砕石とは、岩石を砕いて人工的に作った石。だから尖ってごつごつしている。
丸石というのはこの場合、大きな川の河原から採取してきた石で、水流で削られて丸くなっている。
本来、鉄道線路の砂利は川砂利、つまり丸石だったようだ。
この川砂利を採集するため、本線から分岐して川原へ向け、短い採集線がいくつも、それこそ全国各地に建設されていた。
鉄道によっては、「砂利の販売」も業として行っていたらしい。
しかしその川砂利もすべて取りつくしてしまい、現在では採集が禁止されているそうな。
すると当然、線路の砂利は、人工的な砕石に変わる。
福知山線に惣川(そうかわ)という駅があって(旅客駅ではない。生瀬あたり)、この砕石専用の駅だったが、今でもあるのだろうか。
古い本を見ると、吹田第1機関区のD51が、ホキ800を引いていくのです。
「惣川の工臨」といえば、それなりに有名でありました。
吾妻線の小野上もそういう駅でしたな。
ただこちらは旅客駅で、砕石設備が付属していたんだったか。