けん引機

文字数 680文字

 これは大昔のお話。
 私の父がまだ子供だった時代で、ある日、父の父、つまり祖父に用事が生じた。
「次の日曜に汽車に乗って、隣町へ行かなくてはならない…」
 ついて行きたいと言ったのか、祖父は父を連れてゆくことにした。
 隣町というのは、いつもの「小駅B」で、

「小駅B」 ← 「小駅A」

 と一駅だが列車で旅をする。
 祖父は最初、日曜の11時の汽車に乗るつもりでいたそうだが、
(正確な時間は忘れてしまったので、まあ適当な時刻を当てはめております)
 
 ところが父が珍しく、
「11時じゃなくて、10時の汽車で行こう」
 と主張した。
 一番解せないのは、列車を一本早める理由ではなく、あの祖父がよくもそれを承知したもんだというところ。
 まあとにかく、何を思ったか祖父は承知し、二人は車上の人となり、祖父の用事はつつがなく終わったのでした。

 えっ? これだけじゃ訳が分からん? 私の父が、なぜ列車を一本早めたがったのかって?
 それが面白いところなのです。あの時代の子供らにも、それなりの情報を仕入れるルートがあったのか、あるいは鉄道の側が積極的に広報したのか。
 おそらく後者だと思われますが、
「10時の汽車は、けん引機がC55の流線型だった」
 のだそうで。

 普通、機関車というものは、一つの機関区には同一形式をまとめ、分散配置は避けるものですが、C55の流線型機だけは1両ずつ日本中にばらまいたのだそうで。
 国威発揚という意味があったのか、単なる見せびらかしだったのか。
 広島なのか糸崎なのか知りませんが、その他の機関車に交じって、C55の流線型機が1両ポツンといたのでしょう。 


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