白線
文字数 993文字
私は神戸市内で子供時代を過ごしたが、父が広島の出身で、また季節ごとの帰省を欠かさない人だったから、特に小学校の頃など、私は春夏冬と年に3回、神戸と広島の間を往復することになった。
父の帰省先は田舎の小さな町なので、当然、特急は停車しない。
山陽新幹線もまだ存在しない時代なので、在来線特急で三原まで行き、そこから普通列車に乗り換えることになる。
乗車する特急は、いつも『しおじ』だった。
しおじは恐らく『潮路』あるいは『汐路』と書くのだろう。
明治の昔には、瀬戸内海を行く汽船と山陽線は互いにライバルの関係にあったと聞いたことがあるから、そのあたりを意識したネーミングだったのかもしれない。
広島へ向かう場合、私たちはいつも神戸から乗車したが、巨大な円柱が並んで立つコンコースや、敷地が広く古めかしい食堂など、いかにも戦前から特急の終着・始発駅だったらしい雰囲気を今でも思い出す。
私たちは指定席券を持っていたが、あの時代に座席指定を手に入れるのは、それが盆や正月近くであれば本当に難しく、父はどうやって手に入れていたのだろうと思う。
今でも手元にその一枚が残っているが、昭和47年8月17日、三原駅発行。しおじ51号、8号車、4番D席とある。
特急料金は700円だが、端を切り取って子供用にはしていないので、恐らく父が使用したものだろう。
広島へ向けて神戸から乗車しても、兵庫県だってそう狭くはない。
まず岡山との県境へ達するまでに、いくばくか時間がかかる。
車外の景色を眺めたり、おしゃべりをしたりして過ごしたが、列車が兵庫県を抜け出すころ、決まって父が持ち出す話題があった。
兵庫と岡山の県境あたりは山地で、線路はくねくね曲がり、山々を縫うように走っている。
県境にあるのがトンネルで、名を船坂トンネルというのだが、長さは1100メートルほど。
入口を入る時には兵庫県だが、トンネルを出てみると岡山県にいるというわけ。
「だからトンネルの中間地点、兵庫と岡山のちょうど境目のところには、白ペンキで線が描いてあるのだ」
広島へ向かうしおじに乗車するたびに、父はこの話題を出した。
「ふうん」
それならばと愛想よく、黒々と通り過ぎてゆくトンネル内壁に私も目をこらしたが、確かに白い線が一本、縦に引かれていた。
といっても、一瞬で通り過ぎてしまう。
あの白線、今でもまだ描いてあるのかな。