電暖
文字数 713文字
「鹿児島線が交流電化された時、客車の暖房方式にはどうして電暖ではなく、蒸気暖房が選ばれたのだろう」
それを以前からずっと不思議に感じていた。
電暖の方が簡単じゃないすかね?
電暖の場合、たしかに客車を2000番台化改造する手間は余計にかかるが、九州のELは交流機なのだ。
直流ELと違って電暖用MGをわざわざ積む必要はなく、トランスから電暖用の配線を引き出してくるだけの工事ですむのに。
にもかかわらず、ELにSGを積むことを選択している。
ここで、若かりし頃に友人に尋ねた質問のことを思い出す。
当時、私も友人も高校生で、鉄研に属していた。
「東北線の黒磯駅で旧型客車のバトンタッチをED75から受けるEF57は、なぜわざわざ電暖方式に改造されたのであるか?」
その答えは、
「もしもEF57を電暖化しなければ、上り列車の場合、黒磯で電暖から蒸気暖房に切り替わる形になって、そんなことをしたら、やっと蒸気で室内が暖まり始めるころには、列車は上野に着いてしまっている」
とのこと。
さようか。
それで気が付いた。
もしも九州内を電暖化しても、そのまま関門トンネルを抜けていった先、つまり山陰線や山陽線はまだ蒸気暖房。
九州から山陰・山陽へ直通する客車列車なんて、当時は珍しくもなかっただろう。
車内が蒸気で暖まるには時間を要するということか。
おや待て。
じゃあ米原はどうやったのだろう?
(米原)…DE10…(田村)…EF70…(福井方面)
EF70:電暖
DE10:蒸気暖房
想像だがEF70の登場後には、米原・田村間の客車列車には暖房はなかったのかも。
(ED70の時代には、ED70自体に暖房装置がないので、「ヌ」を用いたそうな)