長距離鈍行

文字数 1,371文字


 こういう話題に興味をお持ちの方がおられるかどうか分からないけれど…

 一度だけ、いわゆる長距離鈍行に乗車したことがある。
 米原を10時半ごろ出発し、北陸、信越を経て、23時半ごろに新潟県の長岡に到着する。
 もちろん旧型客車で、7、8両の編成だったか。どの車両に乗車するかは、もちろん外見で決めた。未更新の茶色塗装の車で、サッシ窓などもってのほか。
 オハ35の2358。電暖車ではあるが、それはまあ仕方がない。

 最初のけん引はDE10で、すでにDD50は過去のものだったが、この時期にはまだ米原機関区に留置してあったかもしれない。
 そういえば、エンジン数が2個と1個という違いがあるのに、DD51は足が速くてDEは遅い、といった印象を持った記憶はない。ギア比の設定が上手なのだろう。
 実は一般型のキハでも、ホームからの発進が電車に比べて遅いと感じた記憶はない。ギア比の設定とエンジン全開のおかげだろうが、いざホームを離れた後のキハのまどろっこしさは、電車とは比較にならぬ。

 米原を出て、少し走ると田村に着く。列車運行上は有名な駅だが、実はホームが2本あるだけの、田んぼの真ん中の無人駅。
 ここはEF70の巣で、暑いので窓はずっと全開のまま。

 敦賀を出るとすぐに北陸トンネルに入るが、思いついて腕時計で時間を計ったら、トンネル通過に12分ほどもかかった。
 そのうちに夕方になり、帰宅ラッシュが始まる。列車も混み始めるが、もちろん大阪緩行線のような混み方はしない。
 
 夕方前には夕立があり、激しい雨が降った。ほとんどの窓は開いたままだから、車掌が閉めて歩く。
 それぐらい激しい雨で、座席にまで水しぶきがかかるほどだ。おまけに雨どいが詰まっているらしく、屋根に降った水はすべて滝のようにあふれて、車体側面を滑り落ちてゆく。
 慣性の法則に従い、列車がブレーキをかけると車体の前部からあふれ、発車時には後部が洗われる。

 外が真っ暗になる頃にはラッシュも終わり、乗客はグッと少なくなる。けん引はいつの間にかEF58だ。
 夜が更けると、さらに乗客は少なく、駅によっては、停車しても誰も下車せず、誰も乗ってこないというのも珍しくはない。

 私が乗ったオハ35は機関車にも近かった。それはホームの端だということで、発車時間が来ると、駅長が鳴らすブザーの音が、人気のない暗いホームに響く。それを確認して、機関士が汽笛を鳴らす。
 そういえば、機関車の空気笛を耳にする機会は、最近はとんと減ったね。
 長岡に着くころには、もうボロボロ。
「ああ、しんど…」

 ところで、長距離鈍行を走らせるのなら客車の方が有利であることに最近気が付いた。
 なぜって、もしも電車でやろうとしたら、始発近くはいいけれど、ずっと走ってそのうち非電化区間か交流区間(始発が交流区間なら直流区間)に入ってしまう。
 交直両用電車は値段が高いんだぞう。

 キハならキハで、長距離鈍行なんかやった日には、燃料が尽きてしまう。
(1000キロを走るキハ82時代の白鳥は、大阪から青森まで、燃料がカツカツだったそうな)

 その点客車は優等生で、途中駅で見計らってトイレの水さえ補充してやればよろしい。
 もう遺跡のようなものだが、神戸駅の線路にはまだ給水設備が残っている。といっても、水道栓とホースが線路の間にあるだけ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み