食堂車
文字数 702文字
以前にも少し書いたことですが、
「どうしてキハ58系には食堂車が存在しなかったのか」
という問題。
キハ55系に食堂車がなかったのは、まあ理解できる。
だって史上初の優等列車向けキハなんだから、ロザとハザで精いっぱい。食堂車にまでは気が回らなかっただろう。
ところで、非冷房車が当たり前だった時代でも、
「なぜ食堂車だけは冷房つきにこだわったのか」
というと、ビローなお話になりますが、当時の列車便所はみな直管式なわけで、非冷房の食堂車が夏季に窓を開けたまま走行し、その風が吹き込む車内で食事をするのはまずかろう、ということだったと想像します。
だからこそ153系においても、サハシ153は製造当初から冷房車だったわけで(クハ、モハ、サハは非冷房)。
結論を書いてしまうと、キハ58系に食堂車が存在しなかったのは、1961年当時、まだ冷房用ディーゼル発電機が存在しなかったからだろう。
もちろん新規に設計することは可能ですよ。
だけど何両作るのか知らないが、キハシ28(仮称)のためだけに、そんなものを新開発する予算は出せなかったのでは?
まさかマイテやスイテじゃあるまいし、車軸駆動式クーラーの時代でもなかったのだろう。
と、上記のように私は想像したのですな。
それで10系寝台車の製造年を調べてみたら、なんとオシ17が1956年じゃないですか。
キハ58系が製造されるよりも前です。
つまりクーラー駆動用ディーゼル発電機は、キハ58が製造される5年前にはすでに存在していたわけで。
「じゃあ、なんでキハ58系には食堂車がないのか」
というと、たぶん、
「必要がなかった」
というあたりが正解かも。しょぼん…