すっぱい木の実のラングドシャ【神】

文字数 5,845文字

 大嫌いな薬学からも、口うるさい両親からも、賑やかすぎる喧騒からも離れられて大好きな場所の道案内をするだけでお金が貰えるなんて虫の良すぎる話を聞いたエルフの少女─アンナは心も足元もルンルンで案内してくれた男性の後をついて歩いた。あぁ、これで悠々自適な生活ができると思うだけでもう嬉しくて嬉しくてまさに天にも昇る思いだ。

 つい数秒前までは。

 紹介をしてくれた男性の後をついて到着した場所は、人の気配が感じられないくらいしんと静まり返った場所にある小さな小屋だった。確かにここは自分の大好きな場所ではあるけども……まさか自分の知らないこんな場所があったことに驚いていた。
「さぁ、今日からここで働いてもらおうか」
 驚いているアンナを他所に、男性は小屋の中に入っていった。慌ててそれを追いかけたアンナが小屋の中を見て息を飲んだ。シンクはもちろん、ベッドルームや照明、食器など必要最低限の家財がずらりと揃っていて、まるでここで生活することが決まっていたかのような内装だった。男性が薄く笑みを浮かべながら、一枚の紙を取り出しテーブルの上に置いた。なんだろうと思いアンナはそこに書かれた文章を目で追っていくうちに段々と顔が青ざめていった。
「あ……あの。これって……」
「書いてある通りですが……何か問題でも?」
「い……いえ。そういうわけでは……」
 ここに来る前、男性は確かに言った。道案内をするだけでお金が貰えると。だが、それはここを運よく通りかかった人がいればの話だ。アンナも感じたように、ここは森の奥深くに位置しており人の気配が全くと言っても間違いではないくらいに静かすぎている。そんなところに好きで通りかかる人がいるのかと言われれば首を傾げてしまう。せいぜい道に迷った人が数人いればいいくらいだ。そんな数人いるかいないかの案内をして貰えるお金は果たしてどのくらいなのだろうか……いっそ、口うるさい両親のいる家にいたときの方がよかったのではないかとアンナはここにきて後悔をしていた。
「知ってる土地の案内は確かに好きだけども……好きだけども……」
 だがこうなってしまったのは、自分の無知が招いてしまったこと。さらに嫌なことから逃げてしまった結果だということに何も言えないアンナは仕方なく男性が置いた紙にサインをした。重々しくペンを置き、それと同じくらいに重い溜息を吐いたアンナは既にやる気がない状態だった。テーブルに突っ伏し何やらもごもごと言っているが聞き取ることができない。
「まぁまぁ。そう落ち込まないでくれ。人の気配がないところに連れてきたのにはもちろん、わけがあるんだ。聞いてくれるかい」
 そういい男性はアンナに優しく説明を始めた。なんでも、アンナが住んでいた森の入り口周辺は誰もが知っている場所で、案内をする意味がないというのが実情だった。それを、この周辺を知り尽くしていると噂のアンナに白羽の矢が立った。入口だけではなく、森の奥深くを自身で探索しこの森の素晴らしさを存分にアピールしてほしいというのだ。もし、そこでアンナのアピールが成功し、他にも誰かが森に興味を持って中に入ってきた暁にはご褒美としてお給料に色をつけてくれるというものだった。
「……それなら……いっか。やれるだけやってみるわ」
「君ならそう言ってくれると信じていたよ。あ、食事などは定期的に持ってくるから安心してね。そこで報告することがあれば聞くからなんでも言ってね」
「はぁい」
「それじゃあ、頑張ってね。この森はただこうあるだけでは、なんだか勿体ない気がしてね」
 そう言い、男性は扉をゆっくりと閉め出て行った。男性が出ていってからしばらく、動くことがすら面倒だと思っていたアンナだがさすがに何もしないのはまずいと思ったのか、ゆっくりと自分の置かれた状況を確認し今はどうするべきかを考えた。
「まずは……このあたりを知る必要があるわね」
 そうと決めるとアンナの行動は早かった。小屋周辺になにがあるかを把握し、そこから目印になるものを見つけたり、来てくれた人が喜びそうな場所を探したりと気持ちでは嫌だと思っていても行動はそう言っているように思えた。ある程度把握したところで一旦小屋に戻り、頭の中にある地図を今度は紙に起こしていく。簡単なものを書いていき徐々に分かりやすいイラストや文字で飾っていけばいいやと考え、最初の一枚は本当にざっくりとしたものを書き自分だけがわかるものを作成。そこから新しく通った場所を記憶し、また書き続けていけばきっとここを訪れた人が「行ってみようかな」と思えるくらいの地図くらいはできるだろう。そうすれば、森の中を案内して生活賃金を稼げば……連鎖的に上手く事が運んだ場合を想像しているときのアンナはとても嬉しそうだった。

 かれこれ数か月の時間が流れた。最初はこんなところで過ごさないといけないのかと思っていたが、今となってはそれなりに快適に過ごしているアンナがいた。今は朝食を摂り終え、森で摘んだハーブを使用したお茶を飲みほっとしていた。地図もだいぶ埋まってきて、これなら案内できるかなというレベルまで出来上がっていた。
「そろそろ本書きしようかしら」
 お茶を飲みながら新しい紙に地図を起こし始めると、それが楽しくなってきたのか走り出したペンは止まることなく、次から次へと新しい地図が完成していく。未開拓部分は「今後にご期待ください!」と書き留めた。試しに書いた地図を森の入り口付近に置いてもらうよう、食事を運んできてくれた係の人に依頼し、アンナは食後の腹ごなしに森の散策を始めた。
 外は晴れているのか、木々の間から白い筋のようなものがあちこちから差し込んでいて、まるで天使が地上に弓を射っているような幻想的な風景が広がっている。昨晩降っていた雨で潤いに満ちている森の中は歩いているだけで元気になれるような気分になれるのがアンナは大好きだ。若葉の匂いや湿った土の匂いなどが混じり、自宅にいるときとは違う香りはなんとも気分をこうも高揚させてくれるものなのだろうかと改めて思った。うんと軽く伸びをし、森の中を歩いていると、アンナの視線の先に何人かが首を右に左に動かしているのが見えた。なにかと思い、アンナは優しい声でその人たちに声をかけると、どうやら道に迷ってしまったとのことだ。そこでアンナは持ち前の明るさで出口までの道順を丁寧に案内すると、その人たちはにっこり笑いながらお礼を言った。
「今度は迷わないよう気を付けるから」
「そのときはまた案内させてくださいね」
 と冗談を言うと、また笑った人たちを見て自分も嬉しい気持ちになり心がじんわりと温かくなった。笑顔で見送り、散策を続けているとまたもやアンナの視線の先で困っていると思われる男性たちを見かけた。だが、今回のは前回出会った人たちとは系統が少し違うように見えたアンナは少しだけ警戒しながら声をかけた。
「あの~、どうかしましたか?」
「あぁん??」
 ごつい体躯というだけで近寄りたくないというのに、低い声と鋭い目つきのセットまでついてしまったらアンナの心臓は急に跳ね上がった。本当は声をかけずに素通りしたかったが、もしかしたら……もしかしたら道に迷ってるかもしれないという一縷の望みにかけてみたのだが、それは儚く消え去った。
「おう嬢ちゃん。おれらになんか用か?」
「あ……あわわわわ」
「なんだい嬢ちゃん。声をかけておきながらしどろもろになってちゃ話になんねぇぜ」
 ずずいと怖い顔が目の前に現れ、アンナはどうしていいかわからず目を回していた。それを見た男性はげらげら笑い始めた。
「ど……どどどどど……どうかしましたか? 道に迷われたのですか??」
 絞りだした声を聞いた男性は「あぁそうなんだよ」と言いながら辺りをきょろきょろとしていた。だが、アンナにはそれが嘘くさく映ったのか信用しないことにした。
「で、出口ならあちらですよ」
 アンナは腰にしまってあった杖で出口を指すと、男性たちはやれやれといった様子で肩をすくめた。
「おれらここがよくわからないんだよなぁ。そんな人間に対して方向を差されても……なぁ」
「困ってるのはわかるよなぁ。だからさぁ、出口まで案内してほしいわけよ。わかる?」
「は……はひぃ」
 恐怖のあまり声が裏返りながら返事をしたアンナ。それを聞いた男性二人はにやぁと笑うと、アンナの後ろについて歩き始めた。
(どどどどど……どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう)
 でも、ここまでやってしまって逃げるわけにもいかない。でも怖いしどうしよう。アンナの背後では何やらひそひそと話す声が聞こえるのだが、内容まではわからない。でも、なんとなくだが良いことではないことは確かで、時々物騒な言葉だけが聞こえるのだ。
(もう……こうなったら……仕方ない。思い切るしかない)
 震える足と心臓を気持ちでなんとか抑え込み、何かをしゃべろうと口を開いたとき。はっとしたアンナは後ろを振り返った。そこには一人の男性がアンナのすぐ後ろに立っていた。その禍々しい笑みとオーラにアンナは言いかけた言葉を喉に詰まらせながら腰にしまってある杖を手に取り、思い切り振りかぶった。
「やめてくだ……さいっ!!」
「もぎょお?!」
 ぱこぉんという気持ちの良い音とともに男性の意味不明な悲鳴が交じり合い、男性はその場に崩れ落ちた。何が起こったのかアンナ、それともう一人の男性。しばらくして状況を先に理解したのは男性の方で、やられた男性を見てぎりぎりと歯をすり合わせると、その大きな手でアンナを捕まえようと飛びかかってきた。
「こんのぉお!」
「いやあああ! こっちにこないでくだ……さいっ!!!」
「はぐぅぉおん!!」
 これまた心地の良い音と不気味な悲鳴が交じり合ったのち、静寂が訪れた。跳ねる心臓、暴れる呼吸、震える足。アンナは恐怖のあまり保っていた足に力が入らずその場にへたりこんでしまった。暴れる呼吸をなんとか鎮めようと何度も深呼吸をするも、中々落ち着いてくれず焦っていると背後から聞き覚えのある声が聞こえた。それに振り返ると、あの小屋を案内した男性だった。
「大丈夫だったかい。食事を持っていこうと思って行ったら君の悲鳴が聞こえて」
「……うわぁあん!! 怖かったですうぅうぅう!!」
 緊張の糸が切れてしまったアンナは男性に抱き着き、思い切り泣いた。泣いている間も足の震えは止まらず、小刻みに動いていて男性はアンナが余程の恐怖を感じていたのだと思い、アンナの頭を優しく撫で落ち着くまでずっと傍にいた。
 しばらくしてアンナは泣き止み、状況を説明すると男性は少し難しい顔をしながら口を開いた。なんでも、アンナの住んでいた村に物騒な人たちが現れたというのだ。それも何かを探しているかのような目で辺りをじろじろと見ていたんだとか。そして、村の近くに鬱蒼とした森を見つけそこで何をしようとしていたかまではわからないが……きっとよからぬことを企んでいるのではないかと村の人たちは心配していたそうだ。そして、男性が食事を運ぶ当番であったため、アンナのいる小屋に向かっているときにアンナの悲鳴が聞こえて確認すると、村の人たちが話していた人と特徴が似ている人物だったというわけだ。
「……つまり、わたしはこの人たちに悪さされそうになったということですか?」
「そういうことになるね。あともう少し遅れていたら……」
「そ……そんなぁ……」
「でも、君がそんなに強いだなんて思ってなかったよ」
「あ……その……」
「まぁ、そのおかげで君に被害がなかったからよかったじゃない。こいつらはぼくが引き取るから、君は小屋でゆっくり休んで」
「あ……は、はい」
 アンナは男性に言われるまま小屋に戻っていった。それを見送った男性は、気絶している男性二人をまるで氷のような冷たい目で見下ろしていた。
「君たちには重い罰を与えないとね。とびっきりの……ね」
 男性は気絶している男性二人をずるずると引きずり、然る場所へと送り届けた。


 その後、アンナは新規開拓をする時間もなく森を訪れた人を案内する日々を過ごしていた。美しい場所やとっておきの場所、晴れた日や天気の悪い日でも楽しめる場所を全力で案内した。案内が終わり、帰る人の顔はみんな満ち足りたような顔の人ばかりでアンナもアンナを小屋に案内した男性も嬉しそうだった。
 日も暮れ、最後の案内を終えたアンナは簡単に日誌を書き今日の務めが終わったことをようやく実感した。ふうと小さく息を吐き、本棚に日誌を戻すと扉を叩く音が聞こえた。開けるとそこには満面の笑顔の男性が立っていた。
「今日は色々お疲れさまでした」
「いえいえ。忙しいというのもありましたけど、やっぱり楽しいが勝りましたね。えへへ」
「それはよかった。ところで……」
 男性はそういうと、懐から大きな革袋をどんとテーブルの上に置いた。それは金貨が詰まった袋だった。それも三つ。
「あ……あの。これは?」
「これはね、先日君が杖で叩いた男がいたでしょ? あれの報酬だよ」
「え?」
「あれは君が勇気を持って戦ったんだ。君が受け取るのが筋だろう」
「で、でも。わたしは……」
「いや、こればっかりは譲れないね。君は持っててくれるとぼくも嬉しいんだ」
 今まで見せたことのない男性の表情に戸惑いながらも、アンナは革袋を受け取った。
「ああ、それとね。君が森を案内していて怪しいなと思ったら、君の判断でやっつけていいから」
「え?? ええ???」
「君の判断力は、きっとぼくより優れているからね。任せられるよ。その後の後始末がぼくがきちんとするから安心して杖で叩いちゃっていいよ」
「い、嫌ですよ。わたしだって好きで杖で叩いてる訳じゃないんですから」
「わかってるよ。でも、君の身にもしものことがあったら、森の案内を楽しみにしている人が悲しむだろ?」
「う……ううう」
「それとも、君は森の案内を辞めたいのかい?」
「そ……そんな聞き方ずるいです……。森の案内は続けたいです。この素敵な場所を残していきたいですし、もっともっと色々な人に森の素晴らしさを知ってもらいたいです」
「じゃあ、杖で叩くこともオッケーってことで」
「うう……なるべくそうならないよう祈りたいです」
 森の案内と森の警備両方を任されたアンナの顔は困っているように見えて、どこか嬉しそうに見えたのはきっと気のせいではない。
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