ピンクローズのフランボワーズ【竜】

文字数 3,744文字

 アイリアは困っていた。どうしたらいいものなのかと。どうしたら込み上げてくる怒りを抑え込むことができるのだろうと。怒りが頂点に達してしまったら……きっと周りに迷惑をかけるだけでは済まないかもしれない。でも、どうにかしないといけない。焦るばかりで中々良いアイデアが浮かばずにいると、急に足元が空を切りそのままバランスを崩し空が遠くなっていった。
「あ……わたし……」
 段々と空が遠くなっていくのと同時に意識も遠のいていき、最後に見たのは青い空から黒い世界に代わる瞬間だった。

「……はぁ……はぁ……っく」
 足元を踏み外した先は巨大な滝つぼだった。命に別状はないが、全身がずぶ濡れになってしまった。足も特に異常は見当たらなかったのが不幸中の幸いだった。アイリアは着飾ったドレスにしみ込んだ水を絞り出しながら空を仰いだ。
「はぁ……怒りもどこかへいってしまったわ」
 貴族生まれのアイリア。気品溢れるドレスやヘッドドレスはもちろん、宝石がついたヒールなどが所狭しとクローゼットにあり、好きなだけオシャレを楽しむことができていた時があった。少し吊り上がった目元も艶やかな唇も、ドレスと組み合わさればアイリアの美しさをより一層引き立ててくれる。
 そんな何不自由のない生活を送っていると、アイリアは「それが当然だ」と思うようになっていた。ひとつ着飾れば誰もしもが美しいというのが

。ワルツを踊れば歓声が起こるのが

と思っていたのだが、とある日にそれがなくなってしまった。自分を称賛してくれる人や話を聞いてくれる人がいなくなってしまい、アイリアはすっかり不機嫌になり屋敷を飛び出した。元々怒りっぽい気質があった為、屋敷の住人たちも少し困っていたということには気が付いておらず、アイリアはわがままな性格へとなっていった。
 怒りに任せて飛び出した先に、小さな祠を見つけたアイリア。その祠は所々傷んでおり、当たる箇所によってはすぐにばらばらになってしまいそうに傷んでいた。これは憂さ晴らしに丁度いい大きさだと思ったのか、口の端をにいと持ちあげて笑うと持っていたパラソルで壊そうとした。大きく踏み出した右足が祠までもう少しというところで、突然白い光に包まれアイリアは小さな悲鳴を上げた。目を開けてられないくらい強烈な光の中、アイリアは自分の意識の中に何かが流れ込んでくるような感覚に違和感を覚えた。
「なっ……なんなの??」
 目の前が白い闇で覆われているのにも関わらず、アイリアは自分の中に蠢く違和感に対して怒りをぶつけ始めた。しかし、その怒りも空しくそこにはアイリアの怒声しかなかった。やがて目も開けられるようになると、目の前にはアイリアと同じ髪色をした竜がいた。その竜は猛々しい目でアイリアを睨んでおり、今にも口から炎を吐きそうだった。
「な……なんですのあなた。わたしがこの屋敷の令嬢─アイリアだと知ってますの?」
「……オマエハハンセイスルヒツヨウガアル」
「何を言ってますの?」
「ジブンジシンノオコナイヲミツメナオスガヨイ」
「ちょっ、ちょっとあなた! いい加減になさい!」
 アイリアの異議を無視し、アイリアの目の前にいる竜はかっと目を見開くとアイリアの胸元に黒いバラの刻印が刻まれた。刻印が刻まれたアイリアは苦痛に顔を歪ませるも、それでも竜をぎっと睨み続けていた。
「オマエガオコルタビ、ソノノロイハオマエノイシキヲノミコンデイクダロウ」
「……え」
「イシキガカンゼンニノマレタオマエハ、オマエデアッテオマエデナイ。ソウナリタクナイノデアレバ、ヒビソウオウノセイカツオヲオクルベシ」
「ど……どういう意味ですの……?! ちょっと! お待ちなさい!!」
 手を伸ばし竜に待つように言うも、聞かずに竜は消えていった。竜が消えてしばらくして、白い闇もほろほろとほつれていき、アイリアの意識もゆっくりと遠のいていった。

 目が覚めたアイリアはまず自分に起きた異変を確認した。あれは夢だと思っていたのだが、自分の胸に刻まれていたバラを見た瞬間、アイリアは夢ではないと確信した。

 ─怒れば意識はどんどん飲まれていき、自分が自分ではなくなる。

 竜が言っていたことを思い出したアイリアは怒りよりも、絶望に伏していた。どうしたらいいのか、どうやったらこの呪いを解くことができるのか。でもこれは、自分自身が行った罪だと思い自力で呪いを解く方法を見つけ出さねばならない。そうなると、いつまでも屋敷に籠っていてはだめだという結論になり、必要最低限の荷物をまとめ誰にも何も言わずに屋敷を出て行った。それからは怒りを制御しながら呪いを解く方法を探す旅の始まりとなった。


 旅が始まってどれ位経っただろうか。新しいドレスを新調しようとした町で、アイリアは気になる看板を見つけた。それは「花嫁衣裳で行う舞台の役者オーディション」というものだった。花嫁衣裳というのが気になったアイリアは、仕立て屋に行く前に覗くくらいならという軽い気持ちで会場へと向かった。会場入り口で受付を済ませ、アイリアが中へ入るとそこはもう結婚式場と見間違えるほどの豪華な教会だった。バラをモチーフにしたリースや四葉のタペストリーなどが飾られており、アイリアの鼓動は少しずつ早まっていった。どんどんと奥へ進むと、試着室と書かれた部屋にたどり着きアイリアは恐る恐るドアをノックした。すると奥から「どうぞ」という落ち着いた男性の声が聞こえた。どきどきしながら扉を開けると、そこには恭しく頭を下げている男性がいた。その男性も竜なのか、頭には鋭い角を生やしていた。
「お待ちしておりました。さっそくではありますが、こちらへどうぞ」
 艶のある黒いタキシードを着こなした男性に誘導されるがまま、アイリアは進んでいくと豪華な赤いソファがあった。ソファの周りには白や赤、ピンク色のバラが飾られており見た目もとても華やかなものだった。
「申し遅れました。私はこういうものです」
 男性は懐から名刺を取り出し、アイリアに手渡した。そこには「ドレス仕立て屋─ミシェイリアス」と書かれていた。男性でドレスを仕立てるとは珍しいと思っていると、ミシェイリアスはアイリアの前に立ち、ゆっくりと上から下へと視線を落としていった。やがて準備していた素材を手に取りまるで機械のように寸分狂わずに作業を始めるとあっという間に一着のドレスを仕立てた。ものの数十分もかかっていないのに、完璧に仕上げられたドレスを見たアイリアは思わず言葉を失った。
「大変お待たせいたしました。こちら、アイリア様の為に仕立てたドレスでございます」
 ミシェイリアスがきれいに折りたたまれたドレスをアイリアに手渡すと、奥の試着室へと促されそのままの流れ着ることになった。まさか目の前で仕立てられたドレスをすぐに着るなんて思わなかったアイリアはただ言葉が出ないまま、ミシェイリアスの言われるがままに試着を進めていき試着室から出た。
「どう……かしら」
「とても華やかでございます。アイリア様」
 ミシェイリアスが手を差し出すと、アイリアはその手を取り先ほどの豪華なソファへと案内された。ソファに腰をかけたアイリアは思い思いのポーズをとっていると、どこからともなく一般のゲストが中へと入ってきていた。そんなこととは知らずにアイリアは自分の世界でポーズをとっているとゲストの内一人が「うわぁ……素敵」と声を漏らした。その声にはっとしたアイリアは恥ずかしくなりソファの上で縮こまっていると、ゲストは「す、すみません」と謝り何度も頭を下げた。
「べ、別にわたしの花嫁衣裳なんか見ても面白くないでしょ」
 冷たく言うアイリアだったが、それに負けないゲストの強い言葉がアイリアを打った。
「そんなことありません!! 華麗に着こなすあなたが……素敵です」
 気迫に押されながらも、悪い気がしなかったアイリアはとりあえずそのゲストの言うポーズを取っていた。そのポーズひとつひとつがアイリアの優雅さを際立たせるものばかりで、ついつい楽しくなってきたアイリアは何気なくアームレストに頬杖をつくようなポーズをとると、ゲストはただアイリアを見て固まってしまった。
「ど、どうしたのよ」
 アイリアの問いかけにしばらく何も言わなかったゲストは、突然はっとし首を横に振った。そして、固まっていた理由を恥ずかしそうに話した。
「いや、その。ひとつひとつがとっても美してくて……見惚れていました」
 久方ぶりに聞いた「美しい」という言葉に、アイリアはふと自分のドレス姿を見直した。豊かな深紅のドレスドレープの上に柔らかな桃色のスカート、そして腰元にはドレスドレープと同じ色のバラの飾りをつけている。
「これが……花嫁姿」
 ゲストには聞こえない位の小さな声でそう呟くと、アイリアの目にはうっすらと涙が溢れていた。袖でそれを拭い、何度もお礼を言われたアイリアは柔らかく手を振りゲストを見送った。誰もいなくなった部屋の中で、アイリアは胸に住まう呪いとは別の魔物を抑えながらまた呟いた。
「美しい花嫁……。例えひとときの夢であっても、嬉しいものね」
 その声は喜びなのか悲しさなのかは、呟いた本人─アイリアにしかわからなかった。
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