至福の一口♡エンジェルフロマージュ【神】

文字数 4,279文字

 私はラサス。天界に所属する天使です。天使といっても幸せを分け与えたり、恋仲へと発展させるものではなく、私の場合は新人教育……と言ったほうがわかりやすいでしょうか。まだ天使になって間もない子たちをお世話するのが、私の役目です。天使についての教えや心構え、立ち振る舞いなどを教えて、一人前の天使に育てるのが主な仕事内容です。
 年に一度、私と同じ役目を持った天使たちが教会に集まりお祈りを捧げます。お祈りを捧げたあと、シスターから天使になりたての子たちを預かると皆深くお辞儀をして教会を後にしました。私が担当する子の名前は「トゥラン」。眩しい春色のような髪にふわふわの羽、くりくりした瞳に映るものすべてが珍しいのか、あちこち首を動かしては「あー」や「あうー」と言い、指をさしていました。私はその姿がいたく愛おしく映り、自室に戻るまで頬が緩みっぱなしでした。
 トゥランはとにかく好奇心が旺盛で、見るものはもちろん触れるものや聞こえるもの何にでも反応し、嬉しそうに笑っています。見る度に笑い、触れる度にはしゃぎ、聞こえる度に体を動かしたりととにかく楽しそうでした。いつもより時間をかけてあちこち見て歩いてどのくらいが経ったでしょうか。自室に到着する頃にははしゃぎすぎたのか、すーすーと寝息をたてて眠っていました。私はトゥランの背中を優しくぽんぽんと叩きながら更なる安眠への補助をしながら、ゆっくりと自室の中へと入りました。

 トゥランが目覚めてからしばらく。すっかり元気になったトゥランはふわふわした羽を使って空を飛ぼうと練習をしていました。だけど、うまく羽の動かすことができずに少し浮いては着地、少し浮いてはを繰り返していました。やがてうまくできないことに苛立ちを覚えたのか、トゥランの瞳は徐々に潤み、今にも泣きだしそうな顔になりました。私は急いでトゥランを抱きかかえ、背中をぽんぽんと叩き「そんなに焦らなくていいのよ。少しずつ……少しずつ……ね」と囁くと、さっきまでの元気が嘘のように抜け、また静かな寝息へと変わりました。なんでも挑戦するその姿はとても嬉しい反面、ほんの少しです胸のあたりが痛むのは私だけなのでしょうか……。

 あれから数か月の月日が流れ、トゥランもすっかり大きくなり言葉を発するようになりました。私との言葉のやりとりはもちろん、他の天使たちへの挨拶も自ら進んでできるとっても良い子になりました。しかし、良いことばかりではなく、大きくなってからトゥランにちょっとした変化がみられるようになりました。
 私がトゥランにお勉強をすすめると、苦い顔をして首を横に振るようになったのです。でも、ここでしっかりとお勉強をしておかないと後々困ることになりますと説得をしてみても、首を横に振り「おべんきょー、いやー」と言い断固として受け付けてくれません。これには困ってしまい、私は嫌がることを無理にすすめるのも……という気持ちになってしまい、これ以上お勉強をすすめることはしませんでした。
 しかし、そういつまでもお勉強を嫌がっているからといってそのままにはできません。私は今日こそはと思い、トゥランにお勉強をしてもらうよう説得の準備を始めました。準備が整うころ、私の部屋の扉を小さく叩く音が聞こえたので私は部屋へと迎え入れました。この時のトゥランの顔はにこにことしていましたが、私の机の上にあるものを見た途端にその表情は曇っていきました。
 もう既にお勉強をしたくないという気持ちでいっぱいのトゥランに、私はお勉強をしましょうと言うと「いやー」と首を振りました。しかし、今日は引くわけにはいきません。今日こそは少しでもお勉強をしていただかないと……という気持ちをゆっくり消化しつつ、トゥランに優しく説得を試みました。
「お勉強は嫌ですか?」
「いやー」
「どういうところが嫌ですか?」
「うーんと……おもしろくない」
「面白くない……そうね。確かにこの本に書かれている内容は私でもちょっと面白くないと思うわ」
「だから、おべんきょー、いやー」
「でもね、トゥラン。今、ここでちょっとだけ面白くない時間を過ごすか、それともこのままずっとお勉強から逃げるか……どちらがいいですか?」
「?」
「私も小さなときはお勉強が苦手でした。けれど、今こうしてトゥランとお話できるのは、苦手なお勉強をちょっとずつこなしてきたからなのですよ」
「んー……トゥラン、わからない」
「トゥラン。ほんの少しでいいのです。お勉強、しませんか?」
 この一言に、トゥランは大きな声で泣き出してしまいました。最初はお勉強が嫌だからだと思っていましたけど……そうではなく、トゥランは本当にどうしていいかわからない状態に陥ってしまったようなのです。
「あぁぁあ わかんないよ トゥラン わからないよ…… わぁああぁ!!」
「あぁ。トゥラン。ごめんなさい。あなたを悲しませるつもりじゃ……」
「らさす きらい!! むずかしいことばっかり!! わぁあああ!!」
「あっ! トゥラン!!」
 私が止めるのを遮り、トゥランは私の部屋を飛び出して行ってしまいました。廊下に木霊するトゥランの泣き声が私の胸をきつく……きつく縛っていくのがわかりました。
「ごめんなさい……トゥラン……ごめんな……い……」
 私は追いかけることができず、その場にうずくまってしまいました。

「いったい何事ですか?」
 トゥランの泣き声が聞こえなくなってしばらく、私の部屋に聞こえた優しくも焦りに満ちた声に、私ははっとしてその声のする方を向きました。そこには……。
「し……シスター?」
「そんなに泣き腫らして……説明してくれるわね」
「はい……実は……」
 まだ腫れぼったい目はそのままに、私はシスターにありのままをお話しました。シスターは時々相槌を打ってくれて、私の話を真剣に聞いてくださいました。
「……というわけなんです」
 話し終えると、シスターは深いため息とともにどうしようかと真剣に悩んでいました。私もあそこまで嫌がってしまっているトゥランをどうしたらいいかわからなかったので……シスターにどうしたら良いか尋ねてみました。
「シスター。私は……間違っていたのでしょうか……あの子に無理やりお勉強をさせようと……」
「……半分正解で半分は不正解ね。あなたの行いは、将来あの子の未来のために必要なものです。しかし、あなたはあの子の答えを急かしすぎてしまった……それであの子はどうしたら良いかわからなくなってしまった……という風に思いますけど」
「答えを急ぎすぎてしまった……から……」
「確かにあの子はとっても元気で、ほかの子とも遊んでくれます。それはあの子のとっても良いところです。そこに、お勉強ができることでもっと素敵な子になるとは……思いませんか?」
「……っ!!」
 シスターのその一言は、私に衝撃を与えてくれました。そうか……そういう風に考えればよかったんだ……居ても立っても居られなくなった私はすぐに部屋を出て、トゥランが行きそうな場所へと向かって走りました。

「トゥラン! トゥラン! どこにいるの? いたら返事して! トゥラン!!」
 神々の庭園に響く私の声は、トゥランに届いているかはわからない。でも、ここであの子を見つけないときっと後悔する……私は声の限りあの子の名前を呼びました。すると、庭園の隅の方でがさがさという音が聞こえました。茂みからはみ出しているあのふわふわの羽は……まさか。
「トゥラン……? そこにいるの?」
 名前を呼ばれたその羽はびくりと動き、ゆっくりと羽ばたいた。そして茂みの中から現れたのはさっきの私と同じ目をしたトゥランがいました。
「トゥラン……!! よかった……無事だったのね……はぁ……よかった……」
「らさす……あたしをさがしていたの?」
「当たり前でしょ! あなたを悲しませてしまったのは私だもの。あなたに謝りたくて」
「そんな……らさすに……ひどいこといったのに……あたし……」
「もうそんなことはどうでもいいの。あなたがこうして無事でいることが、なにより嬉しいんだから」
「らさす……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「いいのよ。謝るのは私。あなたに強く迫ってしまってごめんなさい」
「ううん……ううん……らさす……ぁあああん」
「もう……泣かないの。もう大丈夫だからね? ほら、よしよし」
「うわぁん……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 落ち着きを取り戻したトゥランは、庭園から見える霧雲を眺めていた。私もトゥランと同じものを見ようと視線を落とすと、トゥランはちょっとくすぐったそうにしながら「あれをみていたの」と指を指して教えてくれた。やがて訪れる夜の前のオレンジ色に照らされながら、私はトゥランの髪を優しく撫でながら口を開いた。
「私ね。トゥランは面倒見がよくって、絶対に他の子たちを一人にしないとってもいい子だなって思ってる」
「あたし、みんなのことだいすき!」
「そう! 私も大好き! それでね、大好きなみんなともっと仲良くするためには……どうしたらいいかな?」
「うーん……うーん」
「そのためには、トゥランのちょっとしたことで良くなると私は思うだけどな?」
「おべ……んきょう?」
「うん。でも、最初から全部っていうわけじゃないの。本当にちょっとずつの積み重ねで、今日よりも明日、明日よりも明後日。他の子たちともっと仲良くなれる」
「うー……」
「心配しないで。私も一緒よ。だから、私と一緒にもっとみんなと仲良くなるお勉強をしましょ」
「みんなと……もっとあそべる??」
「うん! 他の子の気持ちを理解することで、もっと仲良くなれるわ」
「もっと……あそべるなら……あたし、おべんきょー、がんばる!!」
「トゥラン……!! ありがとう。明日からちょっとずつお勉強していきましょ」
「……うん!」
 私はオレンジ色に染まるトゥランをひしと抱きしめました。トゥランも同じ時に私に抱き着き、えへへと笑っていました。ごめんなさい、トゥラン。あなたの気持ちを理解しないで……私はあなたの模範となれているでしょうか……。この答えはトゥランはもう少し大人になったら聞いてみようかしら……それまでは、あなたの模範になれるよう、私もお勉強をしていくから……ね。あなたはきっと、みんなを幸せにできる天使になれるって信じているから。
 ふと誰かの気配を感じて顔をあげると……そこには誰もいなかった……けど、廊下を歩いているあの人の顔は少しだけ笑っているように見えたのは……気のせいでしょうか??
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