香り付き消しゴム風ソフトキャンディ【魔】

文字数 5,221文字

「ふむ……今日の紅茶も一段と香りがいいね。ラデル君」
「お褒めに預かり、光栄です。ガエタノ様」
 ラデルと呼ばれた悪魔と、ガエタノと呼ばれた吸血鬼。悪魔と吸血鬼という変わった組み合わせかと思うかもしれないが、ここは魔族が住まう世界。人間が住まう地上界と比較をすればおかしいかもしれないかもしれないが……。
「ふむ……。今日はダージリンに何かを加えたのかね。柑橘の爽やかな香りがなんとも心地いい」
「さすがでございます。本日はオレンジの果汁を加えてみました。クッキーに合うようにしてみたのですが、いかがでしょう」
「相変わらず、ラデル君の作るお茶やお菓子どれも最高に美味しい。少し嫉妬してしまう程だ」
 ガエタノと呼ばれた吸血鬼は、琥珀色に輝く紅茶から漂う香りを楽しみながら一口含んだ。紅茶の持つ爽やかな風味に加えオレンジの瑞々しさがうまく調和し、気分まで晴れ渡るようなそんな飲み心地だった。あまりの心地よさに思わず目を薄めるも、その目は深紅色に染まっていた。そして彼の体は吸血鬼とはいえないくらいに鍛え抜かれており、ディープグレープ色のタキシードの上からでもわかる程、筋肉が隆起していた。髭もきれいに整えてあり、吸血鬼でありながらどこか気品漂う男爵色(ダンディズム)を感じる。
 そんなガエタノに新しい紅茶を注いでいるのは、表面は濃紺、完熟したブドウで造った赤ワインのような裏地のタキシードを着こなした悪魔─ラデル。頭から生える二本の角に加え、口元から少す覗いている小さな犬歯のようなもの、そして冥界の炎のような瞳が印象的である。こう見えてラデルは戦うことが苦手である。ただ、見た目がこうなので初めて見た冒険者などからは何度も剣を向けられたこともあった。その度に落ち着いて貰おうと紅茶を振る舞うのだが、それも逆効果となり満足に話し合うことができないでいた。
「誤解を解くように努めれば済むことだ……」
 紅茶を淹れているとき、ほんの僅かに弱音が零れてしまった。それはティーポットの注ぎ口から僅かに垂れる紅茶のようにほんの僅かな一滴。辛くないといえば嘘になる。けれど、いつかきちんと話し合えて分かり合える人が訪れることをラデルは信じている。
「そういえばラデル君。君のこのお茶の淹れ方、だれかに教えたいとは思わないかね」
「教える……ですか?」
「うむ。ミハイ君だけでなくて、もっとこう……色んな人にというか」
「ふむ……」
 ミハイとは、ガエタノが住んでいる屋敷の使用人見習いのことである。最近、屋敷にはいってきたばかりとはいえ、最初から色々な仕事をこなしている。その仕事ぶりにラデルもガエタノも驚いていた。
「その間、ミハイ君には研修がてらこの屋敷のことすべてを任せて、君は

と同じ人間たちにお茶の素晴らしさを広めるというのはどうだい」
「わたしのお茶……ですか」
「吾輩はきっといい収穫があると思うがね。ミハイ君には、吾輩から言っておくから安心したまえ」
 ガエタノはそう言い、胸ポケットから一枚の紙片を取り出しラデルに手渡した。そこには職員募集と書かれており種族などは一切関係なしとの記載まであった。ラデルは少し悩んだのち、挑戦してみることにした。お茶のことはもちろんだが、こんな姿の自分を少しでも分かってもらえるよう努めてみますと言い、ラデルは受け取った紙片にさらさらとサインをし書かれている場所へ向かった。

「ふむ。ここが……人間の住む世界なのですね」
 魔界から外の世界で出たことがなかったラデルは、燦々と降り注ぐ太陽の下を日傘を差しながら歩いていた。運よく道には人通りは少なく、難なく校門を通過することができた。そして玄関にある受付のガラス戸をこつこつと叩いた。しばらくして作業服を着た男性が顔を出し、受付に顔を出した。
「こんにちは。面会か何かですか?」
 男性はラデルを怖がることなく自然に尋ねた。その事に少し驚きながら、ラデルは胸ポケットからガエタノがくれた紙片を取り出し手渡した。受け取った男性は「ああ」と言いながらいくつかの書類を出し、書いて貰いたい箇所に丸をつけた。
「この箇所に記入をしたら、また教えてくださいね。準備しますので」
 温かい笑顔と共に男性は一旦奥へと引っ込んでしまった。まだ抜けない衝撃を残したまま、ラデルは必要書類に記入をしていく。最後に漏れがないかを確認してから、ラデルは再度ガラス戸をこつこつと叩いた。すると、数枚のファイルを持ってやってきた。
「いやぁ、遅くなって申し訳ないです。では、書類を預かりますね。……ふんふん。漏れはないようですね。では、このファイルを持って職員室へ向かってください。遅くなりましたが、ようこそオセロニア学園へ」
「ありがとうございます」
 ラデルが抱いていた人間界のイメージにひびが入っていた。冒険者は誰しもが自分の姿を見て怖がっていたのに、この世界の人は驚くどころかとても親切にしてくれる。これはラデルが持っている人間のイメージが壊れるのにはそう時間はかからないのかもしれない。
「……これはわたしの勝手な思い込みということにもなるのでしょうか」
 職員室に向かう間、ラデルは自分に問うてみた。人間は誰もが自分を怖がるという式があてはまらないということは、きっとそういうことになるのだろう。となれば、自分の姿を見て怖がっていたのはほんの一部の人間だけだということになるのだろうか。考え事をしている間に職員室へ辿り着いたラデルは、一呼吸を置き、職員室の扉を軽く叩いた。すると中から「どうぞ~」という声があり、扉をゆっくり開けた。正直、このときのラデルは普段感じられない緊張感に包まれていた。さっきは大丈夫だったけど、今回はどうだろうと少しどきどきしていた。
 だが、そんな心配はすぐに打ち壊されることとなる。職員室に入るや否や、大きな拍手で迎えてくれたのだ。中にはクラッカーまで使ってくれる職員もいた。
「あ……あの……」
「ようこそ~。お待ちしてました。ささ、ラデル先生の席はこちらです」
「ラデル先生、身長高いですね。どのくらいあるのですか?」
「今日からよろしくお願いしますね」
 ラデルが口ごもっている間、色々な職員からの質問が飛び交っていた。それに答えようとするもさっきよりも大きな衝撃がそれをさせてくれなかった。この人たちは自分が怖くないのだろうかと思っていると、一人の職員がにこっと笑い口を開いた。
「先生。ここは

はないんですよ。だから、安心してください」

  パキィ

 ラデルの心の中で何かが音をたてて割れたような気がした。それは今まで自分が抱いていた「自分を恐れるのではないか」という思いだった。それが、人間界に来てまだ間もなく、ひびは徐々に広がり粉々に打ち砕かれたのだ。ほっとしたのか、ラデルは目元を抑えながら蹲ってしまった。
「ちょ、ちょっとラデル先生。大丈夫ですか?」
「……ええ。大丈夫です。少しめまいがしただけです。ご心配おかけしました」
 すぐに立ち上がり、ラデルは改めて職員に挨拶をした。そしてその後すぐに部活動へと向かうことになった。向かう先は「茶道部」。これはラデルはさっき男性から受け取った書類に書いた「希望する部活動の顧問はありますか」という質問に書いたのだ。自分のお茶の淹れ方が誰かのティータイムを豊かにできるのなら……という思いを込めて記入したのだ。職員の一人に連れられて歩くこと数分、趣のある異国の扉の横に「茶道部」と書かれた札を確認。そして足元にはこれまた趣のある赤い絨毯が敷かれていて、職員に「ここで靴は脱いでくださいね」と言われそれに倣った。ふわふわとした踏み心地は今までに感じたことのない浮遊感を感じていた。茶色い枠と白い紙でできた扉を横に開けると、中には既に何人かの部員が姿勢正しく座って待っていた。ラデルが入ると、みんな揃って頭を下げて「よろしくお願いします」と挨拶をした。男性女性、はたまた自分と容姿が似た部員もいてラデルはここでも少し胸を撫でおろした。
「ええ……本日から茶道部の顧問を務めますラデルと申します。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「では、ラデル先生。あとはお願いしますね」
 付き添いをしてくれた職員はそういうと、茶道部を後にした。残されたラデルと部員たちは簡単に自己紹介をしたのち、ラデルは見慣れない道具の手ほどきを部員から受けていた。使い方を理解したラデルは、さっそくそれらを用いりお茶を淹れてみることにした。
 だが、ラデルが淹れようとしているのは茶は茶でも紅茶だった。ラデルは教えてもらったことを思い出しながら丁寧に紅茶を淹れていく。そして部員たちはまさか紅茶を淹れるとは思わなかったらしく、その場に相応しくない声をあげてしまった。
「え、まさかそれを使って淹れるおつもりですか??」
「ええ。折角なので挑戦してみようと思いまして」
「むう……茶道部の道具を使って紅茶か……少し気になりますわ」
「あ、ぼくも気になります。どんな風になるんだろう。なんだかわくわくしますね」
 顔を強張らせる部員もいたが、殆どの部員は肯定的に捉えてくれたことにまずは安堵し紅茶を淹れ始めた。誰でも飲みやすい茶葉を選び、丁寧に淹れていくと部員たちが普段口にしている茶とはまた違った香りが部室に舞い、みんな口を揃えて「おお」と驚いていた。
「なんとも……新鮮ですね」
「お抹茶とはまた違った香り……ん~、くせになりそうです」
「大変お待たせしました。どうぞ」
 そうこうしている間にも、ラデルは全員分の紅茶を用意し終えていた。部員のみんなは普段茶器で飲んでいるとのことなのだが、今日はカップとソーサーを用いての試飲となった。火傷をしないようみんなふうふうと冷ましながら紅茶を含んだ。すると部員全員の顔が緊張から解放されたような顔になった。
「なんと……和室で楽しむ紅茶……なんとも面白いです」
「普段味わったことのない幸福感……先生、わたし幸せです!」
「先生! 紅茶の淹れ方、教えてください!」
「あ、ずるい! あたしも!」
「ぼくも!!」
「まぁまぁ、落ち着いてください。そう急がないでも皆さま全員にお教えいたしますとも。そうですね……それと、次からはお茶菓子も必要ですね」
 紅茶の淹れ方を教えて欲しいという部員たちを宥めながら、ラデルはふむと鼻を鳴らした。そして次回に相応しいお茶菓子は何かないかと目を動かした。すると、茶器の隣にある深い深い緑色をした粉末を見つけた。その粉末の香りを確かめると、紅茶にはない奥深い香りの中に清々しいそんな気持ちになれた。これは是非ともと思い、ラデルは部員のみんなにこれは何かと尋ねると「抹茶」という聞きなれないお茶の名前を知った。そしてラデルはこの香り高い抹茶を使用してなにかできないかと考えていると、閃いた。
「こちらの抹茶を少し拝借してもよろしいでしょうか」
「え、ええ。いいですよ。少しと言わずに持って行ってもいいですよ」
 部員から持って行っていいといわれ、ラデルは感謝をし抹茶の入った筒を手にし深々と挨拶をして部室を後にした。部室を後にしたラデルは早速屋敷へ戻りキッチンへ向かい、香り高い茶葉の筒を開けた。「ぽん」という心地よい音と共に香りが外へふわりと舞い上がった。その香りを楽しみながらラデルは紅茶に合う抹茶のお菓子を作り始めた。

 翌日。誰よりも部室に到着したラデルは昨日作成したお菓子を切り分け、部員のみんなが来るのを待っていた。しばらくして、部室の扉が開かれ「いい匂いがするー!」という元気な声が聞こえた。それに続いて部員たちの声が部室に広がっていくと、ラデルはお腹のあたりが少しうずうずする感覚になった。これは「待ち遠しい」という気持ちなのでしょうかと自分に問いかけていると、続々と部員たちが入ってきた。誰もがラデルの顔を見るとぱっと明るくなり嬉しそうだった。挨拶を交わし、早速昨日作成したお菓子を振る舞うと、部員たちの顔はみんな幸せ色に包まれていた。
「んーー!!!!」
「おいひーー!」
「これ、部活なんですよね。部活なのにこんな美味しい思いしちゃっていいんですかぁ?」
「先生……ずるいです。紅茶もお菓子もこんなに美味しいなんて」
「皆様のお口にあって良かったです」
 誰もが紅茶とお菓子を楽しんでいる姿を見たラデルは、そっと席を立ち廊下から差し込む日の光を浴びながら違う世界にいる親友に思いを伝えた。
「ガエタノ様。わたしは今、とても幸せです。こうしてわたしを受け入れてくれる場所が他にあるなんて思いもしませんでした。きっかけ、そして挑戦する後押しをしていただいたこと、深く感謝致します」
 収穫があるかもしれないと言ったガエタノの言葉は間違いではなかったと呟き、今は茶道部から聞こえてくる自分を受け入れてくれた可愛い部員たちの笑い声に耳を傾けていた。
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