あまほろにがショコラッテ【神】

文字数 5,173文字

「……またか」
 毎日目覚めの悪い夢を見る。家族と一緒に過ごしていたのに、突然それが壊れる夢を。何度も。目の前に燃えた材木が落ちる瞬間、両親と目が合い手を伸ばしたときに目が覚めるのは、変わらなかった。銀色の髪を小刻みに震わせ、冷めたような瞳で自分の顔を窓越しに見ている少年─エンデガはそんな自分を見て「情けない」と一蹴し、洗面台へと向かった。冷たい水で顔を洗えば少しはましになるだろうと思い、丁寧に顔を洗って鏡を見てもさっきと同じで情けない顔をしていた。
「……」
 これ以上はどうしようもないと思ったエンデガは、仕方なく身支度を済ませ朝食代わりのフルーツをかじった。甘酸っぱさが口いっぱいに広がり眠気も少しはどこかへ行ったようだった。幾分頭の中もクリアになったところで壁にたてかけてある愛用の杖を見た。
 杖の先端には時計を模した飾りがあり、柄の部分は落ち着きのある金色をしている。きちんと時計を模しているため、短針と長針もあるのだが今は動いていない。まるでエンデガの成長を表しているかのように。
「……ふう」
 考えを吹き飛ばすように息を吐き、杖を手に取った。そして、考えていた。

 時空操術について。

 時空操術とは、時の流れを操り操作をすること。例えば、過去に犯してしまった過ちをそれまで遡ってなかったことにしたりすることもできる。時空操術を得た者にしか出来ないことなのだが、それはもちろん神界において禁忌とされている。もしそれが、歴史を巻き込むほどの大きなことであれば尚更である。その者は永久に時空操術を行使する力を剥奪され、監禁されてしまうだろう。いや、もしかしたらそれ以上に重い罪になるのかもしれないが……。それほどまでに時を操るという行為が重い罪だと知っていてもエンデガにはどうしても時を巻き戻してやらなくてはいけないことがあった。
 それは、家族を救うこと。何度も何度も夢の中に現れてはエンデガを苦しめているあの夢には、大好きだった両親が火事によって亡くなってしまったのだ。それも、幼いエンデガの目の前で燃えた材木の下敷きになって……。そのことが脳裏に焼き付いてしまい、エンデガはしばらくまともな生活を送ることができず、施設に預けられた。
 施設の中はエンデガと同じかそれ以下の年齢の子供たちが集められていた。みんな楽しそうに遊んでいる中、エンデガだけがつまらなそうに頬杖をつきながら外を眺めていた。流れゆく雲を見てはため息を吐き、子供たちがはしゃぐ声を聞いては頭をくしゃくしゃとし落ち着かない様子だった。その様子を心配に感じた施設の職員がエンデガに優しく声をかけるも「別に」と一蹴され、それ以上は踏み出せないでいた。
 施設に入ってから数週間の時が流れた。たまたまエンデガが廊下を歩いていると、職員たちの話し声が聞こえた。足音をたてないようゆっくりと近づき耳をそばだてていると、少し奇妙な話を聞いた。なんでもこの施設の中に許可された人物以外が入ることを許されない部屋があるというのだ。まさかこんな小さな施設の中にと疑っているエンデガをよそに、その職員たちは教室とは正反対の方向へと歩き始めた。これは確かめずにはいられないと思い、エンデガはこっそりその職員のあとをつけ部屋に入った。中は膨大な数の本で埋め尽くされた部屋だった。背表紙がかすれて読めないものや、湿気を帯びて文字がかすんでいるものも多く見られる中、エンデガははっとし立ち止まった。エンデガは自身の身長より少し上にある書籍がどうも気になっていた。なんとかして取れないかと思い、近くにあった脚立を音を立てずに設置し本を手に取った。書籍名は完全にかすれていてわからない。だけど、エンデガはこれがどうしても気になっていた。どきどきしながらエンデガは表紙を開くと、そこには天界の秘術─時空操術について書かれていた。ただ、時空操術と一口にいってもどんなものかがわからなかったエンデガは脚立から降り、かすれた文字を読み進めていった。読んでいくうちにエンデガの表情がみるみる明るくなっていくのがわかった。簡単にいうと過去はもちろん、未来へ干渉することができるという術のことだと書かれていた。これで家族を助けることができると思い、書籍を閉じ誰もいないところで時空操術を展開した。戻る場所を正確にイメージしながら意識を込める。すると、意識を集中している手の中に白い光を集めていく。やがて眼を覆うばかりの眩しい光がエンデガを包むと、そこはエンデガが時空操術を試みた場所だった。おかしいと思い、再度手のひらに意識を集中させたのだが、結果は同じ。
「こんなはずは……」
 手順は間違っていないはず。だとしたらなぜという疑問がエンデガの頭を支配した。ぐるぐる思考が巡り、今にも押しつぶされそうになりながらもエンデガは時空操術について書かれている書籍を今度は最後まで読んだ。そこには目を疑う内容が書かれていた。


         



 絶望したエンデガの手から書籍が滑り落ちた。ショックのあまり声を出すことも指先一つ動かすこともできず、しばらくそのままずっと立っていた。認めたくない事実だと理解をし始めると、唇を噛みしめ目には涙を浮かべ、エンデガは叫んだ。

                なんのために
        なんのために
                          なんのために
   なんのために

              なんのために!!!


 エンデガの叫びは降り出した雨の音にかき消されていった。そのときの雨はいつもより強く、エンデガの体を無慈悲に濡らしていった。

 
 過去の終着点は分かった。では、未来はどうだろうとエンデガは手のひらに意識を集中させ時空操術を展開した。到着し、エンデガの目の前に映るのはこれからの行く末があった。それを見た瞬間、エンデガは自分の足から力が抜けるような感覚に襲われた。そして今目の前に映る光景を見て、エンデガは虚無を感じていた。

 必死になって動いていなくてもこんな未来があるのなら、何をしても無駄じゃないか。それに、嫌なことがあれば何度でもやり直せばいい。そうすればいいだけじゃないか。
 そして時空操術を展開しているうちに、エンデガは遂に何を目的にしていけばいいかを完全に見失ってしまった。

 あれから適当な時間が流れた今日。エンデガは部屋で杖の短針の調整をしていると、急に頭が痛くなりその場に蹲ってしまった。そして頭の中に広がる真っ白な世界からか細い声が聞こえる。だけど、その声は何と言っているかまではわからなかった。真っ白な世界は大きくなったり小さくなったりを繰り返し、時折美しい草木があちこちにあるのが見えた。最後に一つの点になり消えるとさっきまで痛かった頭から痛みは消え去っていた。
「……なんだったんだ。あれは。それに、あの声……」
 聞き覚えのない声に戸惑いを感じながら、エンデガは手早く調整を済ませその日は早めに就寝することにした。翌日もあの痛みがエンデガを襲い、苦しめた。そして聞こえるか細い声に耳を傾けようとするも、痛みが勝り聞き取ることができなかった。
「くそっ……なんだんだ。それに、あの声は一体なんだ……ぼくに何か関係があるのか」
 思い当たる節がなく、どうしたものかと考えるも結局は何もわからないという結論に至り思考を停止した。次の日も、そのまた次の日も同じ頭痛に悩まされていると真っ白な世界の中に鳥のような生き物がエンデガに向かって飛んでくるのが見えた。痛む頭を抱えながらエンデガは鳥に向かって手を伸ばすと、この前まで聞こえなかった声が少し聞き取れるようになった。


  ……なたは…… っと…… りこえる……とが…… きます……

  ……から…… のちから…… いほうします…… さぁ……をばして……

 さらにずきずきと痛む頭を抱えながら、エンデガはもう一歩足を踏み出しながら手を伸ばした。すると鳥のような生き物はエンデガの部屋に入りすいすいと泳ぎ始めた。そしてエンデガの愛杖を見つけるとそれに向かってけたたましく鳴いた。その音にエンデガは堪えることが出来ず意識を手放してしまった。


 目を開けると、そこはさっきみた真っ白な世界が広がっていた。さっきまで部屋にいたはずなのにと疑問に思っていると、突然目の前にあの鳥のような生き物が現れた。そしてその鳥はキンと金属と金属を打ち付けたような音を発しながら対峙した。

─あなたが……エンデガですね。

 優しくも美しい女性の声が聞こえ、エンデガはこくんと頷くと、鳥のような生き物は小刻みに羽を動かした。

─あなたの悲しみ。痛いほどにわかります。そして、苦しみも……。

 エンデガは一瞬眉をしかめると、鳥のような生き物は首を大きく横に振った。

─そういう意味ではありません。しかし、あなたはその苦しみを超えようとしています。過去の苦しみ、そして今抱えている苦しみ。それらを自分のものにしようとしているのがわかります。

 過去……どんなに足掻いても家族を助けられないということは理解できている。
 現代……どんなに足掻いても無駄だということも理解している。

─いいえ。今度は苦しくても辛くてもやり直しをしない道を選ぶのです。誰もが皆、過去をやり直したいと思う気持ちはあります。時空操術を身に着けているあなたなら尚更そう思うでしょう。けれど、あなたは身をもって知りました。そして、今度はやり直しをしないという皆と同じ条件で立ち向かうのです。

 つまり、今の自分を受け入れろということかとエンデガは尋ねると、鳥のような生き物は小さく鳴いた。受け入れることなんてできるのか。嫌なことがあれば時をいじって少し前に戻っていた自分に……。そんなの……できっこないだろ。このぼくに。

─あなたはもう十分理解しているはずです。理解しているからこそ、あなたは一歩踏み出せるのです。さぁ、あなたの可能性を信じて。

 ぼくの……可能性……??

 エンデガは自分の愛杖を手に取ると、詠唱もしていないのに突然長針と短針がぐるぐると回り始めた。そして時空操術を使用するときと同じ白い光が徐々に大きくなり、エンデガをふんわりと包み込んだ。

「そうか。ぼくはきっと逃げていたんだ。そうして失敗をしている自分を受け入れるのが怖かったんだ。ぼくは家族を助けたくて時空操術に手を出した。けど、今だったらわかる気がする。ぼくが時空操術を得た本当の理由。そしてぼく自身でも気が付かなかった隠された可能性……」
 ぐるぐると勢いよく回っていた二つの針はお互いがお互いを包み込むように重なると、チンと軽い音を出して止まった。愛杖から伝わる魔力にエンデガは「これならきっと」と小さく呟ききっと正面を見た。

─あなたの美しい瞳から期待と明るい未来が見えます。あなたならきっと掴むことができるでしょう。

「ありがとう。そういえば……きみは……?」

─……過去のあなたとだけお伝えしておきましょう。ここでいう過去は二つの意味があります。一つは禁忌を破り時空操術で過去や未来に何度も行き来したこと。もう一つは何をしても無駄だと諦めていたもの。それら二つの過去があるからこそ、あなたの未来があるのです。今、あなたの世界は明るいですか?

 鳥のような生き物はエンデガに尋ねた。そういえば、今まで以上に視界も頭もすっきりしているような感覚だった。それに体もほんの僅か軽く感じていた。一番の変化は心だった。今までは何をしても響かないでいた心だったのが、今はどうだろう。きちんと自分の鼓動を感じ、その鼓動が楽しいと感じている自分がいる。
「これが……新しいぼく……?」
 身も心もまるで生まれ変わったかのような感覚に、エンデガは驚いていた。そして、何かをしたいという衝動が抑えられないでいた。
「ぼくの新しい可能性。信じてみるよ。何があっても、ぼくは諦めたりしない。この力はきっとぼくにしか扱えない特別なものなんだ。だから……その可能性を引き出すために、ぼくはあちこちに行ってみようと思う。自分の目で、体で感じることをもっと経験してみたい。過ぎ去った時間を取り戻すことはできないけど、今この瞬間を大事にしていきたい」

 ─あなたに秘められた可能性は、なにもあなただけではありません。あなたの持っている杖からも可能性があるのです。つまり、あなたが行使する時空操術にも新たな可能性があるということです。

「なら、その新しい時空操術の可能性というのを見てみたいね。なんだか楽しくなってきそう」
 今までにない高揚感を胸に、エンデガと過去の自分が具現化した精霊と共に歩き出した。その顔は夢と希望に満ち溢れていた。
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