レモンとブラックチェリーの明暗シロップ付きかき氷【神】

文字数 5,377文字

 煌びやかな水晶に囲まれ、少女はただ静かに佇んでいた。水晶が煌めく度に聞こえる凛とした音色は、そこが無音という世界に包まれている証拠を物語っている。静かでなければこの音は聞こえないと少女は呟いた。
 氷の女王─イクシラ。透き通ったまるでガラスのようなドレス、純度の高い氷のように透き通った白銀色の髪にはティアラが神々しく輝いていた。イクシラが水晶の森を歩いていると、水晶の断面に自分の顔が映し出される。まるで何も興味がありませんといったような無味な表情、口元もただ横一文字にひかれており、ただただ冷たい。そう……まるでこの水晶(こおり)のように。
「……ここは静かでいい。でも……なにかしら。この心がぽっかりと空いているような気持ちは」
 イクシラは自分の表情を見て少しだけ顔を歪めた。普段、こんな気持ちにはならないのに、なぜか今日はそんな風に感じてしまった。それは自分の顔にそう書いてあったからなのか、はたまた違うのかはわからない。イクシラは自分の胸に手を当てて考えてみるも、その手は水晶と同じように冷たく、そこからは答えを得ることはできなかった。
「……わたしは、この気持ちの答えを知りたい」
 か細い手をぎゅっと握り、イクシラは水晶の林を音もなく歩いた。そして、イクシラはひと際輝く水晶の前に手をかざし、念じた。やがて水晶から光が溢れ、イクシラの体を包み込むと音もなく消えた。さっきまでイクシラが立っていた場所には再び静寂が訪れていた。

 所変わってここは黒の大地。白の大地は神々や妖精などが生きているのに対し、黒の大地とは魔族と竜族が生きる世界。この二つの世界は真逆に位置している。そんな黒の大地にある氷山に住処を置く魔族の少女がいる。サファイアのように青い髪に燃えるような赤い瞳、雪のように白い肌の周りには小さく瞬く氷魔が飛び回っていた。少女の名前はグラキエス。ここ黒の大地の氷山周辺を統べる者として、君臨している。グラキエスは氷で作った薔薇を見つめながら、普段感じない何かを感じていた。
「……侵入者かしら」
 氷のように鋭い声は氷山に響き、自分の縄張りに入ってきた人物への警告とした。普段なら声を発しただけで気配はなくなるはずなのだが、今回は違った。未だに誰かがいる気配を感じたグラキエスはその気配のする方へと向かった。
「愚かね。誰か知らないけど、すぐに黙らせてあげる」
 グラキエスは誰であろうと構わず、氷漬けにする気でいた。そして、いよいよその気配のする箇所へと着いたグラキエスの手には美しくも禍々しい氷の薔薇が咲いていた。
「……あなたは……誰?」
「ここは……??」
 そこには見ず知らずの人物が立っていた。その人物は自ら入ってきたというよりは、何かの力によってここへと飛ばされてしまったかのようだった。辺りを見渡し困っているようにも見えた。だが、グラキエスにとってそれはどうでもいいこと。ここは自分の住処であるのだから、自分のルールに則ってしまえば済む話。一応、最後の警告として見ず知らずの人物に対して言葉を投げかける。
「ここはあたしの縄張りと知っているのかしら……それとも自ら氷漬けにされたいのかしら」
「その……ちょっと待ってくれるかしら」
「嫌よ。消えて頂戴」
 グラキエスは禍々しく咲き誇った薔薇の花弁に息を吹きかけると、まるで意志を持っているかのようにその人物へと飛んでいきくるくると回りだした。空気を割るような音と共にその人物の足元から凍っていき、一呼吸するまでに頭のてっぺんまで氷が伸びていった。
「誰だか知らないけど、勝手にここへ来たことを後悔するといいわ」
 グラキエス氷漬けになった人物に背を向けて出ていこうとしたとき、その氷からぴしりという音が聞こえた。グラキエスは耳を疑った。まさか……そんなはずがない。あの魔法を受けて生き残った奴なんて一人としていないのに……。グラキエスはすぐに振り返り自分で作った氷像を見て驚愕した。自分で作ったその氷像には大きなヒビが入っていて、そのヒビはやがて大きくなりびしりという音からばきばきと大きな音を立てて崩れていった。
「そ……そんなばかな……」
「待って。わたしの話を聞いて」
 氷漬けにされてたとはいえ、そんなすぐに体の機能が使えるとも限らないのに氷漬けにされていた人物は変わらぬ口調で尋ねてきた。
「ここがどこだか教えてくれないかしら」
「あ……あなた何者なの……?」
 グラキエスは経験したことのない衝撃を受け、足元はがくがくと震えていた。それにも構わずその人物はグラキエスに近付き、ここがどこかを尋ねた。
(このわたしが恐怖を感じているというの……??)
「大丈夫。わたしも

を持っているの」
 その人物は手のひらから小さな水晶を作り出し、グラキエスに差し出した。グラキエスは恐る恐るその水晶を受け取り、じっと見つめると自分が作る氷とは全く異なっていることに気が付く。そして、氷漬けになってもこうして平然として歩いていられるという理由もわかった。
「あなた……氷使いなの?」
「ええ」
「そう……」
 グラキエスはその人物を改めて見た。黒の大地にはこんな装いの人物がいたかと思うくらいに整いすぎたドレスにティアラ。そして、自分とは似ているようで似ていない何かを持っているその人物に名前を尋ねた。
「あなた、なんていうの?」
「わたしはイクシラ。気になることがあって転移の魔法を使ったのだけど……」
「ここへ飛ばされたという訳ね」
「ええ。あなたを驚かせるつもりなんてなかったの。ごめんなさい」
「……あたしこそごめんなさい。いつも、強欲な人間を相手にしてたから……」
「ごめんなさい。辛いことを思い出せてしまったわね」
「……グラキエス。あたしの名前よ」
「グラキエス。ありがとう」
 ぎこちない会話を経て、グラキエスはさっきイクシラが発したある言葉が気になった。話しなれていないグラキエスは、思い切って聞いてみた。
「……さっき、気になることがあってって言っていたけど……」
 すると、イクシラはこくんと頷き口を開いた。
「ええ。わたしは確かめたいことがあったの。ただ、それを確かめるのはどうしたらいいかわからないの……」
「……一体どういうことかしら」
 イクシラはなんて説明したらいいかわからなかったが、要点をかいつまんでグラキエスに伝えるとグラキエスは内容を理解し、こくんと頷いた。
「なるほど。自身に空虚な部分があるのね」
「……ええ。その理由を知りたくて」
「……あたしもそれを知りたい。あなたが気になっていることが気になるの。だから……」
「……だから?」
「ちょっと、あたしに付き合ってくれるかしら」
 グラキエスはゆっくりと歩き出すと、イクシラも遅れてそれについて歩いて行った。

 歩きはじめてどれほど経過しただろうか。時間の概念がない二人はただ氷壁の間をただ歩いているのだが、この道はどこへと続いているのかイクシラにはわからなかった。聞こうと思っても中々言い出せなかったりでつい遠慮がちになってしまう。途中、氷壁に咲いている氷の薔薇を見てイクシラは小さく息を吐くと、自分にもできないか試してみた。手のひらに意識を集中し、水晶を生成し、形をイメージ。ゆっくりと薔薇のように整っていくが集中力が切れてしまいはらはらと散ってしまった。今度こそと思い、再度挑戦してみるも中々きれいな花弁になるまえに散り散りになってしまい落胆するイクシラ。
「着いたわ」
 短くそういうグラキエスについてきた場所は、必要最低限の物が置かれた部屋だった。客間なのか私室なのかはわからないが、整理された室内はとても居心地が良かった。ここが黒の大地だと聞かされるまでは信じられないくらいに……。
「そういえばさっき、何かを作ろうとしてたわね」
「ええ。あなたの作るあの薔薇……とってもきれいだったから」
「え……? あたしの……?」
「ええ。あんなにきれいな薔薇を見たのは初めて。良かったらどうやって作るか教えてくれないかしら」
「え……う、うん。ちょっと待ってて」
 グラキエスは手で顔を覆いながら何かを取りに行くと、イクシラはそれに短く返答し用意された椅子に腰を下ろした。テーブルには一輪の薔薇がさされており、それを見ながらイクシラは結晶を生成し形作りに意識を集中させた。あともう少しで納得のいく形になろうとしたとき、グラキエスが何かを運んできたおとに驚いてしまい、集中が切れ花弁が散ってしまった。
「あ……」
「あ……ごめんなさい」
「いいえ。コツがつかめたような気がしたから、もう少しやってみたらできそうかしら」
「その前に一息どうかしら。あたし、誰かにお茶を出したことないのだけど……」
「いい香りね。いただくわ」
 グラキエスが持ってきたのは、薔薇の香りのする紅茶だった。しっかりとした飲み口のあとに仄かに香る薔薇がなんとも心を落ち着かせてくれた。
「そうね……コツは薔薇が咲くときをイメージすること……かしら」
「咲く……ときの?」
「ええ。薔薇は外側から広がるようにして咲くの。だから……こういう風にすると」
 グラキエスは手のひらに氷を出し、薔薇の咲くときをイメージしながら魔力を込めると
まるで今にも花弁が舞いそうな薔薇が完成した。それを見たイクシラも同じように手のひらに結晶を生成し、同じようにイメージをして魔力を込めるとさっきとは比べ物にならないくらいにスムーズに薔薇を形どることができた。
「あなた、さっきまではひとつの結晶に対して削りながら薔薇をイメージしていたみたいだけど、それだと中々難しいわ。だから、さっき言ったことをイメージすれば作りやすいわよ」
「ありがとう。やってみるわ」
 グラキエスの助言を念頭に、再度結晶を生成しイメージをする。すると、グラキエスの生成した氷の薔薇とは違った透き通った薔薇がイクシラの手のひらでふわりと開花した。
「飲み込みはやいわね。それにしても……その薔薇、きれい」
「よかったら、交換しない? わたしは氷の薔薇で、あなたはわたしの結晶の薔薇」
「いいの……?」
「もちろん。ここで出会えたのも何かの縁。だから、その証に……受け取ってくれるかしら」
「……うん」
 グラキエスはすぐさま氷の薔薇を開花させると、イクシラの作った水晶の薔薇と交換した。みたことのない輝きに目をうっとりとさせるグラキエスを見たイクシラは、胸の辺りがなんだかざわついていることに気が付いた。
(なにかしら……このむずむずする感じ……もしかして……これは……)
 それを確実のものにするため、イクシラは更に水晶の薔薇を作りグラキエスに披露した。イクシラの手のひらで次々と開花する水晶の薔薇を見て、グラキエスの表情はみるみる輝き次第にうっすらと笑みを浮かべた。
「あなたの作る薔薇……不思議と落ち着く。あたしの作る薔薇とは違う何かを感じるの」
「嬉しいわ。あなたに出会ってなかったら薔薇を作る方法は思いつかなかったわ。ありがとう」
 薔薇を通じて打ち解けた二人は、それぞれの話をし始めた。そのときの二人の表情は春の日を思わせる温かさがあった。
(……やっぱり。これがそうなのね……。答え、見つけたわ)
 イクシラの心に空いた穴は、グラキエスという人物と会話をすることにより埋まり、空虚だった気持ちから満たされたような気持ちへと変化していった。
「……そういえば、あなたが気になっていたというものの答えは見つかったのかしら?」
 絶妙なタイミングで問うてきたグラキエスに、イクシラは少しはにかんだような笑みを浮かべながら小さく頷いた。その笑顔にグラキエスも嬉しそうに微笑んだ。
「そう。それはよかったわ。あなたの気になっていることに関われて、あたしもよかったと思う」
「……また、会えるかしら」
「さぁね。でも、また自分の中に空っぽだなと思うときがあれば会えるんじゃないかしら」
「……そうね。そのときはまたお邪魔するわ」
「……いいわよ。そのときは付き合ってあげる」
 くすくすと笑いあう二人は、少し名残惜しそうに見つめあうと席を立ちイクシラがいた場所へと歩き始めた。きっとそこなら自分の世界へと帰られるはずだと思ったグラキエスは大きめな氷の薔薇を咲かせると、さらに魔力を込めて上空へと放つ。たくさんの花弁が舞い、ひとつひとつが輝きだし一時的に扉を具現化させた。
「ここからあなたの世界へと帰ることができるわ」
「ありがとう。楽しかったわ」
「……あたしも。不思議ね。普段なら静かな世界を好むのに、おしゃべりをするのが楽しいなんて」
「……ええ。でも、悪くなかったわ」
「じゃあ、またね」
「またね」
 イクシラが扉を開き、中へと入ると扉は花弁へと変わりはらはらと散り溶けていった。

 自分の世界へと帰ってきたイクシラ。煌めく結晶が迎え入れ、また凛とした静かな世界へと戻ってきた。黒から白の視界へと変わり、イクシラは少しだけ寂しさを思い出したとき、自分の足元に何かが転がり落ちた。屈んで拾うと、それは禍々しさが消えた溶けない氷の薔薇がきらきらと輝いていた。
「答えを……ありがとう。グラキエス」
 イクシラはその薔薇を優しく包むように抱くと、今までに感じたことのない満足感を教えてくれたもう一人の氷の魔女にお礼をした。また会える日を願いながら……。
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