甘夏寒天【神】

文字数 2,963文字

「はいふいほふへふか?(海水浴ですか?)」
 大きく切り分けられた西瓜を風鈴が奏でる縁側で頬張りながら、陰陽師─ハルアキは師匠に尋ねた。師匠はうんと頷き、一枚のちらしをハルアキに手渡した。
「この近くに海水浴場が出来たんだ」
 頭の上から覗き込むハルアキの式神─アヤメが目を輝かせながら言った。あまり聞きなれない言葉に何と言っていいかわからなくなっていると、師匠は「家の中ばかりでなく、こういった季節を楽しむのも大事だ」と言われ、行く決意をした。
「ハルアキ! 明日、さっそく行くぞ!」
「え? あ、明日?」
「善は急げだ! さぁ、きりきり動く!」
「……はぁ」
 そんなやりとりを見た師匠は本当に楽しそうに笑いながら、小銭の詰まったがま口をハルアキに手渡し、海水浴に行く準備を手伝ってくれた。一口に海水浴といっても何を持って行っていいかわからないハルアキは、師匠とその家政婦さんにありとあらゆるものを鞄に詰め込んだ。どうしても鞄に入らないものは仕方なく手で持って行くとし、あとはそこまでの道のりは電車を乗り継いで行けば問題はない。
「あたし、これを着てみたいぞ!」
 アヤメが本を広げ、指さした先にはおしゃれな水着だった。式神にも水着は……などと考えていると師匠は先を読んでか、すでにいくつかのアヤメ専用の水着を用意していた。もちろん、ハルアキのもだ。
「……はは。師匠、準備が万端で……」
「そりゃあ可愛い弟子のお出かけとあればな」
 ずらりと並んだ水着を楽しく迷いながら選ぶアヤメ、なんとなく憂鬱そうな顔で選ぶハルアキ。陰と陽の様がこんなところで形成されるとはなと師匠は口に出さずにいた。

 翌朝。まだ日が昇る前に師匠の家を出発し、最近出来たという海水浴場へと向かった。いつもなら式札になっているはずのアヤメが今日に限っては実体化しており、不思議に思ったハルアキはアヤメに理由を聞いた。
「海というところ行くまでも楽しみでな。最初から実体化させてもらっておる」
「……それはいいけど、ほかの人もいるかもしれないから静かにしてね」
「うむ。心得ておるわ!」
 どんと胸を張って答えるアヤメに一抹の不安を感じつつも、二人は海水浴場へと向かった。

「おおー! これが海というやつか!! 大きいの!」
「……はぁ、もう疲れた」
 一人はしゃぐアヤメをジト目で見ながら言うハルアキ。それもそのはずで、見るもの全てが新鮮でたまらないアヤメは電車の中で人目をはばかることなく大はしゃぎ。それを何度も制しても聞く耳持たずで終始この調子だった。次第に疲弊したハルアキは電車の中で居眠りをし、アヤメのげんこつで目が覚めることとなった。
「もう何人かが来てるようだな。さっそくわしらも行くぞ」
 両手に荷物を持っているハルアキを置いて一人、アヤメは白く輝く砂浜を駆けていった。そして遅れてそれについていくハルアキの背中はぐったりとしていた。
「……まずはこの傘を広げ……てっと。うん。日除けにはちょうどいい大きさだな」
「おおーい! ハルアキー! こっちきてくれー!」
 日焼けをしないよう適度な長さの水着に着替えたハルアキは自分たちの場所の確保を済ませ、アヤメに呼ばれたハルアキは何事かと思い声のする方へと向かった。すると既に水着に着替えて波打ち際ではしゃぐアヤメがいた。その瞬間、ハルアキは脱兎のごとく駆け、アヤメを抱き上げた。
「な……なにをする!」
 楽しんでいるのにいきなり何をするかと怒鳴るアヤメに、ハルアキの冷たい視線が突き刺さる。
「アヤメ。水に濡れたらダメじゃないか」
「あ……」
 式札はもちろん、紙でできている。いくら実体化されてるとはいえ、水に濡れてしまっては何等かの支障がでることは考えられる。楽しむことはいいことだが、その辺も気を付けて遊んでくれとハルアキは言い、アヤメをゆっくりと下した。
「すまん……。つい、舞い上がっておった」
「別にいいよ。でも、水には気を付けてくれ」
 地上に戻ったアヤメが選んだのは、白く輝く砂を使って何かを作ることだった。勢いよく砂を集め固めてまた集めてを繰り返している様子を見ていたハルアキは、遠くで妖気を感じた。
(……まさか、こんなところで)
 感じた妖気を探っていると、そこに小さな狐と戯れる妖狐がいた。その妖狐も海を喜んでいるのか、足元に押し寄せる波を蹴って遊んでいた。
「それそれぇ! 冷たくて気持ちいいですねぇ! 狐さん!」
「きゅきゅー!」
 心から喜んでいる様子が見て取れたハルアキは、構えていた札を収め小さく溜息を吐いた。その溜息に気が付いたのか、妖狐は振り向きハルアキを見てぱっと笑い深くお辞儀をした。
「こんにちは。わたしはクイナと申します! それで、この子たちは狐さんたちです!」
「きゅっ! きゅーー!」
 ハルアキの足元で喜ぶ狐を見たハルアキは、ふっと気持ちが軽くなったのかしゃがみ込み小さな狐の頭をそっと撫でた。撫でられた狐は気持ちよさそうに表情をとろけさせると、ほかの狐たちも「撫でて」とばかりに鳴き始めた。
「あら。狐さんたち、お兄さんのことが気に入ったみたいですね。うふふ」
「それはよかった」
「おーーい! ハルアキー! ちょっと手伝ってくれー!」
 遠くで遊んでいるアヤメに声を掛けられ、振り向くとそこには立派な城ができていた。いつの間に作ったんだというハルアキは突っ込みたくなるのを我慢し、クイナという少女にあの子と一緒に遊んでくれないかと頼んだ。それと、水が苦手だからと伝えるとクイナと狐たちは同時に頷き、アヤメの建築した砂の城に向かって走っていった。
「アヤメさーん! わたしたちもお手伝いしまーす!」
「きゅー! きゅっきゅ!!」
「おおー?! 誰だか知らないが助かる!!」
 あっという間にアヤメとクイナたちは仲良くなり、城だけでなく巨大な建築物を砂で作ると満足気に笑っていた。その笑顔を傘の中から見ていたハルアキは、しばらくああやってアヤメの笑顔を見たことがないことに気が付いた。それに、ここで出会って間もないクイナとも知り合えたというのも何かの縁だと思うと、ハルアキは来てよかったなと思った。
「おーい! ハルアキ! お前も傘の中にいないでこっちにこい!」
「ハルアキさーん! 一緒にボール遊びしましょー!」
「きゅーー!」
 小さな狐はハルアキの水着をくいくいと引っ張り「一緒に遊ぼ」と鳴いていた。それには断るわけにもいかず、ハルアキはゆっくりと立ち上がりアヤメたちのところへ歩いた。
「ゆるーく遊びましょーー! えーい!」
 西瓜の形をした円形上のものが綺麗に空に上がると、それを交互に打ち合った。打ち合っていくうちに次第と笑みがこぼれ、ハルアキの顔にも笑顔が宿った。こうして日が暮れるまで遊んだハルアキたちは片付けを手早く済ませ、クイナたちに遊んでくれたことに感謝した。
「いえいえ。わたしたちもとーっても楽しかったですよ! ね? 狐さん?」
「きゅー!!」
 楽しんでもらえたのならよかったとハルアキは胸をなでおろし、クイナたちと別れた。帰りの電車の中、アヤメはハルアキに寄り添い寝息を立てていた。
「……ぉーぃ。そっちにいったぞ……むにゃ」
 夢の中でも遊んでいるのかなと思ったハルアキは、窓の外に映る夕日をぼーっと眺めながら揺られていた。
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