ミルクムースとココアビスケットのサンドイッチ【神】

文字数 4,004文字

 女医のサルースと助手は休日なのにも関わらず、職場にこもり書類と格闘をしていた。記入漏れがないかの確認のはずなのだが、一字もミスが許されないものなので二人とも書類を凝視しながらも確実に処理をしていく。女医のサルースはやや釣り目で厳しそうな印象を受けがちだが、実際はそうではなく種族関係なしに困っている患者がいれば皆平等に診察をするという優しい気持ちを持っている。そんな彼女の診察を受けたいと、人間だけでなく片目の種族や獣族といった所謂魔界の住人、はたまた背中に羽が生えた天使や妖精などもサルースの病院にやってくる。そんな患者の書類の山を半分処理し終えたサルースは一呼吸つき、助手を見た。助手も同じように書類に不備がないか確認を終えたところで目が合い、休憩をしようと席を立った。
「いやー、今月もたくさんの患者さんがいらっしゃいましたね」
「ほんとね。でも、それだけ困っているということよね。来月からも頑張らないとね」
「そうですね。そのためにも今日を乗り越えましょう!」
「やけに張り切ってるわね。でもまぁ、その気持ちを持ってくれるのはとても嬉しいわ」
 近くで買い物を済ませた二人は雑談に花が咲き、もう間もなく自分たちの病院に到着というところで、サルースは異変に気が付いた。誰かがうつ伏せになって病院の前で倒れているのだ。それも髪が真っ白ということもあり、サルースは手に持っていた袋を助手に預け、大慌てで倒れている人物に駆け寄った。
「大丈夫ですか? 何があったのですか?」
 白髪の人物をゆっくりと起こし、その顔を見た瞬間、サルースは思わず「あっ」と声を出した。その人物はサルースもよく知っている人物だったともあり、その声は思っているよりも大きく出てしまっていた。
「ちょっと……ファウストじゃない。どうしたのよ、こんなところで倒れて」
「う……うう……」
「とにかく、今は中に入れましょ。ごめん、鍵開けてくれる?」
「は、はい。今すぐ」
 ファウストと呼ばれた人物はひどくうなされており、時折声をあげて苦しそうにしていた。居ても立っても居られないサルースはすぐに診察室のベッドにファウストを寝かせ、できる範囲で容体を確認した。細かいことの確認は本人が起きてからでもいいと思い、今は静かに意識が戻るまでファウストのそばにいることにした。

 ファウストが診察室に運び込まれて数十分が経過したとき、助手が小声でサルースに尋ねた。
「ところで……この人とはどこで知り合ったのですか?」
「あぁ。彼とは医学研究発表会のときに出会ったの。彼が論文を発表するから来てくれって手紙が来たからそれを見に行ったことがきっかけかしら。論文はとてもわかりやすくて聞きやすくて、みんな絶賛していたわ。だけど……それからというもの彼は忽然と姿を消してしまったの。そして姿を消して再開したのが、ついさっきという流れ……かしら。髪も体も少し変わっていたけど顔はあまり変わっていなかったからよかったわ」
 当時の面影が残っているファウストの顔を見て少しだけほっとしたサルースは、初めて出会ったころのファウストを思い出していた。とそこへ、ファウストがうなり声をあげながらゆっくり目を開きあちこち見まわした。
「……う……こ……ここは……」
 まだ意識がはっきりとしていないせいか、ぼんやりとした目でサルースを見ているファウストはどこか寂し気に見えた。
「ここはわたしの診察室よ」
「その声は……まさか……サルースか」
「ええ。まさかじゃなくてもサルースよ。ひさしぶりね」
 サルースという言葉を口にし、その言葉が肯定されるとファウストの目は一気に開きがばりと体を起こし頭を抱えだした。
「あぁ……なんということだ。私としたことが……」
「ちょっと……ファウスト。大丈夫?」
「近寄るな!!!!」
 突然大声をあげ、サルースの手を叩いたファウストの目はなぜか殺意に満ちていた。その理由を確かめようとサルースは優しく問いかけるも、返ってくる答えは全て同じだった。これではらちが明かないと思ったサルースは深呼吸をし、目の前にいる患者(ファウスト)に対してずいと詰め寄った。
「道端に倒れていたのに『近寄るな』とはずいぶんじゃないかしら?」
「う……人間の分際で私に近づこうなど……」
「あなたね……いい加減にしなさいよ」
 サルースの目がぎらりと光り、患者であるファウストを鋭い目で睨みつける。
「あなたね……お礼をしなさいとは言わないけど、なんであそこで倒れていたのか理由くらい話してくれてもいいでしょ? こっちはすごく心配したんだからね」
 迫力ある目力に圧倒されたのか、ファウストもたじたじとなり小さく唸ったあとにゆっくりと口を開いた。
「……材料がなくなったのだ。……その……風邪薬の……」
「風邪薬? あなた、風邪引いていたの?」
「少し頭がぼーっとするくらいだ」
「それが大事になるかもしれないでしょ。ちょっと診せてみなさい」
 そういうと、サルースはファウストの口を無理やりこじ開け喉の奥をじっくりと診た。どうやら炎症を起こしているようで、通常の倍以上に腫れあがっていた。さらに喉に近い首筋を触診してサルースはうんと頷いた。
「そうね。これは喉からくる風邪ね」
「だからそう言っているだろう」
「あなたのことだからきっとやせ我慢しているかもって思ったのよ。女医であるわたしの診察は風邪。はい決定」
「……」
 ぴしゃりと言われたファウストはもう何も言えず、ただうつむくことしかできなかった。書類にさらさらと書き、それを助手に渡すと物凄い速さで薬を持ってきてくれた。それをファウストに手渡すと、サルースはにこりと笑った。
「はい。数日分の薬を処方しておいたわ。これを飲んでゆっくり休めば良くなるわ」
 さっきまでツンとした顔ではなく、今のサルースの顔は「誰かを助けたい」という思いが詰まった顔をしていた。その顔を見たファウストはおずおずと薬を受け取ると、今度はもじもじしながらサルースに質問をした。
「……恥を承知で聞いてもいいか」
「なぁに?」
「……私にも誰かを助けることというのは……できると思うか?」
 予想していた質問の遥か斜め上を行く内容に一瞬驚くサルースだったが、真剣に聞いているファウストに対して失礼になるのでサルースも真剣に答えた。
「もちろん。あなたは薬学に対して知識はずば抜けているわ。その知識をうまく使えば誰かを救いたいということは造作もないことよ」
 そういうと、ファウストはぶるぶると震えだし頭を抱えながら涙を流した。
「私は……私は……悪魔と契約をしてしまっているのだぞ。そんな私が……誰かを救うことなんて……本気で……できるというのか?」
「そんなの関係ないわよ。悪魔だろうが天使だろうが『誰かを助けたい』という思いは関係ないわ。そんな思いを踏みにじるような人物がいるのなら、わたしは全力で否定するわ。誰かを助けたいという思いはその人の思い。その思いは誰であろうと邪魔をしていい理由にはならないわ。例え悪魔でも天使でもね」
 サルースの言葉に衝撃を受けたファウストは、ついに声をあげて泣き出してしまった。決して悲しかったわけではない。それはサルースもわかっている。ただ、意固地気味のファウストがここまで人前で涙を流したことを見たことがないので、どうしてここまで泣いているかという理由はわからなかった。

 ひとしきり涙を流してすっきりたのか、ファウストの表情は少し柔らかいものへと変わっていた。恥ずかしそうに眼鏡をかけなおし、深く頭を下げて診察室を出るその姿は初めてファウストを見た姿と同じだった。それを見送り、休憩時間もそこそこにサルースと助手は再び書類の山との格闘を始めた。

 それから数日後。午前の診療を終えたサルースはポストに何か入っていないか確認をすると、宛名も差出人も書いてない封筒があった。透かして中を確認すると特に怪しいものは入っていないだろうと思い、はさみで丁寧に封を切り中を確認した。すると一枚の便せんが入っていて、そこにはすこし癖のある字が走っていた。
「この字……もしかしてファウスト?」
 さっと目を通しただけだが、なんとなく差出人に心当たりがあったサルースは集中して便せんに書かれている字を目で追った。


─拝啓 サルース様

 先日はお世話になりました。おかげですっかり体調もよくなりました。こころなしか、心までも軽くなったような感覚です。こんな感覚を味わうのは何年振りでしょうか。とても新鮮です。
 あれから自分なりに考えた結果、魔界で病院を開院することにしました。初めてあなたを見たとき、あの研究発表会のことを思い出しました。あのころは、本気で誰かを救いたい、力になりたいと思っていました。それが今となってはどうでしょう。悪魔に魂を売った情けない人の成れの果てです。そんな自分でもできることがあるのならと思い、悪魔には研究材料が必要と称し、悪魔にでも効く薬草などの材料を集めてもらっています。それを独自で配合して薬を作って、困っている悪魔たちに処方しています。
 最初はもちろん、疑われたり冷たい目で見られました。でも、それは今まで自分自身がやってきたことだと痛い程わかりました。これからはそれらとも向き合い、苦しんでいる患者を一人でも救えるよう努力していこうと思います。
 あなたに出会えたことが、私の誇りです。それと、助けていただいたのに素っ気ない態度で接してしまい、申し訳ありませんでした。また会う機会がありましたら、きちんと謝罪させていただきます。長々と書き連ねてしまい、申し訳ありません。お体に気を付けてください。それでは。 ファウスト


 読み終えたサルースはふっと小さく笑いながら「いつでも歓迎するわ」と返事をし、窓の外を見た。柔らかい日差しと心地のよい風が重なり誰でも笑顔になれるそんな日和だった。
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