ちょっぴり苦い☆ピンクグレープフルーツのジューシージュレ【竜】

文字数 5,211文字

「はぁ……まったく上官はいつになったらちゃんと働いてくれるのかしら……はぁ」
 溜息と愚痴しか聞こえない事務所内で、ひたすらはんこをおしている女性騎士がいた。名前はステファニー。スカイブルーの髪に流れるような眉、きりりとした目元は残念ながら今はなく、代わりに困り果てた表情が張り付いていた。ここの騎士団の団長補佐を任されている……はずなのだが、今はなぜか彼女がすべての指揮を執っているの状態。理由は至って簡単で、上官が不在だからというものだった。そのせいで、本来は上官がする事務処理や現場の指揮、はたまた物資の管理までが補佐官であるステファニーへと流れついてしまったのだ。これにはいつもは心穏やかなステファニーも溜息しか出なかった。
「……まぁ、いつものことと思えば少しは楽なんでしょうけど……はぁ」
 もう何度目かもわからない溜息に、さすがに参ってしまいそうなステファニーは一旦書類から離れ、うっすらと曇っている窓の外を見た。すると、窓の外では白い綿のようなものが静かに舞い降りていた。そしてその白い綿は木々や草に覆いかぶさると、寒そうな印象を与えつつもどこか心が温かくなるそんな不思議な気持ちにさせてくれた。
「雪……か。どうりで寒くなってきたわけだ……」
 自身を抱きしめるようにしながら机に戻り、すっかり冷えた飲み物を口にした。
(そうか……クリスマスが近いんだっけ……)
 ふうと一息を入れながらそう思ったステファニーは、頭の中になぜか上官であるゾットの顔が思い浮かんだ。優しくて朗らかで部下思いで……それでいてとても強くて……そしてなにより家族思い……。
「はっ!! な……なにを思ってるんだわたしは。だめだだめだ」
 ステファニーの頭を過ったゾットの優しい笑顔は、首を激しく振ることによりなんとかかき消すことができたが、しばらくはステファニーの顔から火照りは消えてくれなかった。

 そんなこんなでなんとか書類の山を撃破することができたステファニーは、うんと背中を伸ばし大きな安堵の息を漏らした。これでしばらくは書類の仕事はこないはずだと自身に言い聞かせ、事務所を出ると受付あたりでなにやら談笑をしている集団を見かけた。
「ねぇねぇ、あなたは誰に何をあげるの??」
「え……あたしは……その……」
「ほらほら、もったいぶらないで言いなさいよ」
「その……ゾットさんに何かプレゼントをあげたいなって……」
「やっぱりゾットさんかぁ。みんな考えてることは同じってことかぁ……」
「こら。そこで何話してるの。終わったのならさっさと自分の部屋に戻りなさい」
「あ、ステファニーさん!」
 ステファニーを見るや否や、驚いた様子の集団はそそくさと退散し受付回りはあっという間に静かになった。誰もいなくなった受付を眺めながらステファニーは今日一番大きな溜息を吐き、自分の部屋から上着をひったくり、しんしんと降る綿の中を歩いて行った。

「いらっしゃいませー。たくさんの雑貨をご用意してますよー」
 ステファニーがやってきたのは、最寄り町にあるクリスマスマーケットだった。クリスマスまでにはまだ日があるのにも関わらず、クリスマスマーケット内はもうすでにクリスマスが始まっているような雰囲気で溢れていた。町の中心にあるモミの木には雪だるまや星をモチーフにしたオーナメントで飾り付けを施し、不規則な光の瞬きはなんとも幻想的な空間を演出していた。その周りにあるお店も、窓には小さな雪だるまや小さな家を模した飾りが訪れた人の気持ちを盛り上げてくれた。お店毎に違う飾りに心が段々と弾んできたステファニーは手近なお店に入り、中を見て驚いた。
「うわぁ……すごい……」
「あら。いらっしゃい。ゆっくりしていってね」
 お店の主人らしき女性はステファニーを見ると、微笑みながら迎えてくれた。ステファニーは小さくお辞儀をして改めて中を見ると、まるで人形たちの町がそこにあるような賑やかさだった。お店の真ん中にあるテーブルの上には小さなモミの木があり、それを囲むように子供たちやぬいぐるみ、動物までもが嬉しそうに笑っていた。
「すごい……それに、可愛い」
「うふふ。ありがとう。これ、全部あたしが作ったのよ」
「え……ぜ、全部……ですか?」
「ええ。喜んでくれるその顔が見たくてね」
 体を動かすのも少し難しそうなその女性は、ゆっくりと椅子から立ち上がると杖を突きながら歩きだした。ステファニーはその女性が転ばないよう横で補佐をする素振りを見せると、その女性は嬉しそうに微笑みながら頷いた。
「大丈夫だよ。ありがとう」
「いえ……」
「ところで、なにか贈り物をお探しかな」
「っえ……あ……そ……その」
 ぎょっとして驚くステファニーを見てくすくす笑う女性は、ごまかさないでもいいわよと優しくいいどんなプレゼントがいいかを真剣に悩みだした。
「あの……」
「あなたが贈りたいという人物は……上司かしら」
「!!」
「それも……ちょっと憧れの存在だったり……?」
「!!!」
 女性のいうことすべてが当てはまったステファニーの顔は熟したトマトのように赤くなり、答えは聞くよりもその反応がすべてだった。
「そうかい……じゃあ、こんなのはどうだい」
 そう言って女性が選んだのは少し大きめな鳥のブローチだった。翼を大きく広げ生き生きと飛んでいる様は、なんとなくあの人に似ているような気がしたステファニーはそれを手に取りじっくりと眺めた。
「すごい……こんな細かい細工が……」
「うふふ。これはとってもうまくいった作品でね。もうこれ以上いい物は作れない自信があるくらいよ」
 翼の内側に刻まれた模様を細かくすることで影をつけ、より立体的につくることができたと女性は付け加え、その部分を注意してみると本当に立体的に浮かんでくるような錯覚に陥った。
「これ……買います!」
「ありがとう。なら……お代はこれで」
 女性が示した金額と、ブローチの近くにあった値札に大きな差異があることに気が付いたステファニーは女性に尋ねると、女性は首を横に振った。
「いいんだよ。これはあたしの気持ちだよ。どうかそのまま受け取っておくれ」
 女性は手際よく鳥のブローチを小さな箱に入れてから包み、リボンを結ぶとそっとステファニーの手の上に置いた。その時の女性の手の温もりが何かに似ていると感じていたステファニーだが、それが最後までなんだかわからずに女性から箱を受け取った。
「メリークリスマス」
「あ……ありがとうございます」
 箱を上着のポケットにしまい、お店を出ようとしたときステファニーは思わずまたお店に入り女性に尋ねた。
「あ……あの。また……また来てもいいですか?」
「いつでもおいで。相談ならいつでも聞くからね」
「あ……はい。ありがとうございます!」
 ステファニーは女性に深くお辞儀をし、お店を後にした。肌を刺すような冷気に本来なら身震いするはずが今はそれをも溶かすような温かい気持ちでいっぱいだった。


 クリスマスマーケットから戻ってきたステファニーは、上着のポケットからさっき受け取った箱を慎重に取り出し、気付かれないよう衣服の中に忍ばせ何食わぬ顔で上官がいるであろう部屋へと足を動かした。たぶん、この時間ならいる気がしたステファニーの歩幅は段々と大きくなり、上官の部屋までそう時間はかからなかった。
 上官がいるであろう部屋の前に到着したステファニーは、なぜか胸の鼓動が気になり、何度も深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。そうこうしているうちに、気持ちも落ち着いてきたことを確認し、ステファニーは意を決して扉をノックした。
「はぁい。どうぞー」
 少し間延びした返事が聞こえ、入室の許可を得たステファニーはごくりと喉を鳴らしながらドアノブに手をかけた。かちゃりという音と共に開いた扉の先には上官であるゾットが落ち着いた様子で佇んでいた。
「し、失礼します」
 後ろ手で扉を閉め、顔を真っ赤にしながら入ったことにとっくに気が付いているゾットは、まるでそれを知らないかのように普段通りステファニーに接した。
「あぁ、ステファニーか。どうしたんだい。なにか緊急なことでもあったかい」
「あ……いえ。そういうわけでは……」
「そうかい。何かあるとき以外は君はこの部屋に来ないから、てっきりそうかと」
 なんと答えていいかわからず、ステファニーは「と、とりあえず」と声を絞り出しゾットの近くまで歩み寄った。そして、いつも報告書を渡すくらいまでの距離まで近付くにつれ、ステファニーの心は段々と早くなり今にも胸が張り裂けそうな思いだった。
「あ……あの……」
「? どうしたんだい。そんなに声を震わせて」
 ここでゾットはステファニーの様子が本格的におかしいことに気が付き、これはいささかただことではないのではないかと心配になり、ステファニーに歩み寄った。
「いつもの君らしくないじゃないか……なにがあったんだい?」
「あ……あの……その……」
 いざ渡そうとすると足が震え、呼吸が乱れ終いには何をすればいいのかもわからなくなり、ただ声と足を震わせることしかできなった。ステファニーはすっかり動揺してしまい、どうしたものかと考えていると、ステファニーの両手が後ろに組まれていることに気が付いたゾットは少しずつその訳を聞き出せないかと頭を働かせた。
「落ち着いて。君はそんなに怯えていては、ぼくはどうすることもできないよ。さ、深呼吸してみようか」
「は……はひ……」
 ゾットの言うことを理解したステファニーは、肩の力を抜き、大きく息を吸い大きく吐いた。それを何度か繰り返し、ようやく落ち着きを取り戻したのを確認したゾットは次の段階へと話を進めた。
「今日もぼくの代わりをしてもらって……本当にごめんね」
「あ……はい」
 本当は怒るところなのだが、なぜか怒る気になれずただゾットの言葉に身を預けていた。確かに大変だったけど……こうも素直に謝られてしまったら頷くことしかできなくなってしまうことに妙に納得してしまうステファニー。
「今度からぼくがいないときは、ぼくの机の上に置いてもらっていいからね」
「……はい」
「それと……ぼくは君に甘えてしまっているようだ。君がいるから大丈夫なんだろうという気持ちがどこかにあって、君に辛い思いをさせてしまっている……本当にごめん」
「そ……そんな……でも……ちょっとだけ……大変でした」
「素直な気持ちを言ってくれてありがとう。それと、ちょっと気になっていたんだけど……」
 ゾットが気になている箇所を指さすと、それにはっとなったステファニーはまたあたふたとしだし、危うく箱を落としそうになる場面もあったがなんとか回避しステファニーはゾットの前にその箱を差し出した。
「あ……あの。ちょっとだけ早いんですけど……これ……」
「これは……まさかクリスマスプレゼントかい?」
「はい……その……似合うかなと思いまして……」
「ありがとう。さっそく開けてもいいかい?」
「はい」
 まるで少年のように喜びながらリボンを解き、包みを外し中から現れた箱をゆっくりと開けたゾットの顔は更に輝きを増していた。
「これ……ぼくのために?」
「はい……その……気に入って貰えたら嬉しいんですけど……」
「もちろんだよ。さっそく付けてもいいかな」
 声を弾ませ鏡を見ながら胸当たりにブローチをつけるその姿は、本当に心から喜んでいるというのがわかったステファニーは「選んでよかった」と小さく呟いた。それと同時に選んでくれたあの女性にもお礼の念を飛ばした。
「どうかな? ずれていないかな?」
「はい。ばっちりです」
「うわぁ、まさかクリスマスプレゼント貰えるなんて思ってなかったから本当に嬉しいよ。ありがとう」
「どう……いたしまして」
 そっか……あのお店の女性が言っていた意味がなんとなく理解ができた。喜んでいる顔がみたいというあの女性の発言……作った側は買い手側の、買い手側は送る側の喜んだ顔を見るというのはこれほどまで嬉しくなるものなのか。その気持ちがわかったとき、ステファニーは贈り物をするということの大事さを身をもって知ることができた。
「あ……あのさぁ。ステファニー。こんな素敵なものを貰っておいてお願いをするのもなんだけどさ……」
 急に畏まった言い方になったゾットに疑問を抱きつつも、ステファニーはなんでしょうと尋ねると、ゾットは少し間をおいて恥ずかしそうに口を開いた。
「あの……子供たちが喜びそうなプレゼントってどういうのかな……???」
「……へ???」
「ステファニーなら……どんな物を選ぶのかなぁって思って……明日、クリスマスマーケットで手伝ってくれないかな??」
「あ……はぁ……いいで……すけど……」
 まさかゾットのお子さんのプレゼント選びの手伝いをすることになるとは……嬉しい反面ちょっとだけ複雑な思いをしたステファニーであった。
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