メープルシフォンケーキ【神】

文字数 2,744文字

 カエデの木の上で頬を撫でる風を楽しんでいる人物がいた。手には大きな鳥かごを持ち、その籠の中には三羽のツバメが毛づくろいをしっている。彼女の名前はリンガット。風を愛し風を操る者とし、あちこちを飛び回っている。
「今日も心地よい風に感謝です。いってらっしゃい」
 リンガットは鳥かごの施錠を外し、中のツバメたちを空に泳がせた。どのツバメも気持ちよさそうに風を切り、広大な空を動き回る。その様子を静かに見守るリンガットはさしずめ母鳥というところか。元気よく動くツバメたちを見て嬉しそうに頬を緩ませている。
「……争いがなければ、尚のことなのですが……」
 ぽつり呟いたその一言で、リンガットの表情は一気に曇り始めにわか雨が降りそうだった。過去に何度か戦場へと繰り出したことはあったが、どの戦場もただ悲しく空しかった。それ以降、リンガットは避けられるものは避けてきた。なぜなら傷を付けたくないから。誰かに悲しい思いをしてほしくないから。そして、虚無感を覚えて欲しくないから。そんな理由でと笑われることもしばしばだが、彼女が戦いを避ける理由には十分すぎることだった。そうして今日、風を操る者として誰かを傷付ける者が現れた場合のみ、力を振るうと誓った。
「この力であの子たちを守れるのなら……」
 空を泳いでいた一羽がリンガットの肩に止まる。チィチィと鳴き、まるで何か悲しいことでもあったのと話しかけているようだ。この子たちにそんな気持ちを悟られまいと首を横に振り心配しなくて平気と優しく答える。他のツバメたちもリンガットの肩や指先に止まり小さく歌う。その透き通った歌声に耳を傾けていると、遠くの方で何やら悲鳴が聞こえた。
「悲鳴?……様子を見に行きましょう」
 リンガットはツバメたちを鳥かごの中に入るよう指示すると、順序良く中へと吸い込まれていった。ふわりと飛び立ち悲鳴のあった方へと羽ばたかせると、その音がどんどん近づいてくるのがわかる。
「……襲われているの?」
 視線を落とすと、リュックを背負ったウサギ耳をした女の子が野盗に襲われているのが見えた。どうやら女の子のリュックの中に何かがあるようで、執拗に追い回している。必死に逃げ回る女の子だが石につまづき、転んでしまう。しめしめと野盗は女の子を取り囲み、ひょうひょうと歓喜の声を上げる。うち一人の野盗がリンガットに気が付き、手にしていた斧をリンガットに投げつける。それを難なく避けると、リンガットの目が鋭くなった。
「……避けられない戦いならば、致し方ありません。いきますよ」
 リンガットは鳥かごの施錠を外し、ツバメたちを開放した。ツバメたちは外へと出ると、野盗たちに向かってまるで槍のように鋭く飛行した。それを避ける野盗に追い打ちをかけるよう他のツバメたちも連携をこなしている。女の子への視線を外したところでリンガットはその女の子を救助し近くの岩陰に隠れるように指示をした。女の子は頷きそれを確認したリンガットは野盗たちの中へと飛んでいく。
 リンガットは周辺の風を操り、追い払う目的で衝撃波を発生させ、野盗たちに浴びせる。ただこの場から去ってさえくれればそれでいいとリンガットは小さく胸の内で願っていた。
「うがああぁ!!」
 衝撃波をかいくぐった数人の野盗が反撃とばかりに、リンガットへ斧を投げつけてくる。それを今度はリンガットの前で風を発生させ無効化する。
「その攻撃は届きませんよ」
 風に弾かれた斧は跡形もなく砕け、その場には無傷のリンガットが上空で笑みを浮かべていた。その時、リンガットの背後からツバメたちとは違う鋭い何かが通り抜けた。通り抜けたものは野盗の肩に命中し、痛みからの咆哮を上げる。
「そいつらを逃すと後々面倒なことになる。仕留めるなら今しかない」
「あなたは……」
 その少年はよく焼けた肌にクリーム色の髪、手には投身と同じくらい大きな弓を携えていた。その神々しさに一瞬、息をするのを忘れていたリンガットはすぐに意識を戻した。
「俺があいつらを仕留める。お前は俺の援護をしてくれ」
「わかりました」
 少年が弓を引き絞っている後ろで、リンガットは野盗たちに少年の矢がまっすぐ届くよう風を操った。その一線に乗ることができれば通常の数倍以上の効果が得られる。
「ここだっ!」
「追い風です」
 ひょうと放った矢はリンガットの起こした風に乗り、物凄い速度で野盗へと到達し肩を抉る。少年はすぐに新しい矢を手に取り、構えて放つ。その繰り返しを見ているだけなのだが、どれも野盗の肩に命中しその場に崩すことができた。そこへさらに追い打ちをかけるツバメたち。初めて出会ったのにも関わらず、華麗な連携だった。全ての野盗が動かなくなったのを確認したが念のため、ツバメたちに辺りを偵察に行ってもらったが危機は去ったと報告を受けた。その報告を受けてリンガットは緊張感を開放し、ツバメたちに鳥かごの中に入るよう指示をしたが、ツバメたちは中々入ろうとしなかった。
「……どうかしたのかしら」
 すると、ツバメたちは少年の頭や肩に止まり、嬉しそうにさえずった。
「……おや」
「あら。この子たち、あなたのことが気に入ったみたいね」
 しばらくさえずりを楽しんだ少年はツバメたちに感謝をし、風にのってどこかへ行ってしまった。リンガットは少年が去ってからお礼を言うのを忘れてしまったことに少し後悔を覚えた。
「あ……あのう……もう大丈夫ですか」
 岩陰から顔を少しだけ出している、少女が声を発した。もう大丈夫だとリンガットが答えると女の子はうんと背伸びをし、リンガットに深くお辞儀をした。
「先ほどは助けていただきまして、ありがとうございました」
「いえ。お怪我はありませんか」
「はい! おかげさまで」
 リンガットはなぜさっき襲われていたのかを尋ねると、たまたま通りかかっただけだと女の子は言った。通りかかっただけで襲ってくるということが気になったが、これでしばらくは大丈夫だろうとリンガットは思った。
「気を付けていくのよ」
「はい! あ、これを受け取ってください。助けてくれたお礼です」
 女の子がリンガットに手渡した物。それは小さな羽のチャームだった。リンガットの髪色と同じ透き通るような銀色の羽。
「ありがとう。大切にするわ」
「では、あたしはこれにて失礼しますっ!」
 元気にあいさつをした女の子はリュックを背負い直し、歩き始めた。それを見送るリンガットの表情はいつもの微笑みをたたえていた。鳥かごの中のツバメが小さく鳴くとそうねとリンガットは頷いた。
「違う場所へと飛び立ちましょうか。行先は……風に任せましょう」
 リンガットが飛び去ったあとには、小さなつむじ風が発生し木の葉を巻き込み、空高くへと舞い上がった。
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