ザクロのムースパフ

文字数 1,995文字

 気が付くとそこは真っ黒い闇だった。目を開けているはずなのに、自分の手を近付けてもそれすらも確認ができない程に濃い闇……。たしか……おれは戦場に駆り出されて戦っていたはずなんだけど……そこから先の記憶が曖昧で思い出そうとするも、頭の中にノイズのようなものが走り思い出すことができなかった。
 ノイズでかき混ぜられた頭を振り、今の状況をできる範囲で確認してみた。自分はそもそも五体は揃っているのか……生きているのかそれともすでに……? 不確定なことばかりが浮かび結局は何もわからないまま時は過ぎていった。

 ノイズが遠のき、頭の中が晴れてきたころ遠くの方で青い何かが揺らめているのが見えた。その揺らめきは段々と近付いてきて、あと数十秒あればおれのところまでに届く……というところで方向を変えてどこかへ行ってしまった。見つかってはまずいものなのかもと思うと、青い揺らめきがどこかへいってくれたことは幸運だったのかもしれない。ほっと胸を撫でおろし、大きく肩を動かしながら呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
 青い揺らめきが去ってからどのくらいの時が経ったのだろう。今度は紫色に発光する羽のようなものが羽ばたきながらこちらへ近付いてきた。こんな暗いところに……蝶? おれは不可思議に思いながら息を潜め、その闇に浮かぶ光をやり過ごそうとした。しかし、その紫色の光は確実におれのところへ近付き、時折女性の微笑さえ聞こえてくるまでの距離に。さすがにこれはやり過ごせないと思ったおれは、観念をしただそこに佇んだ。
「あら。こんなところに見慣れない方がいるのですね。なにかお困りかしら??」
 その声は女性の優しい口調だった。羽の発光でちゃんと見ることはできないが、ぼんやりと浮かぶところから見るに、若い女性だということくらいしかわからなかった。
「あら。これじゃあきちんとお話できなわね。ちょっと待ってね」
 その女性は軽く手を叩くと、さっきまで自分の手すら確認できない位の闇が一気に晴れ、今度は自分の手や足、体を確認できるまでに光が戻った。
「うん。これでお話できるわね。ところであなたは……迷子かしら?」
 迷子……なのだろうか。気が付いたらここにいたことを伝えると、その女性はうんうんと頷きそれは困ったわねと続けた。確かに困ったことになっている。早く戦場へ戻らねば家臣たちが危険だ……。おれはぎりりと唇を噛むとその女性は何かを取り出し、おれの目の前に差し出した。
「まぁまぁ。そんなに焦らなくてもいいじゃない。まずは……甘くて美味しいザクロでも食べて落ち着きなさいな」
 差し出された果実─ザクロは、真っ赤に色付き見ただけで今が食べごろだというのがわかる。大きく実った果実から見える赤い粒が、きらきらと光っているようにも見えたおれは手を伸ばした。甘い香りがおれの鼻腔をくすぐり、そのまま腹へと流れ込むとぐうと音が鳴った。
「お腹が空いているのね。だったら、我慢せずにお食べなさいな」
 我慢ができなくなったおれは、女性からザクロを受け取ると思い切りかぶりついた。ぷちぷちと弾けながら口の中一杯に果汁が広がり、次いでその果汁は喉を潤し腹を満たす。ふうと一息ついてからまたかぶりつき、三口ほどで食べ終わってしまった。程よく満たされたおれは女性にお礼を言うと、その女性はいいのよと微笑みおれの耳元で囁いた。
「お礼は……一生ここで戦ってくれればいいから……ね?」
 一生……戦う? それはどういう意味だと聞こうと振り向いたとき、おれの膝ががくりと落ちた。やがて全身に力が入らなくなり、俺は地面に伏していると女性は嬉しそうに笑うとふうと息を吹きかけた。
「あなた……異国のものね。だったら、この言葉を知っているかしら?『黄泉竈食』」
 よ……よもつへぐい……。聞いたことある。確か、死人国の物を食べると戻れなくなる……まさか!!
「あら、気が付いた? さっきあなたが食べたザクロ……そういうことなの」
 く……そ。空腹に耐えられなかったとはいえ……まさか、そのようなことをしてしまうとは……くっ! うご……け……おれの……から……だ。

 おれの意思に反して体に大きな重りが乗ったように重く、だんだんと目が霞んできた。目の前にいるはずの女性が二重に見えたり声が反響して聞こえたりと、もうおれは正常ではないことがわかった。
「あら、目が虚ろね。大丈夫。わたしがここであなたの魂をしっかりと管理してあげるから。心配しないでいいのよ。ほら、もう力を抜いて身を委ねて頂戴」
 重さに耐えきれなくなったおれは、足先から何かがすーっと抜けるような感覚に襲われやがて頭にまで達すると意識が遠のき、眠るように消えていった。消えていく意識の中、最後に思い浮かんだのは、必死に戦っている家臣たちの笑顔だった。

     あぁ、家臣たちよ。申し訳ない。あとは……たの……ん……だ。
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