甘くて酸っぱい♪シトラスフレーバー

文字数 3,327文字

 大きな木の幹で弓の手入れをしているエルフ族の少女─シルヴィエ。弦の具合を調整し終えると、それを背負い新緑のフードを被り飛んだ。軽やかな足取りで木々を渡り、日課である森の巡回をしていると、柔らかな風が吹き、優しく木々を揺らしている様子は森が彼女に挨拶をしているかのよう。広大な森は彼女であり、彼女は森そのものでもある。彼女は森やそこに住む動物たちを愛し、守るために戦う。たとえそれが自分より強靭な相手に対しても決してひるまずに弓を絞る。そしてその様子を見ている森も、守ってくれる彼女を守るために戦う。鋭い爪を持つ鳥や普段は大人しい小動物でさえ、彼女に敵対するというのならば容赦はしない。木々は根を張り、侵入者を転ばせたり小動物たちは危険を顧みずに侵入者の視界を邪魔したり、鋭い爪を持つ鳥は空から攻撃をする。最後はシルヴィエがぎりぎりまで引き絞った弓から放たれる強烈な矢で侵入者を完全に沈黙させる。
 今日は侵入者がいないことを確認したシルヴィエは、少しずつ緊張感を解き自分の住処へと帰っていく。新緑のフードを取り、今日も何事もなく終わったことに感謝をし、昨日作った自家製のベリーパイを一齧り。冷めていても果肉の豊かさを味わえるこのパイが大好きなシルヴィエは普段のきりりとした顔から一変、少女らしいあどけない笑顔になった。森の外れで自生していたハーブをティーポットに入れてハーブティーを楽しもうと用意をしていると、窓から一羽の鳥が入ってきた。鳥はシルヴィエの耳元で何かを伝えるとすぐに飛び立っていった。それを聞いたシルヴィエはあどけない笑顔からまたきりりとした顔に戻ると、新緑をフードを被りティーポットの代わりに弓を手に住処を飛び出していった。
 情報によると森の入り口辺りでなにやら怪しい男たちを見たという。鳥たちの情報はとにかく的確でなにより早い。常に集団で飛行しているので何か異常を察知したらシルヴィエの所に行き、それらを伝える。シルヴィエも現地へ到着し息を潜め、周囲に怪しい人物がいないを注意深く見まわした。どこかへ行ってしまったのか、シルヴィエの目にはそれらしき人物は映らなかったため、場所を変えて探すことにした。最初の場所から少し離れた場所に移ったとき、シルヴィエの目にそれらは映った。数は三人程度で全員斧を所持し、ある方向へと進んでいた。進んでいる方向を見たシルヴィエははっとした。まさかと思い、音を立てずに近付くと……その予想は当たってしまう。
 シルヴィエが住んでいるこの森は、神聖な大樹がある。樹齢がいくつかもわからないが、その大樹のおかげでこの森の生命の輪廻は守られている。健やかに育つ小動物たちはもちろん、小動物たちが食べる木の実や生活に欠かせないハーブもこの大樹の恩恵を受け実っている。そしていつしか、その大樹の噂が広まりその恩恵を受けようとする邪な考えを持つものが現れる。噂とはその大樹の樹皮があれば生きていく上で食料に困ることがないというものだった。しかし、それは大樹がこの森にあるから可能なことであり、仮にその大樹の一部を持ち出したからといって、本当に噂通りになるのかはわからない。仮に持ち出せた場合、引きはがされた箇所から徐々に腐り、実りがなくなり最悪この森がなくなってしまうことの方がシルヴィエは怖かった。

そんなことはさせない……絶対。

 シルヴィエは強い意志を瞳に込め、侵入者に矢が届くぎりぎりまで距離まで近付いた。
「あー、やっと着いた。これっすか? その噂の大樹ってやつ」
「ああ。この大樹の樹皮でもなんでも構わん。たくさん引きはがして村に持ち帰るんだ」
「りょーかいっす」
「それと、この斧で手頃な幹も持ち帰りたい。あとで手伝ってくれ」
「人使い荒いっすね。ま、あとで分けてくれるなら話は考えますけど」
 下衆の声を聞いたシルヴィエの胸は、なんとも言えない気持ちの悪い渦でかき混ぜられていた。あんな輩にこの森を穢されないためにも、戦わなきゃ。シルヴィエは矢筒から矢を引き抜き、番える。ぎりぎりと音を立てるまで引き絞り狙いを定めた。威嚇射撃の目標は、足元。

 ヒュッ

 空を切る音と共に射出された矢は、リーダー格の輩の足元へと突き刺さった。もし、もう一歩踏み出していたらその矢は地面ではなく、その侵入者の足を深々と貫いていたかもしれない。一瞬、なにが起きたか理解が追い付いていない侵入者たちに追い打ちをかけるよう、シルヴィエは高音の指笛を吹いた。その音を聞いてやってきたのは猛禽類の群れだった。シルヴィエが侵入者を指さすと、猛禽類の群れは一斉に侵入者に襲い掛かった。嘴や爪、はたまた耳元での甲高い鳴き声で侵入者を攻撃すると、それに恐れをなした侵入者はそれまで拾っていた枝の入った袋を投げ出し森の出入り口まで走り出した。
 次に待ち構えていたのは、小動物たちだった。木の枝からその様子を見ていた小動物たちが侵入者を目視すると、タイミングを合わせ降下。小動物たちは侵入者たちの肩にとまると一斉に耳たぶに噛みついた。
「いってぇーーー!!」
「あだだだだっ!! 痛い! 痛い!!!」
「勘弁だよーー!!」
 あまりの激痛に涙を流しながら森から出ていく侵入者を確認したシルヴィエは、弓を背負いフードを脱いだ。これで森を穢されずに済んだと思うと緊張感が解かれ、思わず頬が緩む。とそこへ、さっき侵入者たちの耳たぶに噛みついた小動物たちがシルヴィエの肩に集まり小さな鳴き声を上げる。続いて最初に襲い掛かった猛禽類たちも小動物たちとは反対の肩にとまり嬉しそうに鳴いた。両肩にとまっている動物たちに森を守ってくれるのに協力してくれてありがとうと小さくお礼を言いながら撫で、シルヴィエはいつもより軽い足取りで自分の住処へと帰っていった。

 翌朝。気持ちの良い朝を迎えたシルヴィエは寝床で軽く伸びをし、ゆっくりと立ち上がった。心地の良い風に吹かれながらシルヴィエは昨日飲み損ねたハーブティーの準備を始めた。自然の力に蓄えられた水をたっぷりとポットに注ぎ焚火の上で沸かす。ぐつぐつと音が聞こえたらそれを零さないようにカップに注ぎ、湯気と共に香るハーブがシルヴィエの気持ちを高めていった。
 充分にハーブを蒸らし終えたら火傷をしないよう、ゆっくりとカップを傾けていく。優しい水の甘みとハーブが織りなすリラックス効果にうっとりとしていると、窓から伝達係の鳥が入ってシルヴィエの耳元で囁く。その内容に思わず驚き、危うくカップを落としそうになるも、どうにかそれだけは免れることができた。伝え終わった鳥はまた窓から外へと飛び立っていったのだが、シルヴィエの顔はどうにも晴れない。むしろ、なにかまずいことを聞いてしまったかのような難しい顔をしていた。
 それもそのはず。この森に住み始めた頃、シルヴィエの祖父から妙な話を聞いた。まるで沼が生きているような魔物が現れると。そしてその魔物はすべての生き物を食べ尽くす……と。まさかその話が本当になろうとは夢にも思っていなかったシルヴィエの手は小刻みに震えていた。すべての生き物……自分はもちろん、この森で息づく草木や小動物、鳥たちもすべてがと思うと、恐怖で体が震えだした。

 いやだ そんなのいやだ 失いたくない

 唇を噛みしめ、目を強く瞑り首を思い切り横に振る。絶対になくしてなるものか……。自分を抱きしめている手に更なる力を込めて、シルヴィエは涙を拭い立ち上がった。この森も、この森で暮らしている動物たちも、そして自分も……全部守って見せる。力の籠った眼差しで先を見据えるシルヴィエに応えるように、たくさんの小動物が集まりちいちいと鳴き始めた。そして今度はその小動物の鳴き声に応えるように猛禽類がシルヴィエの肩にとまり頬にすり寄ってくる。

 ありがとう 力を……貸してくれる?

 もちろんだとばかりに猛禽類は鳴き、任せなさいとばかりに飛び跳ねる小動物たち。その姿に心を打たれたシルヴィエは自分に喝を入れ、新緑のフードを被り、壁に立てかけてあった愛用の弓に手を伸ばす。案内役の鳥から場所を確認し、シルヴィエはこの森に生きるすべてを守る戦いへと赴いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み