プラムとゴールドキウイのカクテルゼリー

文字数 5,733文字

 出入口と思われる扉には一枚の紙が貼られ、こう書かれていた。

 協力して脱出したまえ

 シンプルにこれだけだった。そして、部屋の中には気絶している二人がいて、まだこの紙の存在を知らない。この紙の存在を知ったら、きっと向かって右側にいる人物なら怒り狂い、左側の人物なら涙目になるそんな気がしていた。
 小さな声を出して最初に目を覚ましたのは、向かって左側の少年─ファイロ。小柄な彼は常になにかに怯えるているような表情をし、あたりをきょろきょろと見回した。ただ無機質な部屋にはなにもなく、ファイロたちを照らす照明器具は天井からぶら下がっている以外を挙げるなら、自分のほかにもう一人いることくらい。ファイロは自身の背丈の倍以上の長さの杖をつきながらゆっくりと歩み寄る。真っ黒い肌にピンク色の頭髪、口を閉じていてもわかる牙……ファイロは知らない人だとわかると自身が着ていたローブを脱ぎ、その人物にかけた。そしてファイロは四角い部屋に何かないかと調べたのが、出入口に貼ってあった紙だった。その文面を見たファイロの顔色は段々と青ざめ、額から汗が流れ始めていた。
「うーん……あらぁ……ここはどこなの……って寒っ!! なんなの!??」
 目覚めてすぐに悲鳴を上げたのは七罪の憤怒を司る悪魔─サタンだった。鍛え上げられた肉体とは裏腹に、声色は予想を裏切るやや高めの

が加わっているものだった。
「なんなのここ? それに……アンタはだれよ??」
 急に大声をぶつけられたファイロはびくりと体を震わせ、がたがたと怯え始めた。次第に足に力が入らなくなったのか、ぺたりと座り込んでしまった。
「アンタ、自分の名前くらい言えないのかしら?」
「ぼ……ぼく……ぼくは……あ……あ……」
 ファイロが怯えていることに気が付いたサタンは、自身に対し大きくため息をついて謝罪した。
「あら、アタシったらいけないわね。初対面の子に対して……ごめんなさいね。アタシはサタン。七罪の憤怒を司ってるの。よろしくネ。あなたの名前を聞いてもいいかしら?」
「ぼ……ぼくは……ふぁ……ファイロって言います」
 ファイロは必死に絞り出した声で答えると、それを聞いたサタンはにこりと笑いファイロに手を差し伸べた。
「急に大きな声を出してごめんなさいね。それに、これをかけてくれたのはアナタよね。ありがと」
 サタンはファイロがかけてくれたローブを返し、頭を撫でた。まだ緊張しているファイロを少しでも安心させてあげようというサタンなりの気遣いだった。
「あ……い、いえ……」
「もう。そんなに怯えなくても平気よ。今はこの状況をどうにかしましょ」
「は……はい」
 サタンは出入口に何か貼ってあることに気づき、それを引っぺがし凝視した。少しずつではあるがサタンの肩が小刻みに揺れていることに気が付いたファイロはまたびくりと体を震わせる。
「もーー! 一体なんなのよぉーー! なにがなんでも出てやるわよ! 誰だか知らないけど、アタシをここに入れたことを後悔させてあげるから……覚悟なさい!!」
 貼られた紙を憤怒の炎で燃やし、歯をぎりぎりと鳴らしながら扉を殴るサタンではあるが扉はびくともせず、代わりに金属音が響いただけだった。ぜえぜえと呼吸をしながら、怒りを鎮めていくサタンにすっかり怯えてしまったファイロはその場から動くことができなかった。

「さぁて、どうやってここから出るかなんだけど……アタシが殴ってもダメだったんだから……きっと謎かけがあるのかもしれないわねぇ……ちょっと調べてみましょうか」
 サタンは気になる箇所をすべて調べてみたものの、この部屋から脱出ができそうなものが出てこなかった。はぁと溜息をつき、今度はファイロが調べてみるといい部屋をくまなく調べてみた。
「ムダよ。そこはさっきアタシが調べたんだもの。見つかりっこないわ」
「そ……そっかぁ……わぁ!!」
 ファイロが抱えている杖から雷鳥が飛び出し、あたりを旋回した。ばちばちと稲光を発しながら飛ぶそれは怪しいものがあるといわんばかりに鳴き始めた。
「え、なにあの子。アナタの知り合いなの?」
「は……はい。この杖に宿っている精霊なんです。なにかあったみたいです」
 雷鳥は体当たりをして、怪しいものを落とすとファイロがそれを拾い上げた。小さくて丸いそれは一体何に使うのか……見当がつかない二人は一緒に首を捻った。
「なにかしら……これ?」
「さ……さぁ。でも、何かの役に立つかもしれませんね。持っておきましょう」
 拾い上げたものをポケットにしまい、ファイロは雷鳥にほかに何かないかを調べてもらったのだが、それ以外に気になるものはなかったようで悲しそうに鳴きながら杖の中へと帰っていった。それからも二人はほかに見落としているところがあるかもしれないと、協力して部屋の隅々を調べていったのだが、結果は何も出ず。さすがに疲れたのか、サタンは腰を下ろしファイロも杖伝いに腰を下ろして休むことにした。
「ふぅ……ちょっと休みましょ。気を張り詰めすぎちゃダメよ」
「はい……すみません」
「もう……あなたはなにも悪いことしてないじゃない。謝らないで。こう見えてアタシ、優しいんだから」
「すみません……」
「ほらまた。アナタ、謝ることが口癖になってるんじゃなくって?」
「そう……かもしれません」
「なにかあったのかしら……アタシでよければ相談にのるわよ」
「実は……」
 ファイロは元々、外に出て刺激を求めるタイプではない。できるのなら部屋で本を読んでいたり、調べものをしていたい方だ。それがいつしか、こうして杖を持って各地を旅することとなった。理由は村にある伝承だった。ファイロの住む村には昔から言い伝えられていることがあり、それは村に住む全員に杖が渡されある時期になると雷を帯びた鳥が杖に舞い降りるというものだ。その雷を帯びた鳥が杖に舞い降りた村人は神様からの信託を受け取ったということで、世界見聞の旅に出るというもの。そして、その見聞きしたことを村人全員に教えるという役目を担う。まさか自分に舞い降りることなんて想像もしていなかったファイロは、杖と最低限の荷物を持って世界見聞の旅を始めたのだった。しかし、ファイロは慣れない旅でたくさんの失敗を経験し、いつしかそれを自分のせいだと決めつけるようになった。雷を帯びた鳥の力を借りた魔法が失敗したのは自分の経験不足のせい、判断が遅れてしまったのは自分のせい、困っている人を助けることができなかったのは自分のせい……それが積み重なっていった結果、何に対しても反射的に謝ってしまうという行動につながった。
 話を聞き終えたサタンは、いつの間にか自分の膝ですやすやと寝ているファイロの顔を見てふっと頬を緩めた。
「バカな子ね。最初は誰だって失敗するものよ。大丈夫、アナタはきっと強くなれるわ」
 優しくファイロの髪を撫でるサタンの顔は、とても憤怒を司っているものとは思えないほど柔らかく温かい笑みを浮かべていた。


 ビー ビー ビー

 突如部屋に鳴り響く警告音。サタンの膝で眠っていたファイロは飛び起き、サタンは飛び起きたファイロを抱きしめ落ち着かせる。未だ鳴りやまない警告音に不安になったファイロが泣き出すも、それをサタンが優しくなだめる。なだめているサタンも心は穏やかではなく、なにか嫌な予感がするのを胸が感じ取っていた。
 (なぁんかこういうのってあるのよねぇ……でも今はこの子を守らないと……)
 こんな感情が生まれたことに対して、サタン自身驚いていた。誰かを守らないと……今まで怒りの炎で燃やし尽くしてきた悪魔が言えることではないのはわかっているが……今はなんとしてもファイロを守り抜くことを決めていた。
「い……一体何が起こるのでしょう……」
「わからないわ。でも、今離れちゃ危ないわ」
「は……はい。でも……ちょっと苦しい……です」
「あらやだ。ごめんなさいね」
 そうこうしているうちに警告音は鳴りやんだ。しばらく無音の状態が続いたのかと思ったのだが、一部の床がスライドし何かがせり上がってくる。せり上がりが終わったころには、たくさんの悪魔がにたりと笑いながらこちらを見据えていた。そして、そのうちの一匹が吠えるのと同時にサタンたちに襲い掛かってきた。
「ちょっと~。なんなのよこの数! あっちいきなさい!」

 ボワッ

 サタンが空を撫でると、無数の悪魔たちに着火し文字通り

。そして
その背後からまた新たな悪魔が現れ、燃やされ続けていった。さすがの七罪を司るサタンでも少しだけ焦りを感じていた。それは守ろうと決めているファイロの存在だった。自分ひとりだけならこの程度はすぐに燃やしてしまえるのだが、ファイロは純粋な人間。もしここでサタンが力を解放してしまったら……さっきの悪魔たちと同じ運命を辿ってしまう可能性がある。そんなことは絶対にしないと思いつつも、無尽蔵に現れる悪魔に構っていてはいつかは尽きてしまう。どうしようかと考えていると、ファイロが震えた声でサタンに提案をした。
「サタンさん。ぼくを近くの角っこまで運んでもらえますか?」
「角? 構わないけど……そんなことしたら逃げ場がなくなるわよ?」
「大丈夫です。ぼくに考えがあります」
「アナタ……わかったわ。ちょっと待っててちょうだいね」
 襲ってくる悪魔たちを一掃し、サタンはファイロを抱きかかえながら出入口付近の隅へと移動した。これでもう逃げ場はない。背筋にひやりとするものを感じながらサタンはファイロを下すと、ファイロは床を杖で何度か叩きながら詠唱を始めた。

 雷を司りし霊鳥よ 角にて現るその力 今放たん

 さっき、照明器具から怪しいものを見つけてくれた雷を纏う鳥が現れ、猛々しく鳴いた。青白く光る翼を何度か羽ばたかせると、サタンの体に変化が訪れた。
「あら……なにかしら。力が湧いてくる……これ、アナタの力なの?」
「た……正しくはこの子の力です。ぼくが角っこにいるときでしか発動できない魔法なのですが……」
「イイワ。今はそれだけでも十分よ♡」
 体の奥底から湧き出る力に、サタンは高笑いを浮かべながら炎を投げつけていく。溢れ出る悪魔を何度も燃やして燃やして、この力があればこいつらを全部消し去ってしまうこともできるのではないかとサタンが思っていた矢先、背後から悲鳴が聞こえた。ファイロが悪魔たちに襲われているのだった。ある悪魔は手にした得物で雷鳥を傷つけ、またある悪魔はファイロに直接危害を加えていた。必死に雷鳥を庇うファイロに攻撃の手を緩めない悪魔を目にしたサタンは泣きながら耐えている少年の名前を呼んだ。
「っ……ファイロ!!」
 サタンは自分を呪った。高揚感に我を忘れ、助けてくれたファイロが助けを求めていることに気が付かなかったなんて……なんて……なんて愚かなの!! ふつふつと腹の奥で煮えたぎる怒りに、サタンは吠えた。助けてくれたファイロを傷つけた悪魔共、そして何より自分自身が許せなくて。サタンは憤怒の炎を揺らめかせ、今までにないくらいの声で吠えた。
「許さないわ……絶対……ぜぇったい!! アタシはアタシを許さないわぁああ!!」


「ん……んん……あれ……サタン……さん?」
「あら。気が付いた。もう大丈夫よ」
 サタンの膝の上で気が付いたファイロは、ゆっくりと首だけを動かした。さっきまではこの部屋は悪魔で溢れていたのに……。それが何も残っていないことを不思議に思い、それまでのことを思い出そうとした。
「あれ……ぼく、悪魔に襲われて……それから……サタンさんの声が聞こえて……んっ」
 言い出そうとしたとき、サタンから人差し指で制されてしまった。
「ダーメ。そこから先は言わせないわよ」
 ウインクも交じり、これ以上は言ってはだめだと思ったファイロは言うのを止め、ゆっくりと体を起こして開かない扉の前で立ち尽くした。
「これ……どうやったら開くのかな……」
 何度も引っ張ってみたり叩いてみたりもしたが、びくともしなかったのはもうわかっているのにやらないわけにはいかない。何度も何度も引っ張って開けようとしたとき、ファイロのポケットから甲高い音が聞こえたと同時に、びくともしなかった扉からカチリという音がした。
「まさか……あ!」
 ファイロがゆっくりと扉の取っ手を引くと、錆びた音と共に扉が開いた。扉の先から溢れる白い光に手を抑えて先を見ると、そこは紛れもなく外だった。
「もしかして……さっきの丸いものってカギだったのかも……?」
「かもしれないわね……それにしても……ファイロ。あなた、よくやったわね。ありがと♡」
 嬉しさのあまり、サタンはファイロをハグした。サタンなりの感謝の伝え方なのだが、慣れていないファイロの顔は真っ赤に染まり、あたふたとしだした。
「あら。刺激が強かったかしら?」
「も……もう。サタンさんったら……びっくりしましたよ……」
「いいじゃない。こうして協力して外に出られたのだもの。といっても、主にファイロが頑張ってくれたおかげなんだけどね」
「そ……そんなこと……」
「あるわよ。アナタがあの魔法を使ってくれなかったら今頃どうなっていたか……」
「あ……う……」
「アナタには力があるのはわかってるの。もっと自信持ちなさい。七罪の憤怒を司るアタシがいうんだもの。もっと胸をはりなさい」
「あ……はい! ありがとうございます」
「うん。いい笑顔。頑張りなさい。また会えるのを楽しみにしてるワ♡」
 サタンは投げキッスをすると、また顔を真っ赤にするファイロを見て笑う。ま、たまにはこんな風に笑うのも悪くないわねとサタンは思い、自分の世界へと続く門を召喚しファイロに別れを告げる。
「ぼくはもっとできる……んだよね」
 杖から雷鳥が現れ、小さく鳴いた。その鳴き声を肯定と受け取ったファイロの顔は、いつもおどおどしている顔ではなく、どこか嬉しそうな顔をしていた。七罪の悪魔とは言っていたけど……そんな悪い人には到底思えなかったファイロはここで経験したことを次に生かすため、旅を続けた。またあの人に会えたとき、以前よりも胸を張ってお話ができるように……。
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