ぶきっちょマフィン【竜】

文字数 4,033文字

「……ったく。ここは広いな……」
 麦わら帽子から飛び出した角、風通しのよい作業着の上から見える屈強な体には不釣り合いな籠を背負い、豊かに実った小麦を詰め込んでいた。腰の付け根あたりから覗く太い尾は暑さにバテているかのようにだらりと垂れていた。
 いつもは右手には愛用の大剣を握っているのだが、今日はそれの代わりに小さな鎌を握りひとつまたひとつと小麦の束を刈っていく。それらを慣れない手つきで籠へと放り少しずつ進んでいく。額から流れる汗を拭いながら青年はふうと息を吐いた。だいぶ進んだと思い、後ろを振り返るもまだまだ刈り終えていない箇所の方が多かった。思っていたよりも重労働だということに気が付かされ、青年は今度は重めの息を吐いた。
 青年─レグスは今日も報酬金を求めて点々としていた。道案内やアイテムの配達、本領発揮ができる大型の魔物との戦闘などと幅広い。いつもの酒場でなにか手頃な依頼がないか探していると、今までに見かけたことのない依頼に目を止めた。

 
 収穫のお手伝いを募集します。簡単ではありますが食事と小さいですが居住施設もあります。
                                  デメテル

「……収穫?」
 あまり耳に馴染みのない言葉に思わず言葉が漏れた。だが気が付いたときにはその依頼書に手を伸ばしているレグスがいた。今までとは違うなにか嗅いだことのない匂いを感じたレグスは柄にもない依頼書を手に受付を済ませ、依頼者のいる場所まで案内された。その場所までは少し時間はかかると受付の人は言っていたが、実際はそこまで時間がかかったわけでもなく朝方に酒場を出て太陽が頂点に届くか否かという時刻に依頼者の住んでいる場所に到着した。

  コンコン

 力を加減しながら扉をノックするレグス。しばらくして中から柔らかい女性の声が聞こえ、現れたのは金色の髪色をした女性─デメテルだった。この女性こそが今回の依頼者であると認識したレグスはいつもの鋭い視線から少しだけ緩んだ視線へ変え、依頼者であるデメテルに挨拶をした。
「その……なんだ。収穫の手伝いをしにきたレグスってんだ。よろしく頼む」
「まぁ! 嬉しいわ。さ、中に入って」
 ぱぁっと表情を明るくさせたデメテルは、早速建物の中へと招き入れた。中はちょっとした喫茶店のようになっており、甘い香りがふわりと漂った。人は誰もおらず、代わりにデメテルとその隣で竪琴を練習している青年─ケツァルコアトルがいた。ケツァルコアトルに軽く会釈をした後、簡単にデメテルから収穫について説明を受け収穫に必要な道具一式を渡されると、小さな小屋のような場所に案内された。そこでは最低限の生活ができるようなスペースがあり、可もなく不可もなくといった空間が広がっていた。
「レグスさんが帰るまで、この部屋は自由に使っていいですからね」
「あ、ああ。世話になる」
「うふふ。準備ができたらさっきのお店まできてちょうだいね。作業をする場所へ案内するわ」
 そういってデメテルは扉を静かに閉めた。部屋に一人になったレグスは「っしゃ!」と自分に気合を入れ無骨な鎧を脱ぎ捨て、渡された作業着に袖を通した。今まで重たい鎧を着ていたからか、軽くて動きやすい服はなんとなく落ち着かない感じがして力加減を間違えてしまう程だった。それに少しすーすーする感じもあり、戸惑いながら裏口からデメテルに準備ができたことを告げるとデメテルはにこっと笑い、作業場へ案内してくれた。
「ここよ」
「げっ! マジかよ……」
 デメテルがにっこりと指さした先は、広大な小麦畑が広がっていた。広大すぎて先が見えないくらいに広い小麦畑を見たレグスは思わずぎょっとした。
「そんなに驚かなくてもいいわ。レグスさんができるところまでで結構よ」
「……にしても……デカすぎだろ」
 デメテルはある程度の収穫ができれば良いと言い、さっきの店へと戻っていった。太陽がいよいよ頂点に達したの同時に、レグスは小さな鎌を持ち作業を開始した。


 作業を開始して数時間。いつの間にか夢中になり収穫作業を続けていたレグスは、遠くから聞こえるデメテルの声で我に返った。その声がする方を向くと、大きなバスケットを抱えたデメテルとケツァルコアトルがこっちへ向かってきていた。
「レグスさーん! 少し休憩しましょう」
「あ……もうそんな時間なのか?」
 さっき見たときはほんの僅かしか進んでいなかったのが、今ではだいぶ進んでいるのに気が付いた。それを見て初めてここまで収穫したんだという実感が沸いたレグスはその場に腰を落とし、大の字になり転がった。じりじりと照り付ける太陽が痛いが今はそれが心地よいそんな気持ちの中、デメテルから差し出されたサンドイッチに手を伸ばしかぶりついた。
「……うまっ!」
「うふふ。喜んで貰えて嬉しいわ」
「これも……これも! 全部うめぇ!!」
 右手には野菜たっぷりのサンドイッチ、左手にはこんがり焼けたホットビスケットを持ち交互に食べているレグスに二人はくすっと笑った。
「こんなに美味しそうに食べている方を見ると、やっぱり作った甲斐がありますね」
「そうね。これがわたしのやり甲斐でもあるわね」
「んあ?」
 指についたソースを舐めながらレグスは二人を見た。二人は視線を合わせ小さくうなずくと、このサンドイッチやビスケットはすべてこの畑から作られたものだということを告げた。大地の実りに感謝し、その恵みをいただくことで健やかに過ごせるというのを繰り返しているのだとデメテルは言った。それをレグスは「ふーん」と言いながら次のサンドイッチに手を伸ばして、止めた。
「……今までそんな風に考えたことなかったな……。あんた、すげぇな」
 戦いに身を任せて生きてきたレグスにとって、食事とはただ腹を満たすだけのものだと思っていた。腹に入れば何でもいい。美味ければ尚のこといい。ただそれだけなのだが、今こうして自らが作物を収穫し、その収穫したものが自分の腹を満たすものに変わるということが新鮮だった。そしてそれをしているデメテルとケツァルコアトルに対して見方が変わった。
「オレは今までずっと戦ってばかりだったからこういうことはわかんねぇけど……こういうのも悪くねぇな」
 酒場からの依頼を達成したり、戦いに勝利にしたときに得る達成感とは少し異なる達成感にレグスの頬は自然と緩んだ。その顔は鋭い切っ先のようなものではなく、心から笑っているようにも見えた。
「さぁ、もう少ししたら残りをやっちまうから。飲み物とかそこに置いといてくれや」
 最後にサンドイッチに手を伸ばし、口に含みながら鎌を手に取り作業を再開させたレグス。コツがわかってきたのか今ではリズムよく刈り取っていっていた。

 日も暮れ、少し肌寒くなった頃。レグスは頃合いを見つけ作業道具を手にデメテルの店へと戻っていった。店の中では夕食の準備をしている二人がレグスを出迎えてくれた。今日のメニューはデメテルが丹精込めて育てた野菜をたっぷり使ったシチューと大きなまんまるカンパーニュ。カンパーニュは焼き立てなのか、皿の上で甘く香ばしい湯気を発していた。その匂いにレグスの腹がぐぅと鳴り、デメテルとケツァルコアトルは手招きをした。
「さ、一緒に食べましょ」
「大地の恵みに感謝を」
「明日の健康に感謝を」
「「いただきます」」
 両手を併せ挨拶をしてから、レグスはまず大きなカンパーニュに手を伸ばした。あつあつのカンパーニュに驚きながらゆっくりと半分に割った。すると中から更に香ばしい香りが放たれレグスの鼻腔をくすぐった。まずはそのままかぶりつくと、小麦の甘さや香ばしさが口の中に広がり疲弊した体にじんわりと染みわたっていく。続いて野菜シチューに手を伸ばすと、これもまたミルクの優しい甘さと野菜本来の甘さが合わさりレグスの胃袋を満たしていく。
「うっま!」
 心からの叫びにレグスの食欲はスイッチが入ったのか、いつも酒場で食べているときと同じペースでカンパーニュをかじった。カンパーニュをかじり、シチューを美味しそうに飲んでいるデメテルとケツァルコアトルは自分たちが食べるのを忘れ、レグスの気持ちの良い食べっぷりに思わず笑った。その笑い声に自分のことだと思ったレグスは頬を赤くしながら恥ずかしそうに頭をかいた。いつもは一人で食事を摂ることが多いレグスにとって、こうして複数人で食事をすること自体珍しく、そしてその輪の中に自然に溶け込んでいるということにもレグスは内心驚いていた。誰かと語らいながら、笑いながらの食事はこうも味覚をいつも以上に刺激し美味しい料理が尚も美味しく感じられることに心が躍り、レグスはいつも以上に多いに笑い語った。

 美味しい食事の時間はあっという間に過ぎ、今度は後片付けをする時間となった。今まで後片付けをあまりしたことがなかったレグスにとってこれもまた新鮮な気持ちになり、食器を落とさないようシンクへと運んだ。それを嬉しそうに受け取るデメテルに洗い終わった食器を乾いた布で拭いていくケツァルコアトル。食器を運び終えたレグスは二人に休んでていいと言われ、なんとも落ち着かない気持ちのまま一言断ってから小屋へと向かった。小屋に入りふかふかのベッドに倒れると、今日一日の出来事がぐるぐると巡り時間が経つのは早いものだなと呟いた。やがて窓から差し込む柔らかい月の光に目を向けると、この依頼を受けて間違いはなかったと思った。食についての考えを改めることができたし、こうして自分自身で収穫を行うことで戦っているときとは違う充実感を味わっていてそれが気持ちがよいと感じている。
「……傭兵稼業が少しの間お休みってのも悪くねぇや」
 戦うことも大事だが、こうして戦い以外に目を向けることも大事ではないかと感じたレグスはこの依頼に巡り合えたこと、食に対して教えてくれた二人に感謝をしながら深い微睡に落ちていった。
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