メモリーズジュエル【魔】

文字数 9,715文字

「ちょっとなんでいつもこうなのよーー」
「少しは慎重に行動しなさいってあれほど言ってるじゃないの!!」
 今、私─ムーニアと(自称トレジャーハンター)のアディは遺跡を守る先住民たちに絶賛追いかけられ中。なんでも、この遺跡にある石像がアディの知り合いたちが欲しがっているという幻の宝物だとか。なんで私がアディと一緒にいるかって? まぁ、趣味が同じってところで通じ合ったってとこかしら? そんなことは今はどうでもいいの。今はこの先住民たちから逃げ切ることだけを考えなきゃ。
「ちょっとムーニア! あたしを置いていかないでよー」
「だったらもう少し足を動かせばいいだけでしょ? 私は先に行くわ……って!!!」
 鬱蒼とした森林地帯の出口が見えてほっとしたのも束の間、そこに現れたのは断崖絶壁だった。あともう一歩……いや、半歩足を出してたら真っ逆さまに落ちているところだ。
「ああ! ムーニア! 止まらないで!! 後ろからたくさん来てるよ!!」
「そんなこと言ったって、ここから先は危険なのよ! と、止まりなさい!!」
「いやぁあ! 捕まりたくないー!!」
「え……ちょっと……あなた……」
「「きゃあああああああああああああ!!!!」」
 アディが私に突っ込んできて、勢いが余って二人揃って崖の下へと真っ逆さま……。空気を切る音とともに聞こえるアディの悲鳴もなんのその、私は下を流れる川へと着水する準備をした。こんなところでやられてたまるもんですか。
「ちょっとアディ。しっかりしなさい。着水するわよ!」
「な……なんでムーニアそこまで冷静なの??」
「そんなのいいから。もうす……」

 ざっぱーーん

 大きな水柱をあげながら私たちは着水。体全体に打ち付けるような痛みがあるも、今は難を逃れられただけラッキーだと思う。急いで水面に顔を出し酸素を補給しながら、安全な陸地へと泳ぎ呼吸を整えた。アディは流されながらもなんとか陸地に辿り着き仰向けになってぜぇぜぇと呼吸をした。
「はぁ……はぁ……助かったぁ……はぁ……」
「ちょっと……あなたといると私にまで被害がくるんだけど……」
「ごめんってばぁ。あれは確かにあたしが不用心だったことは謝るから……そんなに怒らないで」
「まったくもう……」
 アディが歩けるまでまだ時間がかかりそうだから、なんでアディと組むようになったか話すわね。私が

の家を後にしてから数日後、とある村に到着したときにこんなところよりもこの先に大きな町があると言い、その町のある方向を指さした村人がいたの。私はまだまだ元気いっぱいだったからその人にお礼を言ってその町を目指したの。天気も良かったしちょっとしたお散歩感覚で町へと向かうと、確かにさっきの村とは比べ物にならない位(ごめんなさい汗)、賑わっていたの。あっちでは商人が熱心に商品を紹介していたり、こっちではたくさん買い物を済ませて満足そうに笑っている人がいたりと様々だった。私は最初に目のついた小さな建物へと入ると、そこはちょっとしたギルドのようなところだったの。そこでは数々の依頼書が壁にべたべたと貼り付けられてて、気に入った内容であればそれを引きはがしてオーナーへと提出してその依頼をこなすというもの。私は何か目ぼしいものはないかなと思って視線を巡らせていると気になった依頼書があったから手を伸ばしたの。そしたら私の他に誰かが私の手の上に被さってきたの。突然のことに驚いていると、その手の先では嬉しそうに笑いながら手を振る彼女─アディがいたの。同じ目的なら一緒に行動したほうが効率的だよねという彼女の言葉に私はすぐに頷き、行動を共にするようになったってわけ。そこから先は……もうなんとなく察しているんでしょ。そう、そんな感じよ。あ、アディがもう歩けるみたいだからこの話はもうおしまい。さ、どこかで体を休める場所を探さないと。
「ムーニア。お待たせ。もう歩けるからちょっと移動しようか」
「わかったわ。今、行くわ」
 私はリュックを担ぎ、アディの後を追いかけた。さっきまでしょんぼりしてたアディも気持ちを落ち着かせたのか、いつもの元気な笑顔へと変わっていて、ちょっとだけ安心した。

 歩き始めてしばらく。空はだいぶ暗くなってきて、川べりを歩く私たちに寒風が悪戯をする。さすがにこのまま歩き続けるのは得策じゃないと思い、アディに森の中に入ろうと提案すると返事をするよりも先に森の中へと入り寒風からの悪戯を少しだけかわした。
 涼やかな音色を奏でる虫、夜の番をする鳥の鳴き声、時々聞こえる獣の唸り声などが聞こえるけど……いざとなればまた逃げればいい。最悪は対峙しなきゃいけないかもしれないけど……丸腰じゃないから。私は短剣、アディは鞭を持っているから大丈夫……かもしれない。
「ムーニア。もし、何も見つからなかったら……どうしよっか」
「その時はその時ね。覚悟を決めるしかないわ」
 こういう時は野宿をするって相場が決まってるもの。そう答えるとやっぱりかと言い、がくりと肩を落とすアディ。トレジャーハンターはもうそんなの慣れっこじゃないの?? それとも私が異常なのかしら??
 小言を言っているアディよりも、私はふとあることが気になった。確か……前にもこんなことなかったかしら。こんなことってどんなことだったっけ……記憶を掘り返してみると確かにそういったこともあったけど……なんだっけ。
「ねぇ、ムーニアぁ。どこかに大きな家みたいなのないかなぁ……」
「もう……そんな都合のいいことなんてあるわけ……あった」
「そうだよね。ないよねぇ……はぁ……え?」
 私は木々の隙間から豪邸が見え、足を止めた。まさか、こんなことが続くなんて。まさか……まさかね。そんな都合のいいことが……。私は確かめるべく、縫うように歩きその先にある豪邸を見て愕然とした。
「そんな……本当にあるなんて……」
「う……嘘でしょ。こんな森の中にこんな立派なお屋敷なんて……」
 アディも驚きを隠せない様子で、立ち尽くしたあと表情は一気に歓喜へと変わり門扉へと走っていった。がちゃがちゃと何度か動かしているとそれは静かに開き、まるで「中へどうぞ」と言わんばかりだった。

 あぁ……この感じ。もしかして……もしかして……そうなの??

 私は

のことが頭によぎった。あの時と状況が似すぎているから……あの時に感じた安心感と似ているから。でも、まだそれが本当かまではわからない。まずは……確認をしなくては。
「すいません。どなたかいますかー? すみいませーーん」
 アディがドアノッカーを軽く叩いて反応を伺うも、中からの反応はなく静寂しかなかった。何度もドアノッカーを叩いても反応がないことにアディは痺れを切らし、ドアノブに手を伸ばしゆっくりと回した。
「ねぇ、開いてるよ。ムーニア」
「ちょっと! 勝手に入るのはよくないわよ。きちんと中の人から反応があってからでも……」
「何度も叩いたけど反応がないんだもん……中を覗くだけだから……ね?」
「ちょっと!!」
 中を覗くだけと言いながら、ドアを開き中へと入っていくアディを止めようと私も中へと入りアディの腕を掴む。掴んですぐに外へと出ようとしたとき、玄関は静かに締まりびくともしなかった。
「ちょ……閉じ込められた??」
「……あなたはいつになったらちゃんと人の話を聞くのかしら??」
「えぇえん! ごめんなさいい!」
 もうこの子に何を言っても無駄なのかも……? ちょっとだけそう思ってしまうのも仕方ないわよね。散々私の言ってること無視してこうなるのだもの。これはちょっとだけきついお仕置きが必要だと屋敷が判断したのかもしれない。
 何度も土下座をして私に謝っているアディの声が途中でかすれたことに違和感を覚え、アディの顔を見るとさっきまでの泣き顔から一変、顔面蒼白になりながら私の顔を見ていた。
「どうしたのアディ。そんな顔して……」
「あ……あ……う……うし……ろ……む……むー……」
「後ろ?」
 アディの震える指でさす私の背後……振り返るとそこには……。
「お帰りなさいませ。


 濃い紫のタキシード、純白のポケットチーフに紫色に揺らめく瞳、そして……その見た目から想像もできない位に上品な振舞い。……間違いない。間違いなく

だった。
「え……ら……ラデ……ルなの?」
「覚えていただき誠に光栄でございます」
 仰々しく頭を下げ、挨拶をする彼─ラデル。ラデルだとわかった瞬間、私は嬉しさと安心感からその場でへたり込んでしまった。
「もう……ラデルったら……もう……」
「ムーニア様。またもやわたくしの無礼をお許しください……」
 ラデルが私の前で跪き、ポケットチーフを取り出して目の前に差し出してくれた。震える手でそれを受け取り目元にあてる。あぁ……あの時に感じていたことは間違いではなかったんだと改めて感じた。
「あ……あああ……ああ悪魔……!!! ああ悪魔ぁあ!! えっと、む、鞭!!!」
 動けるようになったアディはすっくと立ち、腰にしまってあった鞭を取り出し構えた。だけど、その足は震えていてとても鞭を振るえる状態じゃなかった。私はゆっくりと立ち上がりアディにラデルのこと、以前に助けてくれた恩人だと説明した。すると、アディは構えを解きそうだったんだと言い今度はアディがラデルに深々と挨拶をした。
「は……初めまして。あたしはアディと言います。た、助けてくださって有難うございます」
「ムーニア様のお友達様でいらっしゃいますね。歓迎しますよ」
 一通り自己紹介も済んだところで、ラデルは紹介したい人物がいるといいゆっくりとした足取りで玄関から西にあるホールへと案内してくれた。屋敷の中を歩くとあの時のことを思い出しながら歩いていると、ソファで優雅に佇んでいる男性を見つけた。その男性はラデルの気配を感じたのか、立ち上がりこちらへ向き直った。
「おお。この麗しきマドモアゼルがラデル君の言っていた……」
「はい」
 私はその男性を見てぎょっとした。その男性の目が炎のように真っ赤で、そして男性から漂ってくる

というものをひしひしと感じてる。でも、ラデルのお知り合いということは……。私はごくりと息を飲みながら挨拶をした。
「初めまして。私、ムーニアといいます。以前、この方に助けてもらいました」
「ほう。それはそれは。吾輩はガエタノだ。ラデル君とは永い付き合いでね。君の話は聞いているよ。吾輩も君と会える日を楽しみにしていたのだ。今日は皆で語りつくそう」
「え……私のこと? ラデル、何か話したの?」
「ええ。あなたの冒険譚をいくつか。本来はムーニア様から許可を頂いてからの方が……しかし、こんな素晴らしいお話をわたし一人だけではと思い、わたしの永年の友人であるガエタノ様にお話させていただきました」
「ま……まぁ、そんな大したこと話した覚えはないんだけど……別に許可は要らないわよ」
「むっふっふ。それと、ムーニア君のご友人の……」
「あ、はい! あたしはアディっていいます。失礼を承知で聞きますが……が、ガエタノさんって……き、吸血鬼ですか?」
 アディは恐る恐る尋ねると、ガエタノは怒るどころか大声で笑った。ひとしきり笑ったあとにアディへと向きうんうんと頷き白状した。
「おや。アディ君は吾輩の姿を見抜いてしまったようだ。安心したまえ。吾輩は無差別に襲ったりはしないし、襲うとすれば……そうだな。大事な人が傷付けられるとわかったときだ。そこはジェントルマンとしての礼儀。だから、安心してアディ君のお話もぜひ聞かせ願えないだろうか」
 あの時感じた異様な雰囲気の正体は、彼が吸血鬼だということだった。だけど、吸血鬼ってこうもっと血に飢えた感じがするんだけど、このガエタノっていうのは……なんだろう。上品というか、とても礼儀正しくて好感が持てた。今もアディに深くお辞儀してるし、ラデルと同じようにも感じた。
「さぁ、立ち話もなんだ。ここは悠久の時間が流れる場所。現実のことを気にせずにゆっくりしていきたまえ。ラデル君……あれの用意をお願いしてもいいかな」
「畏まりました。ただいまお持ちします」
「ラデル。あ、あのさ。私も手伝えることがあったら……」
「いえいえ。ムーニア様はお客様でいらっしゃいます。しかし、そのお心遣い、感謝致します」
 軽く会釈をし、ラデルは何処かへと向かっていくとガエタノは悠然とソファに腰かけ、ラデルが来るまで少しだけ待とうと声をかけてくれた。アディはすぐにソファへと腰を下ろしたけど、私は何かできないかと考えた結果、何もできないという答えにたどり着き仕方なく座ることにした。
「なに。そんな気に病むことはない。ラデル君は君をとても大事にしているのだから」
「えっ……?」
 まるで私の心を読み取ったような反応に、思わずどきりとした。だけど、ガエタノはそんなことはできないと言い髭を整えた。
「ムーニア君のことを考えたらそうではないかなと思っただけだ」
「すごい……んですね。ガエタノさん」
「いやいや。何百年と生きているとなんとなくわかってしまうのだよ」
「え……」
「ふぅむ。ラデル君はまだ戻ってくる気配はないか。ならば、ちょっとだけ吾輩のことを話してもいいかな?」
「も……もちろん」
 おほんと咳払いをした後、ガエタノは足を組み遠い場所を見つめながら口を開いた。
「実は吾輩……元々は人間だったのだよ。君たちみたいに生を受けていた。日の光を浴びればわくわくしたり、夜になれば眠くなったりと君たちとなんら変わらない日々を過ごしていた。しかしだね……」
 ガエタノの口調が沈んだようにも感じた私は、そっとガエタノの顔を窺った。どこか物悲しい表情へと変わっていったその表情から語られたのは想像を絶するものだった。
「吾輩には婚約者がいたんだ。とても美しくて……今でも思い出す。そんな妻との式も間近だと日、妻が何者かに襲われてしまって……命を落としてしまったんだ。吾輩は嘆き悲しんだ。大切な人がこの世からいなくなってしまうという事を受け入れられなくて……妻の傍で泣き崩れていたよ。そこへ現れた一人の人物に取引をしないかと持ち掛けられ、吾輩は妻が戻ってくるならそれでも構わないと懇願しその条件を飲んだ。その条件とは、吾輩の命を差し出すこと。そして、その命を妻へと転換し蘇生を試みるというものだった。しかし、必ず成功するわけでもないということもわかっていたが……結果は失敗。吾輩の命は妻へと転換されることはなかった。いや、転換ができなかったというのが正しいのかもしれない。そこで、その人間は慌てて吾輩の命を元に戻そうと詠唱をしたが慌てていたせいで詠唱を間違えてしまい、その間違った詠唱が入った命は私の体へと戻ると……私は……人間ではなくなっていたのだよ」
 ガエタノの受けた痛みは、きっと私たちが思っている以上に重く、辛く、苦しいものだったと思う。愛する人のためにそこまで捧げる覚悟なんて……私にはきっとできないかもしれない。
「その人間は何度も吾輩に謝罪をしていたよ。だけど、吾輩は気にしなくていいといい、むしろその人間に感謝をしたくらいだ」
「え……なんでですか? だって、人間だったのに人間じゃない体になってしまったのに……」
「吸血鬼。人間側からすれば敵対する関係かもしれない。きっと吾輩を悪とし滅ぼそうとする人間が現れるかもしれない。しかし、吾輩は吸血鬼になったことで不死の体を得ることになったのだ。それはつまり、永遠に妻を思い続けることができるということだ」
 吸血鬼という存在になっても、ガエタノは愛する人への思いを失くしたくないという気持ちが強く、苦ではないという。
「……すまない。つまらなかったかな」
 話終えたガエタノはバツが悪そうに問いかけるも、私もアディも首を横に振るのが精いっぱいだった。なんだろう……胸が痛い。
「なぁに。吸血鬼になって悪いことばかりではない。こうして、君たちとお話ができるなんて、当時の吾輩からしたら奇跡に近いことだ。こうして時を超えての出会いというのが、今の吾輩にとって宝物なのだよ」
 最後にそう言い、むっふっふと笑うとそれを見計らっていたかのようにラデルがワゴンを運んでくる音が聞こえた。その音にはっとするとラデルはにこりとしながらテーブルに可愛らしいスイーツを次々に並べていった。
「大変お待たせ致しました。本日はミニスイーツをご用意させていただきました。一つ一つ心を込めてお作りしましたので、ぜひご賞味ください」
 長方形のお皿に並べられたスイーツの数々。そして、そのスイーツに描かれた表情も様々だった。笑っていたり、ちょっと怒っていたり、驚いていたり、泣いていたりと見ていてとても楽しかった。……相変わらず細かいわね、ラデル。
「今回のテーマはなんだい?」
「はい。今回は”思い”をテーマにしました。数々の思いをスイーツで表現、味もその思いに近づけられるよう努力しました。例えば、この笑っている表情のスイーツは柑橘系を使用、驚いている表情のもの味覚でも心でも驚くような工夫をしてみました」
「思い……」
 不確定なテーマをよく題材にしたなと感心しながら、私は適当に選び一口。中には蜜が詰まったリンゴをたっぷり使ったシャーベットが入っていた。これ……あの時食べたデザート。
「ラデル! このシャーベットって……あの時のよね?」
「はい。ムーニア様が初めてこの屋敷にいらしたとき、ご用意させていただいたものと同じものでございます」
「あたしのは……クリームチーズとブルーベリーが入ってる! この組み合わせ、あたし大好き!」
「吾輩のは……ほう……ベリーのハチミツ漬けか。まろやかな甘みが後を引くな」
「およそ百種類ほどご用意させていただいております。おかわりもたくさんご用意しておりますので、なんなりと……」
 こんな細かいスイーツを百種類? しかも、替えまであるなんて……あなたどれかけ時間をかけたのよ……。ほかにも気になるスイーツがある中、私はあることに気が付いた。これだけ整ったスイーツがたくさんあるけど、物足りないなんて感じるのは私だけかしら。私はラデルに声をかけ一つお願いをした。
「ラデル。素敵なスイーツには素敵な

が必要よね?」
 ここまで言うと、ラデルは嬉しそうにほほ笑むとワゴンの下から大きなティーポットを取り出した。そして人数分のティーカップを用意しティーポットの中に入っている液体をゆっくりと注いでいく。その液体の色は私の思っていた通りの琥珀色だった。
「もちろん、ご用意しております。本日はシンプルにダージリンをご用意しております。お好みでミルクやレモンでお楽しみいただくもの良いかと」
「あ!! じゃあ、あたしはミルク!」
「吾輩はストレートでもらおうかな」
「私は……レモン!」
 三人が口々に注文をすると、ラデルは一つ一つ丁寧に応じテーブルはもちろん会話にも彩りが添えられた。ラデルの淹れてくれた紅茶はあの時と変わらない美味しさで、一口飲んだだけで幸せを感じる程だった。……ここだけの話だけど、こんな美味しい紅茶やスイーツを永い間楽しめるラデルとガエタノがほんの少し……ほんの少しだけよ……羨ましいと思っちゃった。

 会話に終わりが見つからない。今日ほどそんなことを思ったことはなかったわ。あの時もそうだったけど、今までに経験したことを話したりラデルの屋敷を出た先の話だったりと、思い返すと色々な経験をしてきたんだ私って感じたの。前に話した筈なのに、ラデルったらまた真剣に耳を傾けてくれるし、ガエタノも興味深そうに頷いてくれたり……それと交代してアディの話も聞いててとても楽しかった。私とは違う経験をしていて、それがこんなに弾むなんて思ってもなかった。本来なら時間を気にするんだけど、さっきガエタノがここで過ごした時間は現実とは無関係みたいなことを言ってたから……ついつい話し込んじゃう。だけど、いつまでもここにいるわけにはいかないっていうのはわかってる。ここにいるということはとても素敵なことだし、楽しいと思う。けど、ここにいたら……きっと私は私でなくなりそうな気がするの。楽しい話も今まで時間が経過して得られたものばかりだし、ここにいては新しい経験はできない。そう思うとティーカップを持つ指は小刻みに揺れ、次第に目から涙が零れた。
「え……ムーニア。どうしたの?」
「なにか悲しいことでもあったのかね?」
 私は首を横に振り、それを否定した。狼狽えるアディ対しラデルが優しい口調で私に話しかけてきた。
「ムーニア様。ここはなくなったりしません。あなた様が話したいと願えばいつでもお迎えにあがります。なので、どうか悲観的にならないでください。わたしたちはいつでも歓迎しますから」
「そういうことかね。いやはや、吾輩たちも消えたりはしないから。また君たちの話も聞きたい。だから、別れを悲しい視点で捉えないで貰いたい。一時的な別れではあるが、その別れの中で体験した数々の思いをまた吾輩たちに聞かせてくれないかね?」
「……うん……うん」
 二人の優しさにまた涙が溢れ、しまいには号泣してしまった。そうだ。きっとまた会えるんだ。だから、泣く必要なんてない……のに、頭でわかっていても涙は止まってくれない。……なんていじわるなんだろう。私は気が済むまで泣き、気持ちを落ち着かせることにした。アディには悪いけど、ちょっとだけ時間をちょうだいね。

「さて、そろそろ行きますか」
「え、ムーニア。もう大丈夫?」
「大丈夫よ。心配かけてごめんね」
「ううん。平気平気」
 私は気持ちを切り替え、アディに出発する意を伝えた。最初は戸惑っていたアディだけど私の吹っ切れた顔を見て安心したのか、大きく頷くと忘れ物がないかの確認を始めた。準備が整うとラデルとガエタノは玄関まで見送りにきてくれたことがまた嬉しくて、また涙が出そうだったけどなんとか堪えた。大丈夫、少しだけ離れるだけだから。
「ムーニア様、それにアディ様。この度は素敵な会談をどうも有難うございました」
「吾輩たちもとっても有意義な時間だった。感謝するよ」
「……ねぇ、ラデル」
「はい。如何されましたか」
「……また会えるわよね」
「もちろんでございます。きっとまたお会いできます」
「……それが聞けてよかった。じゃあ、また会うまでにたくさん色々な体験しておかないとね」
「またお聞かせ願えますか」
「もちろんよ! ね、アディ」
「へ? あ、うん! きっと二人が驚くくらいの体験、いっぱいしてくるんだから!」
「ほう。それは楽しみですな。では、しばしの別れだ。でも、ムーニア君。決して悲観的に考えてはいけないよ。楽観的に考えて貰えたら、吾輩も嬉しい」
「うん! じゃあ……


。ムーニア様」
「え? ここはばいばいじゃないんだ?」
 きょとんとするアディに、ガエタノが軽くウインクをするとしばらくしてその意図がわかりアディは大きく頷いた。
「あたしも……


「気を付けて行きたまえ」
 私とアディは二人に背を向け、玄関の扉を開けた。そして、さっきまで感じていた気配はすっかり消え失せ、まるでそこには最初から何もなかったかのような更地だけがあった。
「……行こうか」
「……うん!」
 アディと足並みを揃え出た大地は今日も天気が良く、心が弾むような陽気だ。歩いているとポケットに何かあたるような気がして、中を確認すると小さな包みが入っていた。ゆっくりと開いてみると、そこにはあの時と同じ小さなクッキーが入っていた。
「……もう、ラデルったら……。また、会いましょ」
「おーい。ムーニアー! 行くよー!」
「はぁい!」
 一口クッキーをかじり、あの時と同じ風味が口いっぱいに広がった。懐かしいようで新しい……待っててね、ラデル、ガエタノ。また面白い出来事があったら真っ先に二人に話すから……それまでの間……短いさよならだけど……行ってきます!
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