ちょっぴりレモン香る♪ぷちマドレーヌ

文字数 4,810文字

 あたりは薄暗い小雪舞う小さな町。家や店では暖かみのある色の明かりがともり、家族とのひと時を楽しんでいる様子が伺える。その様子を少しだけ羨ましそうに見つめる人魚がいた。いやいやと頭を振りぺたぺたとひれを器用に使いながら進んでいる。こんな寒いというのに上着を着ず、愛用の竪琴を片手に今日も物悲しい歌を歌っている彼女─セリーヌ。どこかでもらったのか頭には赤と白を基調とした帽子を被り、ぽろんぽろんと竪琴を鳴らす。その顔は嬉しそう……なのだが、如何せん歌が歌なだけに相反しているのが少しだけ勿体ない。
 セリーヌがなぜこの町にやってきたのかはわからない。だが、彼女も恋をしたいと願っているのは確か。ロマンチックな恋ではなくても……と思ってはいるものの、見た目が見た目だけにセリーヌを好意的な目で見る人は今のところないに等しい。いたとしてもからかわれてしまうという結末がお決まりなのことをセリーヌは知っている。だから、あまり期待はしない……けれどというごちゃごちゃした気持ちでいた。
 ここで歌って何日か過ぎた日のこと。雪がだんだんと降り積もってきた日でも、セリーヌはどこからともなく現れて、竪琴を鳴らしながら歌を歌っていた。見てくれる人はいなくても、少しでも誰かの心に届いてほしい……そんな思いを込めて歌を歌っていた。最後にぽろろんと竪琴を鳴らし終曲。さて帰ろうとしたとき、セリーヌの目の前に一人の男性が立ち、拍手を送っていた。聞きなれない拍手にとまどいながらセリーヌは小さく頭を垂れた。
「君、竪琴上手だね。どこで習ったの?」
「え……えっと……その……」
「よかったら話を聞かせてくれないかな?」
「え……あ……う……そ……その……ごめんなさい!」
 外は寒いのだが、セリーヌの頬は反して熱くなりいてもたってもいられなくなった挙句、セリーヌはその場所から逃げるように去っていった。その後ろ姿を見る男性は少し寂しそうだったことをセリーヌは知らなかった。

(ど……ど……どうしよう。お、男の人に話しかけられちゃった……こ……こんなこと……初めてで……どうしたらいいか……わからない……はぁ……)
 町から離れたところで我に返り、まだ火照っている頬を抑えながらどうしようか悩んでいると、遠くから何かが聞こえた。まるで誰かを呼んでいるようにも聞こえる声のする方へと首を動かすと、さっきの男性がセリーヌを探していた。
(なっ……なんでっ!! なんであの人がっ??! か……隠れなきゃっ!!)
 大きな木の幹に身を隠すのだが、徐々にセリーヌが隠れている方向へと歩いてくる男性にセリーヌの心拍数は急上昇した。どうか見つからないでと祈るも、だんだんと近づいてくる足音に全身が緊張し強張り始めた。
「あ、見つけた!」
「きゃあっ!!!」
 背後から声を掛けられ、驚いたセリーヌは悲鳴を上げまた逃げようとするのだが、その先は高い山々で逃げるにも逃げられない状態だった。観念したセリーヌは強張った自分を抱くようにじっとしていると男性が柔らかく笑い、近付いた。
「ほら、これ。落とし物を届けに来たんだよ……」
「あ……あたしの竪琴」
 恥ずかしさのあまり、竪琴をそのままにしてしまったらしい。それに気付いてくれて尚且つ届けてくれた男性に小さくありがとうと言うと、忘れていた竪琴を受け取った。
「よかった。まだ近くにいて。せっかくの楽器だから忘れてしまったら大変だと思ってね」
「あ……あの……その……」
「ん? どうしたんだい」
(この人と……お話をしてみたい……けど……あたし……)
 中々言い出しにくいのか、セリーヌは口をつぐんでしまい、おろおろとし始めた。男性はそんな様子を驚くことなくセリーヌの気持ちが落ち着くまでじっとそこにいた。次第に落ち着きを取り戻してきたセリーヌを見て、男性はちょっと竪琴を貸してくれないかいと尋ねるとセリーヌはこくりと頷き、男性に竪琴を渡した。受け取った男性は竪琴を構え、小さく息を吐き弦を爪弾いた。セリーヌが奏でる物悲しいものとは正反対の明るく軽やかな曲調だった。歌はないもののただ爪弾くその旋律だけで情景が浮かぶような演奏に、セリーヌはじっと聞き入っていた。

「……っと、こんな感じかな。どうかな」
「す……すごい……なんて元気の出る演奏なの……」
 ぱちぱちと拍手し、歓喜するセリーヌを見た男性は嬉しそうに笑いお辞儀をした。
「あ、やっと笑ってくれた」
「あ……あたし……」
「ふふ。よかった」
 恥ずかしそうにするセリーヌを後目に、男性はありがとうといい竪琴を返す。もじもじとしながらもそれを受け取るセリーヌに男性はまた笑った。
「君、面白いね。ねぇ、よかったら……ここじゃないところで話できないかな」
「え……あ……あたし……?」
「うん。竪琴を演奏している人なんてそう滅多にいないからさ……君のことももっと知りたいし」
「……」
 セリーヌは散々迷った挙句、小さく頷くと男性は大層喜びセリーヌを抱きかかえてさっき演奏していた町まで駆け始めた。
「しっかり掴まっててね」
「えっ……ちょっと……あたし……人魚……きゃああ!」
「いくぞー」
「きゃああああ!!!」
 ものすごい速さで風を切るのに慣れていないセリーヌは、男性にしっかりとしがみついた。人一人抱えているのにも関わらず、スピードが全く落ちない様子に驚きながら……セリーヌの胸は小さく刻み始めた。それは恐怖からではなく、もっと別なもの。

「はい、到着」
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫かい?」
 心配そうに顔を覗き込む男性にはっとしながらも、こくこくと頷くセリーヌ。それを確認した男性は安心したのかにこっと笑い、どこか話すに適した場所を探し始めた。セリーヌを抱えたまま。
「あ……と……そ……その……」
「どうしたんだい。そんなに暴れて」
「え……あたし……その……」
「ああ。気にしないで。お、あそこのお店開いてるな」
 セリーヌのことを知ってか知らずか、男性はセリーヌを抱えたまま喫茶店へと入っていった。ドアチャイムが軽やかになり、店主がふんわりとした声で出迎える。
「いらっしゃーい。空いてる席へどうぞー」
 まるで山小屋のような喫茶店は、どこか懐かしく温もりを感じた。お店の中央にある暖炉からは薪が燃える音、店内からは食欲をそそるいい香りが漂っていた。店主は二人が座った席にメニューを置き、おすすめを教えてくれた。男性はふむと唸ったあとにそのおすすめを二つとホットチョコレートを頼んだ。
「かしこまりました! 少々お待ちくださいね」
 ピンとした耳に栗色の髪の店主は嬉しそうにキッチンへと向かうと、鼻歌を歌いながら調理を開始した。じゅうじゅうと何かを焼いている音や、ぐつぐつと何かを煮込んでいる音、店主の鼻歌などたくさんの音であふれていることに、セリーヌは驚いた。
「どうしたんだい? そんなに驚いた顔して」
「あ……あの……」
「君の話せるタイミングでいいから。君の意見を聞かせてほしいな」
「は……はい。その……あたしの知らない音があって驚いていました。こんなにも音にあふれていること……知らなかったので」
「そうなんだ。それなら、作曲のいい刺激になるよ」
「……刺激?」
「楽しいことや嬉しいことがきっかけで、新しい曲を閃くことって多いんだ」
「……へぇ……そうなんだ……」
「お待たせしましたぁ! おすすめのビーフシチューとホットチョコレートです! アツアツなので火傷しないよう、気を付けてくださいね」
 店主が運んできた真っ黒な液体に浮かぶごろごろとした野菜やお肉に、セリーヌはまたも驚きながら目を輝かせていた。初めて見る料理にセリーヌの心は弾みっぱなしだった。
「どうぞ。食べてみて」
「い……いいんですか……??」
「もちろん。熱いから気を付けて」
「い……いただきます」
 スプーンですくい、口元まで持ってきただけなのに濃厚な旨味が鼻腔をくすぐり、セリーヌのお腹をきゅうと鳴らした。我慢ができなくなったセリーヌはゆっくりと口に運ぶと、目をかっと開き更に驚いた。経験のない美味しさに感激し、しばらく固まり遅れて口をもぐもぐと動かし柔らかくなったお肉の味をゆっくりと噛み締めた。
「んー!!!」
 それからのセリーヌは一口ずつシチューを運んでは感激するを繰り返し、何度か繰り返した後お皿はきれいになっていた。
「……こんなに美味しいもの、初めてです……」
「あら嬉しいわ。よかったらお代わりたっくさんあるから、食べて行って」
「い……いただいていいですか?」
「もっちろん!」
 店主が嬉しそうに微笑む様子に、セリーヌの心は体とは別の温かさを感じていた。そして、新しく運ばれてきた真っ黒な液体にはさっきよりもたくさんの野菜やお肉が入っていた。

「美味しそうに食べたね」
「もう……感激です……ごちそうさまです」
「喜んで貰えてよかったわぁ。あんな素敵な笑顔を見たら作り甲斐もあったわ」
 食後のデザートまでサービスしてもらい、セリーヌは申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいだった。それを正面で見る男性にキッチンで微笑む店主に囲まれてセリーヌは今がとても幸せだと実感をしていた。
「ところで……その、あなたはなんであたしの演奏を聴いてくれたのですか?」
「ああ。ぼく詩人をやっていてね。それが理由……じゃだめかな?」
「……ありがとうございます。道理で竪琴の使い方が上手だったわけですね」
「へぇ! あなた竪琴弾けるの?? すごいすごい!」
 店主は皿を拭きながらキッチンをぴょんぴょんと跳ねながら興奮していた。喜んでいる店主に反して、セリーヌはちょっと暗い顔で弾けますけどとちょっと自信なく答えた。心配そうに竪琴をぎゅっと抱えるセリーヌに男性はちょっとしたヒントを出してみた。
「さっき、シチューを食べたときはどんな気持ちだったかな?」
「え? あの黒い液体……ですか?」
「うん。君が感じた色々な気持ちを竪琴に委ねてごらん。大丈夫、きっと上手くいくから」
 セリーヌの歌はどれも悲しく、ネガティブなものばかりだった。そんな暗いものばかりがいきなり明るいものが演奏できるか自信はなかった。だけど、さっき感じた気持ちを思い出しながらセリーヌは意を決して弦を爪弾いた。温かい食べ物、温かい室内、そして温かい心……人の優しさや好意を指に、未経験から経験に変えてくれた喜び、店主の笑顔、みんなで話す楽しさを歌にのせた。一音に高低差をつけただけの即興曲ではあるがセリーヌは心を込めて演奏をした。誰かが笑顔になりますように、少しでも安らぎが訪れますようにという願いをふんだんに込めて。
 ぽろろんと締めくくると、一旦静かになったあとに店主と男性から拍手が起こった。びくりと体を震わせるも、セリーヌは最後まで聴いてくれた二人に感謝の意を述べた。
「すごいすごーい! 生演奏ってとっても素敵ね! なんだか元気が出てきたわ!」
「すごい……即興曲とは思えない位、完成されてるよ」
「え……あたしのが……ですか??」
「うん。とっても素敵な演奏だったよ!!」
 男性は本当に嬉しそうに笑いながらセリーヌを褒めると、恥ずかしいのかまた顔を真っ赤にして固まってしまった。その様子を見た二人は顔を見合わせ大きな声で笑った。

 お店で演奏して数日後。今日もセリーヌは竪琴を鳴らしながら歌っていた。ただ、今日はいつもと様子が違っていて、セリーヌが歌っている周りにはたくさんの人がじっと耳を傾けているのだった。前までの物悲しいものではなく誰かを思う気持ちをのせた歌は町の人の足を止め、心を癒す明るい歌へと変わっていた。これもあの詩人さんに教えてもらったこと……と、心の中で出会った詩人に感謝をしセリーヌは今日も人々の心を癒す歌を歌い続ける。ちょっぴり恋とは遠いけど、それに似た感情を教えてくれた、そして恩人である詩人に会えるその日まで……。
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