☆雪うさぎの大福

文字数 6,250文字

 最初に感じたのは焦げた臭いだった。このあたりじゃよくあることだと思っていても、その臭さが尋常ではなかった。幼い少年は慌ててベッドから起き、両親と弟を起こす。かよわい少年の力では思うように両親に衝撃を与えられないと知りつつも、必死に叩く。最初に目を覚ましたのは弟、父、最後に母。少年が感じた臭いを全員が共有する。清潔な布で呼吸器を塞ぎ、煙を吸い込まないように家から脱出を試みる。
 寝室の扉を開けた先には真っ赤に燃える光景だった。なぜこのようなことが起こっているのか全く分からない。ただ、ここにいては生命が危ないということだけを脳が感じ慌てないよう気持ちを落ち着かせながら一階の出口へとゆっくり進む。進んでいる最中、先頭を行く父の目の前に天井から火の粉が降り掛かり、小さいながらも火種を服に灯す。それを少年が一生懸命に叩いて消し、大きなことにならずに済んだ。
 階段に差し掛かった時、すでに強度は無に等しく、飛び降りる他手段がなかった。怖がる少年と弟をより先に父が飛び降り、大丈夫だということを証明する。その間にも生まれ育った家は炎に蝕まれていき、さっきまでみんなで寝ていた部屋はとっくになくなっていた。好きだった絵、少年が頑張って描いた最初の絵も全て赤い悪魔に飲み込まれていく。泣きながら飛び降りたのは少年だった。それに続き弟、母親と全員無事に一階へと降りることができた。あともう少しだと少年は気持ちを逸らせ出口まで一気に駆け抜ける。そして、玄関を開けて外でみんなを誘導しようと手を挙げたその時。

 ズン

 家を支える柱が赤い悪魔に蹂躙され、耐え切れなくなった家は重力に逆らうことなく垂直に落ち、残った父と母、そして弟を圧し潰した。目の前で家族がいなくなってしまったことを理解するのに数十分要した少年は、理解した時のショックが大きすぎて一晩……いや三日三晩叫び続けた。声は段々かすれ、しまいには声なき声になっても少年はただ叫び続けた。

「うわあああっ!!!」
 自分で発した声で起きた少年の顔には大量の汗が噴き出していた。じっとりとして気持ちの悪い汗……これは何度目だろう。何度も見たはずなのにと嫌悪感を出しながら汗を拭う。そこへどたどたと足音が響き、少年の部屋へと顔を覗かせる。
「だ、大丈夫か? 今、すごい悲鳴が聞こえたけど……」
「あぁ……大丈夫さ……いつものことだよ」
 力なく手を振り、無事だと報告を済ませるとゆっくりと体を起こし水を含む。
「それならいいけど……あ、飯できたから食堂まできてくれよな」
「……あぁ」
 声にも力がない少年はそれなりに急いで着替え、食堂へと向かった。

「さぁ、朝はしっかり食べるべさー」
「さっき、そこで合流してさ。一緒に狩りをしたらこんなに豪勢な朝ごはんになったんだ」
「えへへー。おかわりもたっくさんあるから、どんどん食べるべー」
 食卓には炊き立てとばかりの白いご飯、こんがりと焼けた魚と赤身の多い獣肉があった。品数少し寂しい気もするが……焼き魚と獣肉だけでも相当な量でそれだけでお腹がいっぱいになりそうなそんな量だった。
「「いただきまーす」」
 声を揃えて最初に取ったのはそれぞれが仕留めた得物だった。雪のような銀色の髪の少年─オキクルミが取ったのは獣肉、新緑のような爽やかな色の髪の少女─キムンカムイが取ったのは焼き魚だった。二人は豪快にかぶりつき、異口同音に「美味しい」と唸った。飛び出した寝ぐせをいじりながら少年は魚に手を出した。噛むと腸の苦味とともに魚の油がじゅわりと口に広がり、旨味が鼻を抜けていく。久々にありつけた食につい頬が緩むと、魚を取った少女が嬉しそうに微笑んだ。
「うまいべか?」
「……うん。とっても……」
「よかったべさー。たくさんあるから遠慮はいらねぇべー」
「……ありがとう」
 魚を綺麗に食べた後は、オキクルミが仕留めた獣肉。少し臭いが気になるがえいとかぶりつくと、魚とは違う油がこれでもかと口の中に広がり、続いてしっかり焼いたのに柔らかい肉質に驚く。一噛みするたびに溢れる旨味と油に少年は驚きっぱなしだった。これもあっという間に平らげ、少年は満足そうに小さく息を漏らした。

「「ごちそうさまでした」」
「ご……ごちそうさま……でした」
 三人が手を合わせ、森と川の恵みに感謝の意を述べ、自分が使った食器をシンクへと持っていく。それを洗うのは嬉しそうにエプロンをするキムンカムイ。鼻歌交じりに食器をみるみる綺麗にし後片付けを済ませていく。その間、オキクルミは少年に聞きたいことがあることを思い出した。
「そうだ……君、名前は……?」
「……エンデガ。覚えなくてもいいよ」
 エンデガと名乗った少年の瞳には哀色を湛えていた。何かわけがあるのかもしれないと思っていても、気になっていることを聞かずにはいられなかった。
「エンデガ……か。それで、なんでこんな山奥に? ここ、天候がころころ変わることで有名なのに……君は何をしにここへ来たか……教えてくれるかい?」
 オキクルミが窓を見やると、さっき狩りをしていた時はすっきりと晴れていたのだが、今は一面が白色に包まれてしまい、ほんの少ししか離れていない木ですら白に覆われてしまっている。
「……見分を広めるため……かな」
「けんぶんを……そっか、そういうことにしておく」
 ここから先は深く聞かない方がいいなと感じたオキクルミは、それで納得した。その間にもごうごうと唸る風はオキクルミの家をがたがたと震わせる。少しだけあのことを思い出してしまったエンデガは自分で自分を抱くように縮こまった。
「……どうかしたべか? 寒いべか?」
 後片付けも終わり、みんなで一服をいれようとキムンカムイが温かい飲み物を用意してくれた。エンデガの前にことりと置き、心配そうに見つめるキムンカムイに気付いたエンデガは恥ずかしくなり、そっぽを向いてしまう。
「そんなに恥ずかしがることねぇべさ」
「そ……そんなつもりは……」
 照れ隠しに飲み物に手を伸ばし、そのまま口に含む。じんわりと優しい温かさがエンデガの心を少し解す。はぁと小さな息を漏らし、エンデガは少しだけ過去の話をした。
 目の前で家族をなくしてしまったこと、天界には時空操術という時を操る魔術があること、それを習得するために必死に勉強し、その力で過去をやり直す。なにより一番の原動力というのが、家族を救いたいという一点だった。努力の結果、無事に時空操術を習得することができた。これでやっと家族を助けることができると信じていた。
 だが、現実はそう甘くなかった。時空操術で過去に戻れるのは、時空操術を得てから。残念ながら時空操術を習得する前には戻れないという事がわかった。何度も何度も試したけど時空操術を習得した日以前に戻ることができなかった。絶望したエンデガはそれからというもの、何に対しても無駄だと言い、できることをしないできた。しなくても過去をやり直せば済むことだと。混濁した思考のなか、エンデガはあることに気が付く。いくら年月が経過しても成長をしないということに。そう、エンデガは時空操術という禁呪を習得する代償として、自分の中にある時の流れを止められてしまったのだ。結局は焦っても意味がない、失敗してもすぐにやり直せばいいという思考に加速がかかってしまい、生きることですらも面倒くさいと感じるようになり無意識の中、この雪山に足を踏み入れていたというわけだ。
 微動だにせず、エンデガの話を聞いていた二人の顔はさっきまでの笑顔はどこかに消えてしまい、暗雲が立ち込めていた。
「飲み物……新しくいれるべ」
 席を立ち、キムンカムイは新しい飲み物を用意するといいキッチンへ、オキクルミはただ話の山が険しすぎて未だに難しい顔をしていた。
「え……エンデガ……」
「君たちが心配することじゃないよ。大丈夫」
 そうは言われても、話の内容が内容なだけに一口に大丈夫と言われて心が穏やかになるわけではなかった。しばらくどんよりとした表情の中、外の吹雪は一層激しさを増して窓をがたがたと揺らした。
「あったかいの淹れ直したべ」
 キムンカムイが新しい飲み物を用意したのにも目もくれず、エンデガは猛吹雪の中外へ出ようとしていた。
「ちょ! エンデガ! こんな吹雪の中、危険だよ! どこへ行くんだよ」
「ぼくがどこへ行こうと君たちには関係ない。どうせ忘れちゃうんだから……」
「そ、そんなことねぇべ! さっき、エンデガが魚を食ったときの笑顔……忘れない……いや、忘れられねぇべさ! でも、今外へ行っちゃまずいべさ」
「……そうかい。ありがとう」
 二人の制止を振り切り、エンデガは吹き荒れる吹雪の中へと消えていった。
(どうせこの時間も無駄になる。そう……やり直せば無駄になるし……この山に来る前に戻れば問題は解決するから……)
 エンデガが杖を掲げ、時を戻す魔術の詠唱を行っていると何かがぶつかり詠唱が途切れてしまった。きれいに降り積もったところに、エンデガが倒れ、その部分が窪む。
「お……オキクルミ……?」
「い……今、時を戻そうとしたのか……?」
「そうだよ。ここに来る前に戻そうとしたよ」
「やめろ……! 今は今しかないんだ! ここでエンデガに会えたことがなかったことになんて……そんなのは嫌だ!」
「……」
「難しいことはわからないけど……おれはエンデガに会えてよかった。あんなに美味しそうに食事する人を見たの……初めてだから……」
「そんなこと……どうだっていい」
「どうでもよくないっ! エンデガのわからずや!」
 オキクルミは雪の塊を作り、エンデガに投げつけた。ふわりとした雪玉がエンデガの顔に当たり、崩れる。それを袖で拭いオキクルミをぎろりと睨む。
「……結局は無駄なんだよ。やってもやっても最後で失敗したら全てがおじゃん。だったら、なかったことにしてしまえばいいだけの話」
「それじゃそこで出会った時の思い出はどうなるんだよ! その時に見えた景色はどうなるんだよ! その時に感じた空気はどうなるんだよ! それも全て無駄だというのか!?」
「……」
「まずはやってみることが大事だろ。もちろん失敗だってする……失敗したら次に生かしてまた挑戦すればいいだけの話じゃないか。できるかできないかじゃなくて、やるかやらないか……おれならやって後悔する方がいい」
「……」
 吹雪が一層強くなる中、二人は一歩も譲らなかった。風が暴れるのと同時に二人の頭に雪が積もっていき、そこからじわじわと体温を奪っていく。
「これはまだ止みそうにない。だから、もう少し家で待っていれば……」
「ホウ……マッテイレバ……ナンダ」
 突如、響き渡る声に二人ははっとする。氷塊に覆われたそれは、氷山と言っても過言ではない位に大きく、吐き出す息はたちまち樹木のみならずその場の空気すらも凍らせる。羽ばたけば猛吹雪、居座れば止まぬ雪。氷爆竜として異名を持つことで有名な氷竜の名は……。
「ちっ……ユルルングル」
「うるさい竜だな……でも……」
「エンデガ。その詠唱はなしだ。今はこいつをやっつけよう」
「……やっつける? そんなの……」
「無駄だと言いたいのはわかる。けど、やることに意味があるってこと、知ってもいいじゃないかな」
「……っ!」
 オキクルミは腰から弓を取り出し、ユルルングルに構える。ぎりりと引きぼられた弓は、吹雪を切り裂きながらユルルングルへと真っすぐ飛んで行った。しかし、さすがは氷の竜だけあってかその弓矢は弾かれてしまった。
「へへっ……楽しくなってきたな。いっちょ派手に吹雪いてやっかぁ!!」
 気合を入れたオキクルミからぶわりと闘気が溢れ、ユルルングルを捉える目には力が込められていた。矢を番え、何度もユルルングルに放つも、全部弾かれてしまっても諦めないオキクルミにエンデガは小さく息を吐いた。
「……そんなに急がなくてもいいのに……」
 オキクルミの言葉が少し気になったエンデガは、時の杖を構えた。今度はやり直しをするための詠唱ではなく、目の前の敵と戦うための攻撃詠唱。

─時 逆巻きて声上げん 金の長針 銀の短針 銅の秒針 合い巡りて渦とならん─

 エンデガの杖がカチカチと動きだす。時計を模したそれは時計回り、中には反時計回りに動き巡り光を蓄える。エンデガは蓄えられた光をユルルングルへと投げ飛ばすように杖を振るうと、小さい光球はユルルングルへの胸元へとヒットする。
「ソレガドウシタ」
 ユルルングルはさほど気にしない様子で二人を見据えると、大きく息を吸いながら上空へと舞った。危険と察知したオキクルミはすぐにその場から退散するようエンデガに言うと、エンデガは少し気怠げな声で大丈夫だよと言った。
「眠ルヨウニ死ヌガイイ」
 勢いよく吐き出された吐息は、氷のつぶてを幾万にも集めたもの。吹雪よりも強力に辺り一帯を白よりも白く染め上げる。

─時 歩みて音隠す 銅の秒針 銀の短針 金の長針 合い重なりて時狭間の門を開かん─

 エンデガがさっきとは違う詠唱を行うと、ユルルングルから放たれた幾万の氷のつぶてが跡形もなく消えてしまった。いや、何かに吸い込まれてたと言った方が正しいか。エンデガとオキクルミの前に現れたのはブウンと低く音を発する小さな穴。それは時空の歪み。それを発生させることにより、相手の攻撃を吸い込むことができる。しかし、何度も頻発できるわけではないので最後の切り札として残しておくのだ。
「ナ……ナニ……」
 明らかにユルルングルが狼狽えている。仕留めるなら今しかない。オキクルミがエンデガを見る。エンデガは少し恥ずかしそうに笑うも頷き、杖を構える。と、そこへ背後から特徴的な声が聞こえた。
「ちょ、ちょっと待つべさ! あたしも応援するべぇ」
 現れたのはキムンカムイ。熊の毛皮を被り、やる気十分をアピールするといきなり踊りだした。
「元気だせぇ!!」
 なんでも一族に伝わる踊りらしく、士気向上の効果があるらしい。士気が上がったオキクルミとエンデガ。そこへ更にオキクルミが応援する。士気の上がったエンデガは杖に宿る魔力がいつ暴走するかわからない状態を確認すると、ユルルングルに向かって振り下ろす。
「君のことは……忘れるまで忘れないよ」
 時の杖がやっと放出できるとばかりに膨れ上がった魔力をユルルングルに向けて放つと、轟音と共に氷竜は崩れていった。
「ナ……コノ……ワタシガ……」
 氷山が崩れたあとの山は、さっきまで吹雪いていたと話しても信じては貰えない位に穏やかった。

「もう行っちゃうのかい」
「うん……」
「寂しくなるべ……」
 エンデガが二人に別れを告げると、我慢できなくなったキムンカムイはエンデガに泣きついた。
「腹減ったらいつでも来るべ! エンデガなら大歓迎だべさ」
「うん……」
「エンデガ……」
「大丈夫。オキクルミが言いたいこと……わかってるよ」
 オキクルミはこの時間をなかったことにしてしまうのではないかと危惧していたが、エンデガの穏やかな笑みを見て胸を撫で下ろした。
「それじゃあ……行くね。またどこかで」
 雪山を後にするエンデガ、それを見送る二人。背後からの声が聞こえなくなった時のエンデガの顔は、少し晴れていた。オキクルミが言ったあの一言。
「やってから後悔……か。したことなかったな……」
 ふっと笑い、空を仰ぐ。今まで感じたことのない感覚にエンデガは、心に小さく光るほころびのようなものを感じた。
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