抹茶てぃらみす 枯山水の思い出

文字数 3,791文字

 とあるお堂で弓の稽古が行われていた。矢を番える音、弦を引く音、矢を放つ音、お堂の外で夏を告げる羽虫の音など様々だが、その中でもひと際目を引く女性射手がいた。
 限界まで引き絞られた弦は、今にも切れそうなほどきりきりと音を発し今か今かと放たれる瞬間を待っている。射手の手元は弦の張力が最大に達しているのか、腕が小刻みに揺れているのがわかる。ぶれる手元を気にせず発した矢は狙い通り真ん中を綺麗に射ていた。それも一本だけではなく、これまで発した矢全てが真ん中あるいはその周辺を矢で埋め尽くしていた。もうこれ以上矢が刺さらないと思った彼女はふうと息を吐き、構えを解く。去り際に一礼をし稽古場を後にすると、出番待ちをしていた他の人たちは彼女の歩く姿に見惚れていた。

「クーヤ。お疲れ様」
 クーヤと呼ばれた女性射手は声のする方へと首をやる。同じ道場の仲間だった。どうやら彼女も稽古を終えて更衣室にやってきたようだ。汗で湿ってしまった稽古着から私服へと着替える間、二人の間で会話が弾む。
「ねぇねぇ。今回のこの合宿、来てよかったね」
「そうね。いつもと違う雰囲気で取り組むことができたし、嬉しいわ」
「それとね。せっかく都にきたんだからさ、ちょっと観光していかない?」
「観光? 今から?」
「そう。とっておきの場所があるんだ。きっとクーヤも気に入ると思うよ」
 合宿といっても、なにもすべてが団体で行動するものではないので稽古が終われば後は自由時間なのだ。最低限の決まりさえ守っていれば何の問題もない。観光という言葉になにかときめいたクーヤは少し悩んでから首を縦に動かした。
「やったぁ! それじゃあ、移動しよ!」
「移動って、この近辺じゃないの?」
「そうだよ。ほら、行こうよ」
 先に着替え終えた友人が早くとクーヤを急かす。それに続くようにクーヤも更衣室を出て友人を追いかける。

 普段、山奥で生活しているクーヤにとっては見るものすべてが新鮮だった。電気で動く車や緑色をした変わった乗り物。ろうそくのような高い建物などと現地に着いた時のクーヤはずっとはしゃいでいて、友人はクーヤから矢継ぎ早に質問を受ける度、それに全て答えていった。全て答え終わった時は、練習が始まる数分前で二人とも大慌てで着替えて何とか間に合ったが……。いざ練習となるとさっきまではしゃいでいたクーヤはどこへ行ってしまったのか、視線は真剣そのもので声をかける隙がなかった。そんなメリハリのあるクーヤのことが友人は大好きだった。
「ところで、どこまで行くの?」
 緑色の車中で、ガイドブックを開きながらクーヤが尋ねた。友人はクーヤからガイドブックを奪いぱらぱらとめくりここと指さす。そこには「嵐山」と書かれた場所だった。友人は何度か行ったことがあると聞いていたので、初めての都散策は友人に全て任せようとクーヤは思った。

「着いたー!!!」
「ここが……あらしやまっていうところなのね……川からの風が気持ちいわね」
「でしょでしょ? それと、せっかく来たんだからさあれこれ楽しみたいじゃない?」
「そうね。せっかくだし、あちこち巡りたいわね」
「そうこなくっちゃ! それじゃ、最初はこっちこっち!」
 もはやガイドと化した友人の追いかけるクーヤの気持ちは高まっていき、これからどんな景色が見れるのかと思うと胸のリズムは収まりそうになかった。
 最初に立つ寄ったのは着物の貸してくれるお店だった。友人曰く、まずはこういうので気分を高めるのが大事とのことだったので、クーヤはそれに倣い着物を選ぶ。気に入った着物を見つけると、クーヤは慣れた手つきでどんどん着付けていく。お店の人も驚くその手際の良さにうっかり自分でやってしまったクーヤはしばらく顔から熱が引かなかった。友人が着付け終えるまでの間、クーヤは窓の外を眺める。天気にも恵まれ絶好の観光日和となった今日に心から感謝をした。それと、観光に誘ってくれた友人にも。
「お待たせぇ! それじゃあ、次は今日のメインです」
「もうメインなのね。どんなのかしら」
「ふふふ。それは来てのお楽しみ♪」
 貸してくれたお店の人にいってきますと言い、二人はすぐに外に出た。着慣れているものだけど、なんだか違う感覚に思わず気持ちが弾むクーヤの顔は太陽と同じくらい輝いていた。
 友人について歩くこと数分。着いたのは大きな車輪のついた車だった。その近くにはたくさんの男性がいてお客さんに声をかけていた。そこへ友人がずいっと一歩前へ出てなにやらその男性と話している。すると、その男性はお待ちしていましたといい、二人を案内した。友人に手招きされたクーヤを小走りで大きな車に近付き改めて大きいと感じた。
「今日はご予約、ありがとうございます。一名様ずつのご乗車で間違いないですか?」
「はい!」
「えっ! 一緒じゃないの?」
「こういうのは、雰囲気も大事だからね。人力車デビューおめでとうってことで」
「もう……無理しちゃったんじゃないの?」
「なんのことかな? ほら、乗った乗った!」
 友人に乗るよう促されてみたものの、クーヤの乗る人力車にはまだ男性が来ていない。友人の方はすでに乗車も済ませ準備ができている。小麦色に焼けた小柄な男の子が元気よく挨拶をした。
「案内させていただきます、アラジンって言います!」
「それじゃ、先に行ってるねー!」
 友人に手を振り、見送るクーヤ。すると背後から人の気配を感じ、ゆっくりと振り返る。そこには長身の男性が立っていた。
「お待たせしてすんませんでした! 担当させていただきますアキレウスって言います!」
「よ……よろしくお願いします」
 クーヤの何倍もある身長に驚きながらも、きちんと挨拶をする。
「さぁ、足元に気を付けて乗ってください」
 小さな箱のようなものを足場に、人力車に乗り込むクーヤ。赤いシートに腰を下ろすと普段座っている椅子とはまた違った感覚で新鮮だった。
「では、ちょっと動きますよ……っと」
 アキレウスが人力車の引手を持ち上げると、一瞬ふわりとした感覚の次に安定感がきちんとやってきてとても座っている時に見える高さでは味わえない光景が広がっていた。
「うわぁ……」
 軽快に走り出した人力車は、心地よい揺れと共にクーヤを都が放つ神秘へと誘う。
「まずご案内するのは、竹林です」
「すごい……」
 クーヤが感じている風と竹林から聞こえるさやさやとした音は、風鈴にはない涼しさを感じた。その間をゆっくりと歩くアキレウスは途中で止まり、人力車の持ち手を下ろした。
「せっかくなんで、ここで記念撮影しましょうか。カメラはお持ちですか?」
「あ……えっと……これ……かな」
 友人から渡されたインスタントカメラだが、きっと役に立つといい無理やりカバンに入れられたのが……そういうこととクーヤは思わず納得した。
「では、お借りしますね。はい、ポーズ」
 どうポーズをとっていいかわからず、たまたま風に吹かれた髪をおさえるようにした時にパチリと音がした。その瞬間、アキレウスはとても嬉しそうに声をあげた。
「いやー、ナイスタイミングでしたよ。現像したときが楽しみですね」
 返却されたインスタントカメラにはどのように写っているのだろう。また楽しみが増えたクーヤはアキレウスの引く人力車を心から楽しんだ。竹林の中にある小さな神社、田園風景が広がる場所をぐるり一周し、都の風を全身で受けた。アキレウスも微笑んでいるクーヤを見て嬉しくなったのか、時々見せる笑顔がきらりと光る。不意を突かれたクーヤはその顔に思わずどきりとする。

 色々と巡り巡って、あっという間の時間を過ごしたクーヤはまだ乗っていたという気持ちで一杯だった。初めて見るものもそうだが、なによりアキレウスの案内や話し方が気に入った……のかもしれない。人力車を引くだけでなくクーヤと一緒に巡っていることを楽しんでいるかのようだった。だからなのか、名残惜しさも強く残っているようだった。
「今日は案内してくださって、ありがとうございました」
「こちらこそ、ご乗車ありがとうございました。そして、遅れてしまって……すんませんでした」
「いえいえ。また乗りに来ますね」
「ほんとっすか!? いやぁ、嬉しいです! お気をつけていってらっしゃい!」
「それと……一つお願いが……」
 人力車から降り、代金を払い案内してくれたアキレウスに別れを告げる。その先で友人が大きく手を振ってクーヤを呼んでいた。
「おーい! こっちこっち」
「ただいま!」
「おかえり! ……? なんかいいことあったの?」
「え? なにも? それよりさ、もっとあちこち写真撮ろうよ!」
「わかったわかった! わかったから引っ張らない! クーヤったら! おーちーつーけー」
 クーヤの心をここまで軽やかにしたのは、人力車のせいなのかそれとも都のせいなのか……。今はただ「楽しい」という気持ちで一杯のクーヤは、都の写真をたくさん撮影しながらはしゃいだ。それは普段見ないクーヤの本当の顔なのかもしれない。

 合宿を終えた数日後。現像した写真を見たクーヤは一人、アキレウスと一緒に撮影した写真を眺め、満足そうに微笑むのであった。
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