紅鼈甲

文字数 3,276文字

 京の都。半月が空に昇り、間もなく朧雲がそれをかくしてしまう刹那、一人の術士が空を仰ぐ。ざわざわと胸を騒がせているは吉か凶か……。術士の直感では後者だと叫んでいる。
「……なにも起こらないといいのですが……」
 術士─ヨミはそんな空模様と同じ表情をしていた。ここ最近、都では物の怪による怪異が多発していると聞いている。怪異がある度に出向き陰陽術を行使し物の怪を退ける力を持っているのだが……その頻度があまりにも高すぎる。これはきっと悪い知らせに違いない。そう判断したヨミは符術を用い、式神召喚(召喚術と似ている儀式)を行った。
「……お願いです。力を貸していただけませんか」
 淡い光を帯びた札を床に描かれた五芒星に投げつける。五芒星の真ん中へと吸い込まれた札は人型となり、徐々に人間の形へと変わっていく。
「お呼びでしょうか。ヨミ様」
「何度もお呼びしてすみません。呉葉」
 呉葉と呼ばれたのは十二単を纏った物腰が柔らかく、清楚な鬼族の女性だった。彼女が扇子を動かせばどこからともなく紅葉が舞い、彼女が舞えばどこかともなく人型が現れる。人型が現れれば術式が展開されるという不思議な魅力を持っている。
「もしかしたら……と思っていました。私でよければ力になりましょう」
「ありがとうございます。早速で申し訳ないのですが……」
 偵察に向かわせていた式神からの情報を元に、怪異が起こっている場所へと向かう。ヨミは別の詠唱を行い符術を展開させると人型で作った鳥の背中に乗り、呉葉はくるくると回りながら扇子を仰ぐとふわりと浮き現場へと向かった。

「……これは……」
「……っ! ひどい……」
 現場周辺に到着したとき、残念なことに犠牲者が出ていた。腹を裂かれ、臓物を食い荒らされいて犠牲者の瞳は白く濁り始めていた。ヨミは犠牲者の瞳をそっと閉じ、冥福を祈った。呉葉もそれに倣い小さく祈った。
「……一刻も早く食い止めなくては……」
「行きましょう」
 犠牲者の亡骸を一旦、人目のつかない場所まで移動させてから二人は式神から報告のあった場所へと駆けた。
 目撃のあった場所へと到着したものの、それらしき気配は感じ取れないヨミは式神を行使し近辺の偵察に再度遣わした。辺りは静かな街道なのだが……こんなところでと不思議に思ったヨミは首を傾げた。それには呉葉も小さく頷いていた。
「私も同じことを考えていました。なぜ、ここのあたりでそういった被害が……」
 唇を震わせながら呉葉は言う。これにはなにかあると睨んだヨミは背後から感じる視線に気づき、振り向く。そこには老いた男性がこちらをじっと見つめていた。
「おんしら……何か捜しているんけ?」
 危うく符力を込められた札を投げつけそうになったヨミは、はっとなる。すぐに謝り、簡単に事情を話す。すると老人はふうむと唸りながら心当たりがあるかもしれんと答えた。
「本当ですか。どのあたりで見かけましたか」
「えぇと……こっちだ。ついてこい」
 そういって老人はゆっくりとした足取りで歩いていった。遅れてはならないと急いた二人もそれに続いていったのだが、すぐに老人を見失ってしまった。おかしい……確かにこっちへ歩いていったはずなのに。二人で注意深く辺りを見回してもそれらしき老人は見つからず、代わりに偵察に遣わしていた式神が帰ってきた。式神はヨミの耳元で何かを囁くとすぐに消えていった。
「どう……でしたか?」
 あまり良い表情をしていないヨミに恐る恐る聞いてみた呉葉。声をかけてもしばらく返事がないということから察すると呉葉の顔も少しずつ曇っていく。
「……おんしら。捜しているのは……コレカァ??」
 背後にぴったりと張り付いている妖気を含んだ空気に、ヨミと呉葉は動けないでいた。迂闊だった……情報を探そうと焦ったばかりにこうなってしまうとは……。ヨミは唯一自由である首を動かし背後を確認した。そこには赤黒い物体をぶらぶらと揺らしながら持っている何かがいた。
「新鮮なゾウキは……うめぇゾ……ケケケ」
 さっきまでは老人だった人物が、人物ではなくなり物の怪のそれとなっていた。でっぷりと肥えた体から生える四本の足、鬼のような立派な角が頭から生やし口からは鉄と腐食物を混ぜたような臭いを発している物の怪─土蜘蛛はにたりと笑う。
「馬鹿メェ。こうも簡単にヒッカカルなんてなぁ……。さっきの人間のホウが利口ダッタゼェ」
 生温く湿った言葉がヨミの耳にずかずかと入ってくる。身じろぎしかできないヨミはただ老人だったものを睨みつけた。目が合うと土蜘蛛はげらげらと下品に笑いながら口の端を持ち上げた。
「安心シナ。すぐに楽になるからよ」
 がばぁと大きく口を開けると、一瞬だけだが妖気が薄まり束縛から逃れることができた。呉葉の手を握り危うく物の怪の食事なることだけは避けることができた。
「なんだぁ。逃げても、オマエらは食事なのはカワラナいんだぜぇ」
 まるで全身を舐めまわすような物言いにヨミは嫌悪感を前面に押し出し、符術を展開させる。
「あなたを祓います。呉葉!」
「はい。舞いります!」
 呉葉が扇子を広げ、不規則な足取りで踊りだす。
「ひらり一夜にひらひらと。ふらり二夜にふらふらと。明けの葉散って地を覆う。宵の葉舞って天染める」
 扇子が舞う度に式神も舞い、式神が舞うということは……。それに気付かない土蜘蛛は呉葉の不思議な舞にすっかり見惚れてしまい、あっさりと術にかかる。急に動けなくなった土蜘蛛は焦り何度も自分の足を動かすも鉛のように重くなった足はびくともしなかった。
「ヨミ様。お願いします」
「急急如律令!」
 九字を切り、札にたっぷりと符力を注ぎこむとそれを土蜘蛛目掛け真っすぐに投げた。風の抵抗もなんのその、札は迷わず土蜘蛛の額に張り付いた。張り付いた札から強力な符力が放出され土蜘蛛に継続的に衝撃を与えていく。
 今度は大きな数珠を取り出し、土蜘蛛の前で舞い始める。ヨミが強く地面を踏むのと同時に土蜘蛛から苦悶の声が漏れ、この舞でも継続的に衝撃を与えていることがわかる。舞も激しくなり間もなく終わるというときに思いきり地を踏む。
「あああアアアあああァァァっ!!」
「お帰りなさい」
 ヨミは最後に手を大きく叩くと、さっきまでそこにいた土蜘蛛は跡形もなく消え去っていた。そして辺りが静まり返ると、ヨミはがくりと膝を落とした。
「ヨミ様!」
「……大丈夫です。少し疲れただけです……」
「でしたら……すぐにお休みになられないと……」
 呉葉はすぐに扇子を取り出し、ふわりと舞う。やがて妖力によって増幅された気流が二人を包み込み、夜の都上空を駆けた。

 すぐに床の準備し、ヨミを休ませる呉葉。さっきよりも呼吸が安定しているのを確認した呉葉は、ほっと胸を撫で下ろした。しかし、容体が変わるかもしれないという考えから呉葉はしばらくヨミから離れなかった。額にのせた布巾も温くなってしまったので交換しようと立ち上がったとき、呉葉は何かに引っ張られている感じがして振り返る。
「あなたがそばにいてくれることが……一番嬉しい……」
「……ヨミ様……」
 布巾を桶の中に入れ、布巾の代わりに呉葉の手がそっとヨミの額に触れる。落ち着いているとはいえ、まだまだ熱いと感じてしまう程。その額にのせている手はひんやりとしているのか、ヨミは気持ちよさそうに息を吐いた。
「……ヨミ様?」
 返事が返ってこないということは、すっかり落ち着いたのだろうか。さっきよりも表情は穏やかに見える。そんなヨミを見た呉葉はなんだか嬉しくなり、ヨミが目覚めるまでこのままでいようと思った。
 
 私を救ってくれた……ヨミ様のためなら……。

 私はヨミ様と一緒にいられて……とても幸せです。

 だから、今はゆっくりお休みください。

 私は……いつでもヨミ様のそばにいます……。

 呉葉がふと外を見ると、雲間から朝日が差し込む光景が目に入った。
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