まんまるかわいい♪おちょぼ時雨

文字数 5,218文字

 こぽこぽと音を鳴らして歩き、背中からはだらりとした帯、漆黒の髪は季節を感じるかんざしでまとめ上げ、薄く引いた紅がなんとも映える舞妓が行き交う。ここは普段、昼は静かな街並みなのだが夜は一変し華やかな明かりで彩られるという二面性を持つ特徴がある。
 日が落ちるに連れて、町屋のあちこちでぽつりぽつりと明かりが灯れば、この町は一気に活気付く。昼の静かな街並みを見ていた通行人が訪れたものならば、その変わりように全員が声を大にして驚くほど。その驚く人を涼しい顔で通り過ぎる一人の舞妓もまた、こぽこぽと音を鳴らしながら今日も元気に舞を舞う。彼女の名は焔(ほむら)。その名の通り、彼女の芸風は普通のものとは違い、炎と共に舞い詠うという変わった特徴があった。そんな彼女を一目見ようと彼女が住まうお茶屋には予約の電話がひっきりなしに鳴り、管理をしている家主が言うには半年先まで予約で埋まっているほど、大変に人気の舞妓なのだ。そんな彼女はいつもは舞踏家としての顔も持ち、昼は自ら教鞭を取り舞い方や詠い方を教え、いずれは一流の舞踏家に育て上げるのが夢だと語る。そして、夜は夜とて彼女ももう一つの顔として、舞妓としてお座敷に上がり楽しんでもらえるように精一杯舞いを舞う。自分にしかないこの持ち味を生かした結果、彼女はこの道へと進むと言っても過言ではない。
 今日のお座敷会場に到着した焔は、店長に深々とお辞儀をし、呼んでいただいたことに感謝の意を述べた。用意された部屋で軽く身支度を済ませ、姿見で自分を顔を見た焔は愛用の扇子を持ち笑みを浮かべた。
「焔。今日もお気張りやす」
 小さく頷き、客人がいる部屋の襖を軽く叩いてから少し、また少しと開いていき最後は焔が正座をし、頭を下げている状態で店長が襖をゆっくりと開けていく。一呼吸置いてからゆっくりと顔を上げ、客人に柔らかな笑みを浮かべながら名を名乗った。
「焔と申します。本日はよろしゅうおたのもうします」
「おおー! この方が噂に聞く……なんと美しい」
「おおきに」
 髪色と同じ漆黒の着物に、青と赤の帯。着物の袖には炎を思わせる刺繍が施されていた。見たことのない模様、見たことのない美しさに客人全員が息を飲む。焔は小さく笑いながら客人全員に酒をお酌し、薄く笑う。最後にこのお座敷の中で一番偉いとされる男性の前に座り、焔が酒をお酌しようと屈むとなんとも薄ら汚い顔をしているのを、見逃さなかった。
(まぁ……いつものこと。きにしゃんとこ)
「はい。どうぞ」
「うむ」
 注いでいる最中も、その汚い顔がきれいになることはなく、終始そのまま焔を見ていた。これもお仕事だと割り切り、焔はお酌を済ませると一礼をしてから小さく咳払いをして合図を送ると、襖の奥からこの国独特の楽器を持った人物が現れた。左右に一人ずつ、そして真ん中に焔が立ちお辞儀をすると、左にいる人物が楽器を鳴らす。続いて右の人物も合わせて楽器を鳴らすと焔は帯に挟んでいた愛用の扇子を持ち、一気に広げる。

 ボワッ

 広げるのと同時に炎が上がり、扇子の先でゆらゆらと燃える炎とともに優雅に舞った。ある客人はさっきまで騒いでいたのだが焔が舞い始めると口を開いたまま黙り、またある客人は酒を飲むのを忘れて舞う焔に釘付けになっていた。独特の音色に合わせて焔が舞い、詠う。焔が舞う度に炎が踊り、空を焦がす。時折大きく扇子を動かして炎と空気が奏でる音色を混ぜながら、焔は気持ちを込めて詠う。もしかしたら、これが最後になるかもしれない。けれど、また何かをきっかけにこの舞を思い出してくれたら……そんな気持ちが最高潮になったとき、焔は大きく扇子を動かしてぴたりと止まる。そして何も変化がないと感じた客人の一人が拍手をすると、それが段々と大きくなりお座敷から溢れんばかりの拍手で溢れていた。
「すごい……中々予約が取れないって理由がわかった気がします……」
「そうだな……これは一度はみるべきだな……」
「まぁ、あんじょうどすなぁ」
 客人はどういう意味か分からないまま、適当に笑いながらお座敷から出ていく焔に手を振った。焔は一旦お座敷から出ると、今度は客人との時間を楽しむための着物に着替える。慣れた手付きで帯を締め終えすぐにお座敷へ戻る途中、何か話し合っている声が聞こえたため襖を開けずに耳を立てていた。
「なぁ……あんな踊り中々見れないってこと、わかったな」
「そうだな。あー、これがしばらく見れないとなると寂しいな」
「……簡単な話じゃねぇか」
「え? どうするんですか?」
「それはだな……」
 そこから先は声を潜めてしまっている為、よく聞こえなかったがどうやらあまりいい話ではなさそうだとわかった焔は肩を竦めた。聞かなかったことにし、焔は少しの間を取ってから襖を開けてお座敷へと入っていった。客人は何食わぬ顔で焔を迎え入れ、今度は何をするのか楽しみを装っていた。
(そんな顔しても無駄やのに……ほんま堪忍やわ。そんなこと聞いてしもたら……整えた気分がわややわぁ……)
「おまちどうさんどす。では、ここからは簡単な遊戯でもしまひょか」
「おおー! いいねぇいいねぇ!」
「最初は……とらとらいいます。この仕切りにどなたかお入りください。わっちが『とらとらとーらとーら』と言ったら前に一歩出てくだしゃんせ。その際、三つのうち、どれかがわかる格好で。一つは杖をついたおばあちゃん、一つは力強い男の人、最後は四つん這いの虎。簡単に言えば体で遊ぶじゃんけんみたいなものどす。おばあちゃんは男の人に、男の人は虎に、虎はおばあちゃんにという三竦みどす。あいこならもう一回恰好を決めなおして勝負です。まずは練習してみてから本番いきましょか」
「なんか面白そう。じゃあ、おれがやってみる!」
 客人の一人が仕切りの左側に、焔が右側に入り手拍子を混ぜながら歌を歌う。最後に「とらとらとーら」と言い、客人は強い男、焔は杖をついたおばあさんの恰好で顔を合わせた。
「あちゃー、おれの負けってことか」
「うふふ。わっちの勝ちどす」
「じゃあ、次はぼくが」
「はい。どうぞ。勝負どす」
 手拍子を混ぜながら歌い、焔がゆっくり「とらとらとーら」と言うと、客人は虎に対し焔は虎の恰好で顔を合わせた。
「あら、負けてしもた」
「これはぼくの勝ちってことですね! 楽しいですねこれ」
 最後に出てきたのは、あの薄ら汚い顔をした男だった。焔の顔を見ながらにやにやと何か企みがあるようにしていると、ぐにゃりと歪んだ口から汚泥が吐き出された。
「最後は俺だ……。ただ普通にやるのもつまらんからな。ここで一つ賭けをしようか。もし、俺が勝ったら焔、お前を俺の会社で雇って社員全員にその踊りを披露してもらう」
 これを聞いた焔は眉をぴくりと動かす。聞き捨てならないことを聞いてしまったような気がした焔はどういう意味かを尋ねた。
「簡単に言えば、俺がお前を買うということだ。安心しろ。お前の給料はここの数万倍出してやってもいい。悪くないだろ」
「はぁ……。逆にわっちが買ったらどないしはります?」
「お前が? そんなことはあり得ん。さぁ、勝負だ」
(……これは言っても聞かへんな。しゃーない。やるだけやってみましょ)
 焔は歌い始め、ゆっくり「とらとらとーら」と言うと、男は虎、焔も虎だった。これはあいこなので仕切り直しとなる。また焔が「とらとらとーら」と言い、一歩前へ出ると男は杖をついたおばあちゃん、焔も同じ杖をついたおばあちゃん。これまたあいこなので仕切り直し。それが数回続いたとき、焔はちょっとした違和感に気が付いた。
(こんなにあいこってなる? もしかして……)
 まだはっきりとはしてないが、もしこの仮説が正しければ……焔はまた歌い「とらとらとーら」というとき、かすかな音を捉えた。それは焔が恰好を決めてから数秒後に咳払いが聞こえた。そしてその咳払いの回数が焔がとっている格好と紐付いている。一回ならおばあちゃん、二回なら男、三回なら虎という具合だ。そして、今回聞こえたのは二回。焔が男の恰好で出ようとまだ三竦みがわかっていないのか、相手は同じ格好で出てきた。これで相手が要領を得たのなら、次は……。
「もう一回行きますえ。せーの『とらとらとーら』」
 焔はおばあちゃんの恰好で出ると決めて、男の咳払いを確認してからすぐに男の恰好へと変更し顔を見合う。すると、相手は虎の恰好で出てきた。
「なっ……!!」
「あら。わっちの勝ちどすな」
「あ……お前!! しっかりしろ!!」
「そ……そんなこと言われましても……」
「しっかりしろとは……一体何の話をしてはるんでしょ?」
 穏やかな口調が逆に背筋をぞわりとさせる。特に咳払いをして指示を送っていた男の表情は凍り付いていた。男からも怒られ、焔からもどういうことかを迫られた指示を送っていた男は耐え切れず、叫びながらお座敷を出て行った。
「あらあら。一体どなしはりましたのやろ。わっちはそんなややこしい事聞いてあらへんのに」
「ぐっ……ぐぅ……」
「あらぁ? その顔、何か知ってはります? なら、教えてくれまへんか? あの人に代わって、あんさん自らの口で……ね?」
 悪戯な笑みを浮かべて言の葉を飛ばす焔は、相手をじわりと追いつめていきながら狩りをする獣のような目に変わり、相手の返事を待つ。しかし、待てども返事はなく待ちくたびれた焔は扇子を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返しながら男の耳元で囁いた。
「まちごうてたらえらいすんまへん。もしかして……ずる、したんとちゃいます?」
 この一言に男の目は驚いた様子を見せ、それを答えだと受け取った焔はあぁとため息を吐きながら扇子を広げた。
「そうどすか……もうしゃべらんでええ。ちょっとばかし

がすぎてますなぁ……お客さん。そんなんしてたらあきまへん。みんなで楽しく遊ばな……な?」
「う……うっせぇ!! お前が負けていればこんなことにならなかったんだよ!」
 図星をつかれた男は拳を焔に振り下ろそうとした。さすがにそれはまずいと思ったのか、残っている男はそれを止めようと入るが、もう間に合わないのはわかっていた。しかし、体を動かさないわけにはと思って飛び出したのだが、その男の目には動かない焔が映っていた。
(はぁ……堪忍や。少々痛い目みんとわからんようやな……)
 焔が扇子を広げて下から上に空を切ると、焔と頭に血の上っている男の間に炎の壁が現れた。炎の勢いは焔の怒りなのか、さっきの舞踏で見ていたものよりも荒々しく燃え盛っていた。
「な……あっち!! あちぃ!!」
「あんさん……これでおしまいにするさかい、もうここにはこんといてくれます?」
「うっせえ! そんな珍しいものを目の前にして食い下がれるかってんだよ!」
「……忠告はしましたえ? なら、仕方ありまへん」
 焔が扇子を振り上げると、炎の壁の熱量は一層上がり、近付くだけでも火傷をしてしまいそうなものだった。それに男は怯むも、すぐに炎の壁の先にいる焔に向かって腕を伸ばすも凄まじい熱量に負け、腕を引っ込めて一歩下がる。
「炎舞……鬼火舞い」
 流れるような足捌きで舞うと、扇子の先からぽつぽつと炎の塊が生まれゆらゆらとしながら男の方へと飛んでいく。その数、もはや数えることを止めたくなるほど夥しいものだった。あまりの炎の数にただ口をぱくぱくすることしかできない男の目の前で、焔が怒りの言の葉と共に扇子をぱちんと閉じる。
「ええかげんにしよし」

 ボウッ

 男の目の前で鬼火が破裂し、それが連鎖となってほかの鬼火に着火し破裂しを繰り返し男は恐怖のあまり涙を流しながら叫んだ。しかし、これは焔の扇子に宿る力で実際は複数の鬼火を呼び起こし扇子の力で男の視界を狂わせ、夥しい数の鬼火を見せていた。その様子を見ていた残っている男はなぜにそんなに大きな声で叫ぶ必要があるのか不思議そうにしていた。そして、泣き叫びながら男が出ていくと、焔は残っている男に向き直った。ビクリと体を震わせる男に焔は安心しよしと言いながら扇子を帯にしまう。
「これでしばらく

はしないでしょ……。あんさん、このことは内緒にしといてな」
 焔は子供のような仕草で男に告げてからお座敷を出ていくと、店長が慌てた様子で何があったのかを聞いてきた。それに対し焔は涼しい顔をしながらこう答えた。
「さぁ。わっちはよう知らへんな。なんか用事を思い出したんとちゃいます?」
 帰る支度を済ませ、焔は店長に挨拶をしてから自分の住んでいる家へと向かう。途中、ひやりとした風が焔の頬を撫でると、焔はぺろっと舌を出しながら呟いた。
「……やりすぎたかしら?」
 それに対し返答はないが、代わりにひやりとした風がしばらく焔の袖をぱたぱたとなびかせていた。

 こぽこぽ ぱたぱた

 この二つの音が重なったとき、焔はくすりと笑った。
「なんか、かいらしいなぁ」
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