ブラックチェリーとプラムのしっとりマドレーヌ【魔】

文字数 3,503文字

「いらっしゃいませー」
 普段は絶対に立ち寄らないはずなのだが、なぜが今日に限っては寄りたくなる。そんな感じがしたエクローシア。さらさらの金髪に整った顔立ち、モデルなのかと声がかかるくらいの体躯は性別問わず誰しもが振り返る完璧なプロポーションだった。
(……下賎な生き物の視線。はぁ、汚らわしい)
 注文を待っている間に注がれる様々な人たちからの視線に気付きながら、必死に気付かないふりをしている。エクローシアは普段から人間を見ると「汚らわしい」とか「触れないで」とか一瞬、潔癖症なのではないかという発言が多いが、本人からすればそれは本心であり近付いてほしくないという直球ドストライクな表現だ。
 今日はただ散歩をして帰るつもりだったのだが……こういう下賤な者たちが作るものが気になってしまったエクローシアは、昼時の喫茶店の扉を開けた。普段であればどこもかしこも人で埋め尽くされている様子は当たり前なのだが、この時のエクローシアは気を失ってしまいそう眩暈を覚えた。でも、これも一つの知識を得るためだと何度も何度も自分に言い聞かせ、ようやく頼んだコーヒーをテラス席まで自分で持ち、椅子に腰を下ろした。
「……ちょっと後悔かしらね。こんな時に来てしまうなんて」
 なんて言いながら出来立てのコーヒーの香りを楽しむあたり、まんざらでもないようだ。一口含むとさっきまでのきつい表情は緩み、どこか安心したように薄く笑った。
「……悪くないわね」
 少しずつ味わいながら楽しんでいると、目の前に見慣れた人物が腰を下ろしていた。紫色の髪に闇色の中に浮かぶ真っ赤な瞳。文字通り白く透き通った肌の魔女─ルクスリアだった。どうやら彼女もこの喫茶店で寛ぐつもりのようだ。
「……ルクスリア。なんでわざわざここに座るのよ」
「あそこの人間が言ってたわよ。相席になりますって」
「……はぁ」
 エクローシアからすれば迷惑極まりだが、こうもたくさんのお客で賑わっているのなら我慢をするしかない。それに、せっかく購入したこのコーヒーを無駄にしたくないという思いから、エクローシアは苦手なルクスリアとしばしの相席を犠牲にした。

「ところで……あなたはまだ一人でいるの?」
 ルクスリアが何気なく聞いた質問に、エクローシアは少しムッとなった表情で言い返す。
「なによ。一人でいるのがいけない?」
「そうじゃないわよ。一人だけだとなにかと苦労も絶えないと思って」
「そんなことないわよ。一人でいるほうが何かと楽よ。あんたみたいに下賤な生き物を引き連れたりしないもの」
「あら、言うわね。私にとって人間の男は……そうね。奴隷とでもいうのかしら。私の為ならなんだって犠牲にするって言うんだもの。だったら……望み通りにしてあげるのがいいじゃない?」
「……どうかしら」
「あなたこそ、ずっと一人でいる方が可哀そうだと思わない??」
「別に……かえってすっきりするわ。誰にも干渉されない方が楽だもの。それに……慣れているもの」
 一口コーヒーをすするエクローシアに、ルクスリアはコーヒーにミルクを入れながら呟いた。
「……人間の言葉でね、慣れるというのが一番怖いっていうみたいなのよね」
 ……それは知っている。存在してからずっと、わたしは一人だった。この魔力の宿った布だけがわたしの理解者でありパートナーだった。なにかあればこの布がわたしの代わりに下賤な生き物に触れ、払い、黙らせる。ずっとそうしてきた。ずっとそうしてきたからこそ、怖いのだ。もし、この布がなかったら……わたしはどうなってしまうのだろう……と。
「それにね。ずっと気になってたことがあるのだけど、聞いてもいいかしら?」
 ルクスリアが頬杖をつきながらエクローシアに尋ねた。エクローシアは構わないわよと言い、真正面からルクスリアを見た。真剣すぎるその視線をかわしながら、エクローシアは口を開いた。
「あなた、何がそんなに怖いのかしら?」
 的を射た発言に思わず口元が引きつってしまう。どう答えていいかわからず、エクローシアはカップを抱えるように持ち、俯いた。
「……」
「この際だから、全部話してすっきりしてしまうというのはどうかしら」
「……まさか、あなたにそう言われるだなんて想像もしなかったわ」
「私もよ。なんだか……放っておけないっていうのかしら。このままだと、あなたが潰れてしまいそうだったから」
 うっすら笑みを浮かべながらルクスリアはエクローシアを眺めている。やがてエクローシアは大きく溜息を吐き、半ば諦めた様子で口を開いた。
「……そうね。悔しいけどあなたの言う通り、わたしはきっと……一人が怖いのかもしれないわね」
「……」
「誰かに干渉してもらえばもらうほど、人との関わりが怖くなっていって……孤立していったもかもしれない……」
「……なんでそう思うようになったのしかしら?」
「それは……うまく言えないのだけど。優しくされるのに慣れていないっていうのが正解なのかしら……人の優しさなんて信じられるものではないって、心のどこかで思うところがあって……優しくされると……不安になるの」
「ふぅん。でもさ、心から優しくされたことないからそう思うのであって、もし、心から優しくされたら……あなたはどう思うかしら」
「それは……わからない。きっと冷たくあしらってしまうかもしれないわ……」
 ルクスリアは気付いていた。もう既に彼女は人に対して心を開きたいと思っていることに。その証拠に、今までエクローシアは人間に対して「下賤な生き物」と言っていたのに「人」と呼ぶようになっている。もう少しエクローシアの心を解すことができれば、きっと人との関わりを喜んでくれるだろうと思ったルクスリアはコーヒーを一口含み、エクローシアの口から溢れる不安な気持ちを静かに聞いていた。
「やっぱり……わたしって冷たい女かしら」
「……そうは思わないわ。ただ、あなたはもう少しだけ人間という生き物を理解すればその答えは自然と出てくると思うわ」
「理解を……」
 今までそういう風にしか見ていなかったエクローシアの表情が少しだけ柔らかくなった頃、店員がお水のお替りを注ぎに来た。
「お替り失礼しますね。あら、とっても素敵なお二人ですね。お友達ですか?」
 気さくに声を掛けてくれた店員にすぐ反応ができなくて困っていると、ルクスリアは小さく頷き、久しぶりに再会したのと言葉を続けた。すると、その店員はまるで自分のことのように喜び、拍手をした。その様子にとまどってしまったエクローシアはただ俯き、顔を赤らめた。
「あ、ちょっと待っててくださいね。すぐに戻りますから」
 そういって速足で店内に戻っていた店員を見たエクローシアは、すぐにルクスリアに小さく抗議した。
「ちょっと! いつからあなたと友達になったのよ!」
「あら、いいじゃない。こういう話の流れを変えないのも、ひとつの方法なのよ」
 納得のいく答えが返ってこなかったことに、余計に腹が立ったエクローシアは頬を膨らませてそっぽを向いていると、さっきの店員が満面の笑顔を浮かべながら戻ってきた。
「すみません。お待たせしました。お久しぶりの再会とのことなので、あたしからささやかなお祝いです!」
 そういって持ってきたのは、秋栗をふんだんに使ったモンブランだった。なんでもお店の人気商品で出たと同時に売り切れてしまうほどなんだとか。
「できたてをお持ちしましたので、溶けないうちに召し上がってください!」
 ごゆっくりと言いながら店員が店に戻っていくのを確認したエクローシアは、なんだか落ち着かない様子でモンブランを眺めていた。
「あなたはこれでも人間の優しさに触れるのが怖いと言うかしら?」
 エクローシアより先にルクスリアがモンブランを口にし、幸せそうにとろける顔を見たエクローシアは恐る恐るモンブランに手を出した。
「あの子が嬉しそうに持ってきてくれたモンブランの味はどうかしら……?」
「……うん。美味しい」
「普段のあなたなら『悪くないわね』って言うのにね。ちょっとだけ雰囲気変わったかしら」
「……少しだけ。ほんの少しだけ、肩が軽くなった気がするの」
「そう。それはよかったわね」
 人の優しさを知らなかった魔女がその優しさに触れたとき、こうも笑顔が眩しいと思ったことがあるだろうか。二人はしばらくモンブランに舌鼓を打ち、和やかな時間が流れた。そしてエクローシアはおもむろにメニューを開き、店員に声を掛けた。
「すみません。ちょっといいかしら」
 永い付き合いの中、自ら声をかけることが殆どない彼女が声を掛けるまでになったことを、どこか嬉しく思うルクスリアであった。
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