ティアーズドロップ【魔】

文字数 3,595文字

「大丈夫。痛くないから」
「死ぬだけだからよぉーー」

 ブォン

 少女が振り下ろした得物はしっかりと対象物めがけたのだが……手元が狂ってしまったのか、対象物から外れ、地面を盛大に抉った。それを好機とみた対象物は一目散に逃げだすと、薄暗い森の中へと消えていった。
「……あれ?」
「おい! アズ! どうしたんだよ!! しっかりしろ!! って、あーーー!! あいつ、逃げるぞ!!!! 待てぇえー!!」
 アズと呼ばれた少女─アズリエルは死を司る天使として、役目を果たそうと得物であるデスサイズを常に持ち、対象物に死という安らぎを与えている。そして、そのお供(?)は、頭蓋骨が上空をふわふわと浮遊しているもので名前は骨三郎という(実際はちゃんとした名前があるのだが、長いためアズリエルによりそう呼ばれている)。そしてその骨三郎は対象物を追いかけ森の中へと行ってしまった。一人ぽつんと立ち尽くしているアズリエルは、今までにない感覚に襲われていた。持っていたデスサイズを落とし、足は小刻みに震えていた。味わったことのない感覚にアズリエルはどうすることもできず、ただ立っていることしかできなかった。
「……骨三郎……」
 お供の名を呼ぶ声も覇気はなく、まるで霧のように霞み次第にアズリエルは自身をぎゅっと抱きしめ崩れ落ちた。

「はぁー。逃げられちゃったよ……おい、アズ! しっかり! ……って……どしたの??」
「……骨三郎??」
 今にも消えてしまいそうなアズリエルの声に骨三郎は驚き、慌てて駆けつける。長い間連れ添ってきていても、こういう状態に立ち会ったのは初めてで、骨三郎はどうしようかと困っていた。
「お、おい。アズ。ど……どうしたんだよぉ? なぁ、何かあったのか???」
「……」
 無言で首を横に振り、そうではないという意思を伝えると骨三郎は余計に混乱し一体何かと原因を考え始めた。そしてそれら全てを口に出してみるも返答は同じだった。
「うーん……そうとなると……アズ。落ち着いたらでいいから……話してくれるか?」
「……」
 無言で頷き、それを見た骨三郎はほっと安堵しアズリエルが落ち着くまで傍を離れなかった。


「……もう大丈夫か?」
「……うん」
 どのくらい時間が経過したのかはわからない。数分なのか数十分なのか数時間なのか……だが、それでもアズリエルの気持ちが落ち着くのならいつまでも待とうと骨三郎は思っていた。改めて何があったかを聞こうとする前にアズリエルが口を開いた。
「骨三郎……教えて」
「え……? お、おう。なんだ?」
 アズリエルは一呼吸おいてゆっくりと顔を上げると、潤んだ瞳で骨三郎とじっと見つめた。その様子にぎょっとなる骨三郎だが、アズリエルの視線は骨三郎から離れなかった。
「骨三郎……あたしって……あたしって……なに?」
「え? あ? アズ?? どうしちゃった??」
「あたしって……一体なに?」
「なにって言われても……アズはアズだろ?」
「ううん。そうじゃないの……あたしはなんで死神なの??」
「う……そ……それは……その……」
 予期せぬ質問になんて答えていいかわからない骨三郎は返答に困った。あたしはなにと言われてもアズリエルはアズリエルという普通の返答をしても、そうではないと首を振るアズリエルになんといえばわかってもらえるだろうかと骨三郎は必死になって考え始めた。
 というのも、アズリエルは気が付いたときには既にその使命を言い渡され、無垢な表情のままデスサイズを振るってきた。何度も何度も何度も振り下ろし、その魂を自分に取り込みまた次の生を狩りに飛び立つ。それを繰り返しているのが当たり前だと思っていたのだが、そうではなかった。さっき対象物へと振り下ろしたときのあの顔が、アズリエルの手元を狂わせたのかもしれない。
「あたしは……なんで魂を狩らないきゃいけないの……」
「なんでって……それはそう決まってるからなぁ……」
「だれがきめたの? あたしは……もっと

いたい……」
「アズ……」
「ねぇ……骨三郎。あたしはずっとこのままなの……ねぇ、おしえて」
「……すまねぇ……アズ。俺にはわからねぇ……すまねぇ……」
「そんな……」
 骨三郎からして見ても、まだこんな幼い少女に魂を狩らせる運命を与えた奴の気が知れない。できることなら、その運命を取り去り近所のお友達と元気に遊んでほしい。表情豊かな活発な女の子になって、たくさんのお友達に囲まれて楽しそうに笑っているアズリエルになることが可能なら……この魂、惜しくはない。身内の権力戦争に巻き込まれたとき、アズリエルがこの魂を拾ってくれたことへの恩返しだと思えば……俺は……喜んで差し出すだろう。しかし、そう都合よくいかないことは知っている。骨三郎は何もできない自分にいら立ちを覚え、

大きな声を出した。
「あーーーー!!! 誰だよ!! こんな可愛いアズにひでぇことさせるやつぁよーー? まだまだ遊びたい時期なのに遊ばせてももらえないなんて、なんて可哀そうなんだ。もし俺が人間に戻ったらアズにこんなことした奴をボッコボコにするから覚悟しとけコラァア!!!!」
 はぁはぁと息をする骨三郎をきょとんとした様子で見ているアズリエル。まさか大きな声を出すだなんて思っていなかったから、その衝撃は凄まじかったのだろう。
「はぁはぁ……このくらいは言わせろよなアズ。お前だってやりたいことあんのに、それができないなんて、俺は許せねぇ。お前はもっと好きなこと楽しまなきゃいけねぇんだよ!!」
「骨……三郎??」
「アズ。答えろ。遊びたいのか? それとも遊びたくないのか? どっちだ!!!」
「え……え?? あ……あたし……」
「そんな難しいことじゃねぇ。お前がどうしたいかだけだ。そして、その声に従えばいいだけだ」
「あたし……は……どうしたら……」
 アズリエルの目の前には怒気を含んだ頭蓋骨が迫り、答えを欲していた。遊びたい、遊びたくない。単純な選択のはずなのだがアズリエルは迷っていた。自分に(いつの間にか)課せられたことをしなくてはいけない。しかし、その際に立ち寄った町の子供たちの楽しそうな笑い声を聞いて何度羨ましいと思ったことか。何度デスサイズの柄を握り直したか……そう思い返すととアズリエルの胸はきつく締め付けられた。締め付けられる度に瞳から大粒の雫がぽたりと落ち、しましまのソックスにシミを作る。そのシミは段々と広がりアズリエルは両手で顔を覆い泣き出した。

 くるしい くるしい くるしい

 くるしい くるしい くるしい

「その思いから解放できるのは他ならないお前自身なんだ。さぁ、大きな声で言ってやれ。お前はどうしたいんだ??」
「あ……たしは……び……い……よ……ぶろう……」
「あぁ?? 聞こえねぇよ? もっとでっけぇ声じゃねぇと意味がねぇよ!! ほら、腹の底から声を出してみやがれ!!! お前はどうしたいんだ??」
「あたし……は……あそびたい!!! あそびたいよ!!! ほねさぶろーーー!!」
 魂の叫びで自身の心を解放させた瞬間、アズリエルの心の器に小さなヒビが入った。そしてそのヒビは徐々に器全体へと広がると、器の中に入っていた気持ちに負けましたとばかりに粉々に砕け散った。さらさらと落ちるヒビは自由を望む気持ちに吸い込まれるようにして消えてなくなり、アズリエルの心の器は新品同様のものが配置されていた。
「よく言ったなアズ!! どうだ、スッキリしたか?」
「……うん。なんだか、かるくなったきがする……」
「思いを口にするってのは大事だって誰かが言ってたな……ま、たまにはいいだろ?」
「うん……骨三郎」
「あん? なんだ??」
「ありがと」
「え……あ……え……」
 嬉しそうにほほ笑むアズリエルに何も答えることができない骨三郎は、なんだか顔(頭蓋骨)全体が熱いなぁといいながら照れ隠しをしていた。それに小さく笑うアズリエルは、またデスサイズを持ち、とてとてと歩くと遠く見える町を指さして骨三郎をぐいと引っ張った。
「ね、骨三郎。あたし、あそこいきたい! いこ!!」
「あ、ちょっと……アズさん!!?? ぶわぁああ!!! ひ、引っ張らないでぇええええ!」
「骨三郎……うるさい」
「うふひゃいって ひほい!!(うるさいって ひどい!!)」
 すっかり元気になったアズリエルを見て喜んだのもつかの間、骨三郎はアズリエルに引っ張られながら叫んだ。アズリエルはそんな骨三郎にお構いなしで、全速力で駆けた。途中、アズリエルは今までにないドキドキを感じていた。緊張していない……というと嘘になるかもしれないけど、どちらかというとワクワクが混じったドキドキというのだろうか……。その心地よい鼓動に胸を躍らせながらアズリエルは骨三郎を振り回しながら町へと向かっていった。きっと楽しいことがあると信じながら……。
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