果汁溢れるボンボンゼリー【竜】

文字数 2,055文字

「……うん。丁度熟しているわね」
 父親が有する敷地内にあるブドウ園で収穫を楽しんでいる少女がいた。名前はアリーサ。ミルクたっぷりのチョコレートのような色の髪に透き通った赤ワインのような瞳、頭からは白くうねった角を生やしている。ドレープがきいたエプロンドレスに身を包み、首にはこの地方でよく採れるブドウを模したチョーカーをしている。
 このあたりでは彼女の名前を知らない人がいない位、有名な酒の造り手である。主に自家栽培したブドウを使ったワインをあちこちに卸しており、大きな酒場などではワインを初めて口にする者は驚き、愛飲している者は「これこれ。この味だ」と言わんばかりに大きく頷きながらグラスを傾けている。
 籠いっぱいに熟したブドウを抱えながら醸造蔵へとやってきたアリーサは、ひとつひとつ丁寧に葉を落とし、果実が潰れないよう房から取り出していく。しばらくして、籠いっぱいあったブドウはあっという間になくなり、代わりに籠の中にはころころとした粒がきらきらと光っていた。
「さぁ、おいしくなるよう頑張らないとね」
 鼻歌を歌いながら腕をまくると、背後から何かを叩く音が聞こえた。規則正しく叩かれる音に聞き覚えのあったアリーサは、音のする方を振り向くとそこには常連さんが穏やかな笑みを浮かべながら立っていた。
「やぁ。頼んでおいたものを取りに来たよ」
「これはこれは。フェルナンド様。お待ちしておりました」
 ダークブラウンの髪色をなびかせながら立っている竜人─フェルナンド。お酒を愛するこの人は、時々アリーサが作るブドウ酒を求めてこうしてやってくる。普段はウイスキーが好きな彼も、アリーサが作ったブドウ酒を一口飲んだ途端、その芳醇な味わいに惚れ込んだとか。
「フェルナンド様がご注文されたのは……これですね」
 ワインセラーからきれいにラッピングされた一本のボトルを取り出し、フェルナンドに手渡した。
「うん。いつもありがとう。これはお礼だ」
 請求額よりも多く支払われた金貨に驚くアリーサだが、フェルナンドは何も言わずアリーサに背を向けながら手をひらひらさせながら出て行った。もうと言いながらアリーサはその金貨を金庫へとしまった。がちゃりと鍵をかけながらアリーサは、もっとおいしいブドウ酒を造ろうと決心をしながらフェルナンドが来たことを父親へと報告した。すると父親はまるで無関心なのか、何も言わず樽を洗い始めた。
「んもう。せっかくお客さんがきたっていうのに……困ったわね」
 父親はアリーサとは違い、不愛想で口下手。ただ黙々とブドウ酒を造り続けるという、初めてここを訪れた人はその異様な雰囲気に怯えてしまうかもしれない。これではせっかくの美味しいブドウ酒が求める人の手に渡らないと思ったアリーサは、父親に代わって自分があちこちに売り込みに行った。もちろん試飲用のブドウ酒を抱えて。今日は村、明日は町、明後日は城下町と少しずつ大きな拠点を目指しながら売り込みを行った結果、数多くのお客さんにブドウ酒のおいしさを伝えることに成功した。一人がブドウ酒を口にし、そのおいしさを他の人に伝え、その人が飲んでまた誰かにおいしさを伝えての連鎖ができていき、いつの間にかブドウ酒で作られた輪が構成された。
 ある日、アリーサが作ったブドウ酒を病院で働く関係者が購入し病院内で話題になっていた。そして夜になり、病院内にいるとある患者がそのブドウ酒を盗み一口飲んだ。すると、患者は目を見開き小さく声を挙げた。それはネガティブなものではなく、ポジティブなものだった。今まで長期間入院し、様々な薬を試したものの一向に良くなる兆しさえ見えなくなっていた患者は、半ばヤケクソに近い状態でブドウ酒を飲むと、体の内側がぽかぽかと温かくなり、次第に体全体へと熱は伝わっていった。不眠が続いていた患者はなんだか心地よい睡魔に襲われたのか、大きな欠伸をしながら自分の病室へと戻り床へと就いた。そしてブドウ酒を飲んだ次の日、患者の容体は快復していた。そのことを回診にきた従事者に話すと、最初は怒られたのだがブドウ酒の事を話すと、従事者は昨日この近くで販売していた少女のことを思い出した。もしかして、彼女の造るブドウ酒にはそういう効果もあるのではないかと思い、まだ余っているブドウ酒を薄め重症の患者に飲ませたところ、立ちどころに快復していった。
 それ以降、時々ブドウ酒を売りにくる少女を見かけては何本か購入しておき、重症患者用にと大切に保存された。まさかブドウ酒で快復するだなんて思っていなかった医師たちも驚き、これをきっかけに彼女の存在を知ることとなった。

「あとは……樽に入れてっと」
 丁寧に仕込んだブドウを、父親が洗った樽の中に入れ密閉。あとは樽の中でじっくりと飲み頃になるまで待つだけ。飲み頃になったブドウ酒をたくさんの人に楽しんでもらいたい。その純粋な気持ちが、アリーサのブドウ酒醸造のモチベーションとなっていた。今日もまた、アリーサの軽快な鼻歌が酒蔵から聞こえてくる。
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