ダークベリーとクリームチーズのホットサンド【魔】

文字数 6,026文字

 闇深き場所、自分の手すら確認ができないくらい深い場所。ただひたすらに真っすぐ進んだ場所にある小さなデスク。冥界の炎を燭台代わりにし、闇に似た漆黒の髪を腰まで伸ばし、疲れ切った眼差しの先にはその原因を作っているであろう山のような書類。片手はペン、もう片方は頬杖をつき、大きく溜息を吐く女性─オルプネーはそこにいた。
 彼女の仕事は中間管理職。上司の仕事を把握しつつ、管理、後処理。または部下の報告書のまとめや処理、はたまたクレーム対応などど多岐にわたる。彼女が所属しているのは所謂、冥界の事務所のようなものだ。それを数少ない人員で全てを賄っているのだからまぁ大変。常に問題だらけで一枚書類を片付けたと思ったらなぜか二枚増えてしまい、その二枚を片付けたかと思えば今度は四枚へと……減らせば減らすほど増えていくという謎の減少がオルプネーを悩ませていた。
「はぁ……今日も仕事が終わりませんね。徹夜になるかもしれません……」
 まだ若い彼女はあちこちに遊びたいお年頃なのにも関わらず、早いうちから就職をし安泰した先を過ごそうと決意し冥界の玉座にて女王のヘカテーと面接をし、即日採用。彼女の仕事に対する熱意がヘカテーに届いたようで、明日からきてくれとヘカテーに言われたその日は就職用のカバンを抱きしめながら帰った。
 翌日、彼女を待っていたのは書類という名の山だった。就職して最初に溺れた事務作業というのがこの山の処理と言うあまりにも悲惨な幕開けだったにも関わらず、オルプネーは持ち前の根性と仕事に対しての熱意を武器に一枚一枚先輩に確認をしながらこなしていった。だいぶ処理速度も増した頃、一緒に働いていた先輩が寿退社をした。お世話になった先輩がいなくなってしまうのは少し寂しいけど、私のわがままで先輩に迷惑をかけたくないと自分に言い聞かせ笑顔で見送った。
 その後、彼女の仕事量はその先輩が抱えていた案件も加算され、デスクは紙で埋もれていて作業できるスペースはほぼないといって間違いなかった。それでも確実に書類を減らそうと努力をするも中々減らず、我慢ができなくなったオルプネーは上司のヘカテーに相談を持ち掛けた。
「お忙しいのにすみません……ちょっと相談がありまして……」
「ほう……どうした」
「事務処理が捗らないので、どなたか手伝ってほしいのですが……」
 するとヘカテーは難しいを顔し、今はどこの部署も出払っていて手伝える人がいないというと、オルプネーは大きく溜息を吐いた。それを見たヘカテーは何かを思い出した。オルプネーに少し待つよういうと、どこかに行ったっきり小一時間戻ってこなかった。あともう少し経っても帰ってこなかったら事務所に戻ろうと決めていた時、ヘカテーが何も言わずに戻ってきた。
「遅くなってすまない。これを探していた」
「……はぁ……」
 これと言われても何も見えないのですけどと言いかけたそのとき、オルプネーの背後から何者かの吐息が耳にかかった。生暖かく、そしてなにかが腐ったようなそんな臭いだった。
「紹介がまだだったな。今、オルプネーの周りにいるそいつはシャドウワーム。それがお前の手となり働いてくれよう」
「これが……ですか?」
 にわかには信じられないが、ヘカテーが言うのならそうなのだろうと思い玉座を後にした。
「シャドウ……ワーム……」
「……」
 名前を呼ばれて反応したシャドウワームは「なに?」とばかりに低く唸った。オルプネーは小さく頭を振り、何でもないことを伝えた。事務所に戻ってきたオルプネーは今日何回目かわからない溜息を吐き、作業に取り掛かった。座る度に軋む音を出す椅子にもたれ、書類に目を通しサインをして「処理済み」と書かれた箱へと投げ入れていく。
「あら……これ、日付が入ってないし……それに名前もわからないわ……はぁ」
 オルプネーが処理に困っていると、どこからともなくシャドウワームが現れ、オルプネーの背後からその書類を覗き込む。しばらく動かないでいたシャドウワームがふっと消えどこかに行ってしまった。
「あら……? シャドウワーム? どうしたのかしら……」
 少し心配したオルプネーだが、まだ一緒に仕事して間もないからどこか気晴らしにいったのだろうと思いあまり気にしないでいた。山がだいぶ崩れ、きりがいいところで小休止を挟んでいるとどこかへ行っていたシャドウワームが闇からぬっと現れた。
「しゃ……シャドウワーム? どうしたの?」
 何かがしたから込み上げているのか、ぶるぶると体を震わせて口からべっと体を震わせていたものを吐き出す。
「きゃっ……! この子……」
 もしかしたらと思い、さっき保留にしておいた書類を引き出しから取り出しはっとした。日付や作成者の名前がないと嘆いていた書類だった。それをシャドウワームがここまで?
「シャドウワーム……もしかして……あなたが?」
「……」
 ぐるると低く唸り、まるで「そうだよ」と言っているかのようだった。でもまだこの子がこの書類を作ったかを確認しないとと思い、オルプネーは気絶している子を少し乱暴に叩き、目を覚まさせた。
「う……ううん……ここ……は」
「ごめんなさいね。急にこんなところに連れてきちゃって。早速で申し訳ないんだけど、この書類作ったのはあなたかしら?」
 まだ意識が混濁しているのか、虚ろな目でオルプネーが持っている書類に目を通すとその子は小さく頭を縦に動かした。抜けている箇所を指さし、ペンを持たせてから記入を済ませるとぺこりと頭を下げた。
「次から気を付けてくださいね」
 オルプネーが背中を向けて注意をしたときには、その子は既にいなかった。

 そして、数か月後。部下ができた。名はガルム。半獣の女の子でとにかく元気いっぱい……なのはいいだけど……困ったことが(これでもかと)ある。
書類の不備は日常茶飯事、事務所を走り回りせっかく整えた書類がバラバラになり、それを拾うときに書類を踏み、破れる。呼んでも来ないし連れてきてもすぐどこかへいなくなってしまう等と心労が絶えない。書類に加え、部下のことも考えなくてはいけないとなるとオルプネーの心に大きな負担がのしかかった。
「はぁ……この仕事いつ終わるの……?」
 ついボヤいてしまい、シャドウワームがそっと寄り添う。会った時は口臭が気になっていたが、今はそこまで不快に感じることはなくなった。シャドウワームを撫で、はぁと溜息を吐き口にする。
「出番よ、シャドウワーム」
 こうも悪戯が過ぎるのはよくないこと。ここはしっかりとお仕置きも必要だと判断したオルプネーはシャドウワームに指示を出す。シャドウワームはすぐに闇へと消え対象物を探しに向かった。その間、オルプネーは様々な証拠を集め、言い逃れが出来なように作戦を立てた。我ながらによくできたのではないかと感心していると、ずずと闇が動きそこからシャドウワームがにゅるにゅると出てきた。
「ありがとう、シャドウワーム」
 吐き出されたのは、ガルムだった。さすがに温和なオルプネーもここまで悪戯が過ぎると我慢ができなくった。今日という今日はお説教ですと心に決めていた。
「ガルム君。今日はあなたにお話があります」
「え……え……? ここは……え? オル……プネェ……?? なんでなんで??」
「それは後でお話します。今は……」
 すっと構えるオルプネーの腕にシャドウワームが絡みつき、一人と一匹がガルムを睨みつける。何事かまだわかっていないガルムでもたった一つだけわかったことがあった。

─あ、これって……怒られるやつだ

 ガルムがそう思うのとシャドウワームが襲い掛かってくるのはほぼ同時だった。

「……もういいでしょう。シャドウワーム」
 もごもごと口を動かし、ゆっくりとガルムを吐き出す。ぐったりとしてはいるが、生命までは搾り取っていない(はず)。やがて小さな唸り声と共に目を覚ましたガルムはオルプネーを見ると体に電気が走ったのかと思うくらいにびしっと背筋を正した。
「ガルム君」
「はっ、はいっ!!!」
 別にお願いをしたわけでもないのだが正座になり話を聞こうとするガルムにオルプネーは小さく息を吐き、今後はこういったことがないようにと厳しめに注意をする。
「もしまた同じようなことをしたら……」

 ずずず

 闇の中からシャドウワームが口を開き、今度はもっと長くもごもごしてやるとばかりに唸った。相当シャドウワームにもごもごされるのが嫌だったのか、ガルムは心を入れ替えますと大きな声で決意表明し事務所から逃げるように出ていった。
「……ちょっとやりすぎたかしら……」
「……」
 これで少しは良くなればと思えばいいかと思ったオルプネーは、待ったなしで追加される書類の山を見つめてまた大きく溜息を吐く。
「はぁ……胃が痛いです……」
 お腹を擦りながら軋む椅子に座り、書類と対峙するオルプネー。その姿をただ見ることしかできないシャドウワームはオルプネーの首にそっと巻き付きぐるると唸った。
「あなたにも無理させてしまいましたね。すいません。私がもっとしっかりしないといけないのに……いたた……」
 片方の手でシャドウワームを撫で、もう片方の手で自分のお腹を擦る。お腹の痛みと山のように積まれた書類の処理、圧倒的人員不足……オルプネーはまた大きく溜息を吐いた。
「……辛いです」
 オルプネーの悲鳴は悲しいかな、冥府の闇へと吸い込まれていった。

 そして今、新たに部下が二人もできた。常に何かもぐもぐしているモルモー、生真面目なエムプーサと個性豊かなメンバーが増えたことは正直に嬉しい反面、特にガルムとモルモーは仲が良くしょっちゅう抜け出してはどこかでお菓子を食べながら雑談に花を咲かせている。唯一、きちんと仕事をしてくれるのがエムプーサ。持ち前の機動力で回覧を回したり情報伝達をしてくれたりと大助かり。だが反面、書類業務はからっきしだめなのでそこは変わらずオルプネーが担当することとなった。そこで一つ、嬉しいことがあった。なんと、事務所にデスクが増えたことだ。これにより、いくつか種類ごとに書類を分けてまとめることもできるし、なにより自分の作業スペースが確保できたということが嬉しかった。早速エムプーサにも手伝ってもらいオルプネーが作業しやすいように配置をしていく。すると、少し前までは考えられなかった作業スペースが誕生した。それに感動したオルプネーはうっすらと涙を浮かべた。
 感動しているのもつかの間、すぐに気持ちを切り替えて書類の山と対峙していくオルプネー。回覧するものをまとめてエムプーサに手渡し、エムプーサがすぐに目的地まで回覧を回していく。その間にまた同じ種類の書類をまとめておき、エムプーサが帰ってきたらまたそれをという流れを作り、作業は驚くほどに捗った。その流れを作ってから数時間後、回覧にあたる書類の山を片付けることに成功した。
「あぁ……終わったわね。次は……」
 ようやく一つの山を片付け終わったのも休憩は短く済ませ、すぐに次の山へと取り掛かる。終わる目星がついたと安心した時だった。遠くから甘ったるい声と弾むような声が聞こえた。その声が段々と近づき、声の主が判明。モルモーとガルムだった。
「おつかれさまですー」
「おつかれさまー。あたしのとっておきのお菓子が確かここに……あっ、あった」
「あっ……」
 紅茶を持ちながら歩いていたモルモーに勢い良く立ち上がろうとしたガルムの頭があたり、紅茶が大きく揺れる。その揺らぎはカップを超えて綺麗な放物線を描き……その先にはオルプネーがいた。
「えっ……?」

 ぱしゃっ

 ぽた……ぽた……ぽた……ぽた

 髪を伝い、処理途中の書類に紅茶が滴る。割と重要な書類なので丁寧に扱おうと思っていたのだが……その思いは無残にも砕かれた。
「あぁ……オルプネーさまぁ……だいじょうぶですかぁー?」
 モルモーが心配をする声をかけるも髪から滴る紅茶を拭く素振りは一切見せない。オルプネーはただ、髪から滴る紅茶をじっと見つめていた。
「あぁ、オルプネー様。どうしたんですか? そんなぐっしょり濡れて」
「ガルムがぁ急に立ち上がってぇ、その時カップから紅茶が零れたのぉ」
「あ、あの時かぁ……ごめんごめん。まさかあたしの頭のすぐ上にカップがあるなんて……」

ぽた……ぽた……ぽた……ぽた……

 それでも微動だにしないオルプネーを見たガルムは、背筋にひやりとした何かを感じた。モルモーはマイペースで何で動かないのかをただ見ていた。やがてゆっくりと立ち上がったオルプネーは不規則な足取りで二人の近くに歩み寄ると、ただでさえ寝不足の目が更に鋭さを宿していた。
「ま……まさか……」
「んー?? どうかしましたぁ? ガルムぅ」
「……面倒ごとを増やさないでください!」
「逃げろーーっ!!」
「あぁれぇー」
 先に殺気を感じたガルムはモルモーの手を引き、壁を蹴りながら逃げた。それを逃すわけもないオルプネーはシャドウワームを二人にけしかける。
「逃さないで! シャドウワーム!!」
 闇に溶けて消えたシャドウワームから逃げられるわけはない。今度こそ……今度こそはきっちりとお仕置きをする必要がある。手を抜いては二人のためにはならない。だから、今回はかなり厳しめに。
「仕事はきっちりこなします」
 濡れてしまった重要書類を何とか復元できないかを模索していると、すぐにシャドウワームが帰ってきて二人を連れてきた。今回はすぐに出すことはしない。今回は……長時間シャドウワームにもごもごされてしまえばいい。オルプネーの怒りは頂点に達していた。
 なんとか文字を読み取り、重要事項を理解したオルプネーはすぐに事情を書き書類の作成元に詫びの文章を添えた。回覧から帰ってきたエムプーサがそれをすぐに作成元へと届け、今回はなんとか事なきを得ることができた(その後、作成元からは丁寧にありがとうという文章が届いた)。
 重要書類が立ちはだかる山をこなし終えたオルプネーは、シャドウワームに合図を送ると、二人をべっと吐き出した。相当もごもごされたのかあちこちにシャドウワームの歯形がついていた。先に目を覚ましたのがガルムで、オルプネーの顔を見てまた正座をしてひたすら謝っていた。前も同じようなことがあったなと思ったオルプネーはただ一言だけ発した。
「どいてもらえますか」
 その一言には十分すぎるほどの殺気が込められており、ガルムはまだ気絶しているモルモーを抱えて逃げていった。静かになった事務所に少し遅れて回覧を終えたエムプーサが帰ってきた。さっきは急いでいて気が付かなかったが、なぜオルプネーの髪がしっとりしていることを尋ねると、オルプネーの視線に再び殺気が宿る。
「……聞きたいかしら」
「あ……い、いいです。すみません……」
 エムプーサは何があってもオルプネーの機嫌を損ねることは絶対に止めようと心に誓った。
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