こげこげスイートアップルパイ バニラシナモンを添えて【竜】

文字数 3,030文字

「次の授業は調理実習を行いますので、準備室から各自使用するものをもって調理室にきてください」
 教室の中がざわついた。本来の時間割表には「国語」と書いてあるのになぜか調理実習に変わったこともそうなのだが、ざわついたのはごく一部の机だけだった。
「ねぇゲイル! 次は調理実習だって! 楽しみだねぇ! 何を作ろうかなぁ♪」
「キューン……(ちょ……調理実習……いやだなぁ)」
 調理実習と聞いて喜んでいるのは竜騎士のリーン。逆にげんなりしているのはお供のゲイル。ひょんなことからオセロニア学園へ入学し、竜騎士の仕事を忘れて今は学園生活を多いに楽しんでいる。自分たちが暮らしている世界とは全く異なる環境で最初はどきどきしていたのが、今では嬉しいという意味でどきどきをしてい日々を送っている。燃えるような深紅の髪にくりっとした瞳、小柄ながらもその丈に合わない位に大きな槍を振るうその姿は戦乙女に近い姿をほっふつとさせる。
 対してゲイルはふわふわの銀色の毛に覆われた竜の子供。子供といってもその大きさは結構なもので、教室の天井に届くか否かといったくらいまでの背丈がある。今は天井にぶつからないように頭を低くして大人しくしているが、調理実習という言葉を聞いてそわそわしだした。
 それもそのはず。ゲイルは過去にリーンの作った特製シチュー(という名のなにか)を食べて数日間寝込んでしまったということがある。そのことを思い出してしまい、ゲイルは今にも逃げたいという気持ちに駆られているのだが、リーンがそうさせてくれなかった。
「ゲイルにもお腹いっぱい食べさせてあげるからね♪」
「……キューン(帰りたいよぉ)」
 ゲイルの気持ちも知らず、リーンはさっそく食材や調理器具が揃っている準備室へと鼻歌を歌いながら向かっていった。それを悲しみのオーラを出しながらついていくゲイルの姿を見た他の生徒は何かを察したような眼差しで見送っていた。

 調理準備室に到着したリーンは早速、何を作ろうか悩んでいた。何度目かの唸り声を絞り出して導いた答えは「ビーフシチュー」だった。メニューが決まってから遅れてゲイルが到着し、ゲイルは心配そうに準備室の中を覗いていた。すると嬉々としてあれもこれもと食材や調理器具を選んでいるリーンを目撃した。
「キューン(あぁ……ついに始まってしまった。もうぼくは食べたくないよ)」
 絶望的な眼差しをしたまま首を横に振るゲイルを後目に、リーンは両手一杯に抱えた食材を持ったまま「ゲイル、手伝ってぇ」という(これでも)騎手の声を聞き手伝わないといけないと思い、いつもより重い足取りでリーンに近付きまずは大きな鍋の取っ手を口に加えた。瞬間、なにやらずしっとした重みを感じ危うく牙が折れてしまうところだった。
「きゅ?(え……何?? 何でこんなに重たいの?)」
 ゲイルが大きな鍋の中を覗くと、鍋の容量が許す限界までたくさんの食材が詰め込まれていたのだ。ただの鍋だけだと思ったらそうではなかったことに驚き、思わず鳴き声を漏らすゲイルにリーンはまるで気にした様子を見せずに自分は両手に抱えられる程の調理器具や食材を持ってスキップをしながら調理室へと向かっていった。
「楽しみだねゲイル♪」
「……きゅーん(嫌な予感しかないのはなんでだろう……)」

「さ、まずは手をきれいに洗って……食材も一緒に洗っちゃおうか」
 リーンはじゃぶじゃぶと手を洗い、その後に調理に必要な食材を洗い始めた。一通り洗い終えたリーンはまな板と包丁を準備し、食材をカットする作業へと移った。まな板が滑らないようにきちんと濡れ布巾を敷いているまではよかった。拳大のジャガイモを手に取り、まな板の上にそっと置き包丁を握ったリーンは迷わず包丁を振り下ろした。
「えぇい!」
 まるで断頭台(ギロチン)のように鋭く素早く躊躇なく。渾身の力を込めて振り下ろされた包丁は見事ジャガイモを真っ二つすることに成功した。ぱっくりと二分割にされたジャガイモを見て喜んでいるリーンに早くも疲労が出てきたゲイルは目も当てられないとばかりに溜息を吐いた。
「よぉし! この調子でどんどん切っていくよ~!」


             ダン      ダン

        ダン     ダダン    ダン   ドォン

               ドン ドン ドン

 一体何を切ればそんな音が出るのか不思議でならないという視線を他の生徒から注がれているのにも、一切気が付かないリーン。そればかりか口の端を少し持ち上げて笑みを浮かべ喜んでいるリーンの姿に他の生徒は誰も気が付いていない。
「よっし! だいぶ切り終わったね。じゃあ、次は……えっとなになに、食材を炒めます……か」
 レシピにそう書かれているのを確認したリーンは、大きなフライパンに記載されている量の数倍多い油を流し込み、フライパンが温まっていない状態ですべての食材をぶちこんだ。油まみれになった食材たちはまるで「助けてくれ」と言わんばかりに手を伸ばしながら這っているようにも見えたゲイルは、恐ろしくて隅で震えることしかできなかった。
「炒めにくいなぁ……こうして……よっと」
 力任せに木べらを動かし、食材を炒めて……いや、食材に油を塗りたくっていく。やがてリーンの力業に負けた食材たちがひとつまたひとつと場外へ放り出されていき、五~六人分あった油まみれの食材がフライパンの中で生き残ったのは一人分があるかないかまでの量にまで減った。炒め終わった食材を鍋に移し、次の工程を確認すると「赤ワインを使ってしばらく煮込みます」とあった。
「赤ワイン……赤ワインよりこっちの方が美味しそう♪」
 そう言って取り出したのは同じブドウから作られたものではあるが、ブドウジュースだった。それを躊躇いもなく鍋の中にどばっどばと注ぎ込んでいき、空っぽになった容器を手放し二本目に手を伸ばした。これまた容赦なくどばっどばと注ぎ空の容器を放り、今度は何を思ったのか「片栗粉」と書かれた粉末を手に取り一気に投げ入れた。
「前に食べたビーフシチューって、確かとろみがついてた覚えがあるんだよね」
 それから適度な酸味があったと言い調理酢を入れたり、何か表現ができない味わいがあったと言い牛の脂を投入したりとやりたい放題だった。ぐつぐつと煮えたぎる鍋の中から漂うのは怪しげな色をした腐敗臭に似たなにかだった。それを嬉しそうにかき混ぜるリーンと、何も見たくないと言わんばかりに縮こまっているゲイル。そして、鼻を塞いで調理室から脱出するほかの生徒たち。こうして調理室はちょっとした

と化した。

 調理実習が行われて数か月。それからというもの、リーンのいるクラスでは調理実習が行われなくなった。理由を知っているほかの生徒をよそに、自分が原因で調理実習がなくなったという自覚がないリーンは口を尖らせていた。
「えー、ここ最近調理実習がないじゃん。なんでよ~」
「きゅーん(……自覚ないのもここまでくると才能なのかなぁ)」
 ほかの生徒や教師、ましてや相棒にさえも調理実習が行われなくなった理由を聞かされないリーンは、ぶーぶー言いながら次の授業で使う教科書の準備をした。ほかの生徒とゲイルはもうあんなことは二度とあってはいけないと心の中で強く念じた。一瞬でもあの光景を思い出そうものなら、背筋に何か得体の知れない何かがずぞぞと這いずる気味の悪い感覚に襲われるのだから。
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