氷竜のくずきり 少し濃いめの黒蜜添え

文字数 4,637文字

「なんだか……退屈ねぇ」
 雪のように白い翼を広げた美女が言う。名はフロワ・イエロ。体全体が白く、口紅だけがまるで炎のように紅い。ここは彼女が居住しているとある城なのだが、今は誰も彼もが出払っていて彼女は何もすることがない。肝心の付き人も「しばらくお暇をいただきます」と書置きがあって話し相手もいなく寂しい思いをしていた。
「うーん……困ったわねぇ」
 これはいよいよ本気で悩みだしたフロワ・イエロ。ここにいても何もすることがない……となると。フロワ・イエロは何かを思いつき解放感に満ちた声を出した。
「そうよ。誰もいないのなら、誰かがいるところへ行けばいいのよ」
 久しぶりに誰かと話ができるとわかった途端、足元からじわりじわりと熱が這い上がっていく感覚に蝕まれていく。いや、蝕まれているというより自ら蝕まれることを望んでいるのかもしれない。熱気を抑えきれなくなった彼女は居ても立っても居られなくなり、前から気になっていたとある都へと向かった。

「来てはみたはいいけれど……静かでいいわね」
 浴衣にばっちり着替えたフロワ・イエロは静かに流れる川を眺めていた。というのも、都に到着してすぐ、着物を貸してくれるお店の人に猛烈なアピールをされたのだ。とても美しいからレンタル代は無料でいいから来てくれないかと何度も言われ、遊び半分でついていったのだが、髪型から着付けまで全て手慣れた女性たちが一切の迷いもなく準備をしてくれる様子を見た彼女は頬がほんのり熱を帯びるのに気が付く。髪型一つにとっても、きれいに結ってくれたり、着物も好きなものから選ばせてくれたりとちょっとした高級感に浸っていた。
「この柄、素敵ね。これ、着てもいいかしら」
 首元から始まる濃青色から足元にかけて薄色になるまでが綺麗な着物で、所々に桃色のアサガオが描かれていた。小物の一種として貸してくれた巾着と水色の番傘を持ち、フロワ・イエロは鏡の前でくるりと回ってみた。お店の人が尾や翼の部分も考慮してくれたおかげで締め付けられている感覚はなく、肌触りもよく全てが完璧だった。
「気に入ったわ」
「ありがとうございます」
 店を出る間際、フロワ・イエロは猛烈にアピールをしてくれた男性店員に、悪戯っぽくウインクをしてみせた。それを真正面から受けた男性店員の胸は何かに弾かれたように動いた。

「さて、これからどうしようかしら……」
 お店を出てふらりと歩くも、全く土地勘のないフロワ・イエロは何度も同じ道を行ったり来たりしていた。それを見かねた八百屋の店主はフロワ・イエロを店の中に招き入れて地図を広げた。
「姉ちゃん。ここは初めてかい」
「そうなの。同じところをぐるぐる回っている気がしていて困っていたの」
「今、うちがここで……もう少し歩くと大きな川があるからそこを目指して歩くといい」
「あらぁ、親切にありがとう。じゃあ、そうしてみるわ」
「お、ちょっと待ちな。っしょっと。これ、良かったら持っていきな」
「これは……スイカかしら?」
「おう。今朝仕入れたばっかりで甘くて美味いよ」
「あらぁ、悪いわぁ」
「いいってことよ。姉ちゃん、べっぴんさんだからサービスだよ」
「あらあら。褒めてもなにもでないわよ」
 大きなスイカを丸ごと貰ったフロワ・イエロは店主にお礼を言いながら、紹介してくれた川に向かうことにしたのだが……店を出てすぐに忘れてしまいまた聞きに戻った。

「なんとか川についたけれど……はぁ……」
 多少の疲れはあるものの、今は川から流れる清らかな音に耳を澄ませていたそんな気分だった。日差しもそこまで強くなく風も心地よくふいているのでなんとなく立っていても苦痛に感じないのが不思議だった。
「都にきてよかったわ。こんな素敵な場所があるなんて知らなかったわ」
 教えてくれた店主に感謝し、フロワ・イエロは手頃な腰かけがないか探す。もしかしたらもう少し歩いたらあるのかもと思ったフロワ・イエロは履きなれない草履で歩くも、腰かけらしきものは見つからなかった。仕方がないのでフロワ・イエロは川の近くに腰を下ろし草履を脱ぎ、雪のように白い足を川に浸した。
「あぁ……冷たくて気持ちいいわ……」
 もう片方の足も川に浸し、静かに水面を眺めているとそこには自分の顔がくっきりと映し出されていた。水面に映った自分の顔を見て何か閃いたフロワ・イエロは一旦川から足をあげ、いそいそと何かを取りに行った。それは、さっき八百屋の店主がくれたスイカだった。日に当たらないように置いていたのだがこの冷たい川に浸しておいたらどうなるかと思ったのだ。
「これを……よいしょ……うふふ」
 川に流されないよう注意をしながらスイカを沈め、にんまりとするフロワ・イエロ。また先ほどと同じように両足を川に浸し、スイカが美味しく冷えるまで涼を楽しむのだった。
「それと……これも使いましょうか」
 着物のお店から借りた水色の番傘を広げ、少し強くなった日差しを緩和させる。店の中で広げていなかったので中の模様まで確認をしていなかったのだが、フロワ・イエロの心をときめかせる絵柄だった。
「まぁ……素敵」
 着物に描かれているのはアサガオなのだが、番傘に描かれているのは淡い花びらがいくつも待っている様子だった。番傘の中の世界で鮮やかに舞うその様子をしばらく魅入っていたフロワ・イエロは小さく笑った。

「もうそろそろいいかしら」
 番傘の世界にすっかり魅了されていたフロワ・イエロが自分を覚ますかのように言葉を発する。スイカをゆっくりと持ち上げて軽く叩くとぽんぽんと弾む音が聞こえ、一人また笑う。
「あら、美味しそうな音。楽しみね」
 スイカを軽く拭き、フロワ・イエロは力を少しだけ開放しスイカを鮮やかに切り分けていく。そのうちの一つを取り、口に入れる。

 シャリ シャリ

「甘くて美味しい……うふふ」
 店主の言っていた通り、甘く瑞々しいスイカはフロワ・イエロの心と喉を優しく潤した。切り分けたスイカをどうしようか迷った挙句、またフロワ・イエロは力を使い、ただの水を桶型に凍らせその中にスイカを入れて冷やした。人通りが多くなってきた時間帯になってきたらしく、フロワ・イエロの付近を歩く人は驚いていたり、何度も確認したりと様々だったが当の本人は何も気にすることなく甘く瑞々しいスイカを楽しんでいた。
 そこへ一人の少年が足を止めてフロワ・イエロを見る。その少年にはとても神秘的に映ったのか、臆することなくフロワ・イエロへと歩み寄る。それに気が付いたフロワ・イエロは少年い微笑みかけ手招きをする。
「そこのボク。お姉さんとあまぁいスイカ、食べない? 二人で一緒に……ね?」
 まさか誘われると思ってなかった少年はどきりとしたが、フロワ・イエロから放たれる優しい雰囲気に吸い込まれるように隣へ座る。
「はい、どうぞ。召し上がれ」
 切り分けられたスイカを手渡された少年はゆっくりとスイカをかじる。しゃりしゃりとした食感の中から溢れる水分に思わず零れそうになり慌てて口元を抑える。
「そんなに慌てなくても大丈夫よ。まだたぁっくさんスイカはあるんだから……ね?」
 少年は頷き、またスイカをかじる。美味しそうにかじるそれを見たフロワ・イエロはいつしかその少年をじっと見つめていた。まるでフロワ・イエロに母性が宿ったかのようにただじっと。
「うふふ。いい食べっぷりね。まだあるからたぁくさん食べてね」
 次から次へと手が伸びる少年をただじっと見つめていたフロワ・イエロ。自分の分もこの少年になら食べてもらってもいいかなと思っていたくらい、なぜかこの少年段々愛おしく見えてきたのだ。
「ねぇ、ボク。今日は一人できたの?」
 恥ずかしそうにはいと答える少年に、フロワ・イエロは嬉しそうに微笑む。そしてこの後の予定はと聞くと、特にないと答えた少年にまた嬉しそうに微笑む。
「良かったら、お姉さんを案内してくれないかしら? お姉さん初めてだから色々わからないの」
 すると少年はまた恥ずかしそうにしながらも、僕で良ければといいフロワ・イエロのお願いを聞き入れた。
「あらぁ、ありがとう。嬉しいわ」
そして、最後の一切れを食べ切った少年がフロワ・イエロに丁寧にお礼を言う。少年はこんな美味しいスイカを食べさせてくれたのにタダで帰るなんてできませんときっぱり言った。まさかそんな言葉が出るなんて予想しなかったフロワ・イエロの胸は小さく脈打った。
 少年の準備が整ったところで、フロワ・イエロと並んで歩くこと数分。たくさんの人の名前が書かれた札がずらりと並んだ建物に辿り着いた。なんでもここでは様々な催しがあるらしく都の伝統芸能を主にしているらしい。人の名前が全く読めなくてもフロワ・イエロはこの建物がとても歴史のあるものだと直感的に感じ取った。そしてもう少し歩くと、綺麗な石畳の通りに差し掛かった。そこでは漆黒の髪を独特な形で結っている女性が何人も通っていて、フロワ・イエロはあれはなにと少年に尋ねる。すると少年は迷うことなくその女性について説明を始める。なんでも都の伝統芸能を守る人たちらしく、これから色々なお稽古に励み訪れたお客さんを楽しませるのだという。楽しそうに話しながら歩くその女性たちも魅力的なのだが、フロワ・イエロにとって今ははきはきと説明する少年に心を打たれている。
(なんだか……体が熱いわ……日差しのせいなのかしら……)
 少しおかしいなと感じつつも、少年の前でそんな素振りを見せずに次々に都を紹介してくれる少年。ある程度ぐるりと見て回ると、日も傾き始め辺りは完熟したオレンジ色をしていた。少年は名残惜しそうに別れを告げるとフロワ・イエロは柔和な笑顔で少年の頭を撫でた。
「今日はお姉さんのわがままに付き合ってくれてありがとう。楽しかったわ」
 また顔を赤らめてもじもじする少年にウインクをして背を向ける。その後ろ姿を涙目で見送る少年に気が付くわけもなく、フロワ・イエロは人通りが少なくなっている箇所を見つけ立ち寄ると、小さく息を吹きかけ足場を凍らせる。そして小さく詠唱を行うと凍らせた足場が光りだし、フロワ・イエロはその光に包まれると跡形もなく消えていった。
(ボク、本当に今日はありがとう。都に来て正解だったわ。また遊びに来るからね)
 少年の耳にはそう聞こえたフロワ・イエロの声。少し反響していたものの確かにそう言っていた。少年は涙を拭い、また会えると信じ空に向かって大きく手を振った。周りの人がどんな目で彼を見ようとも少年は手を振り続けた。
 自室に帰ったフロワ・イエロは初めての都散策にとても満足したのか、体全体から熱を発し恍惚の表情を浮かべながら鏡を見た。自分でもはっきりとわかるくらいに熱を放射していて、しばらくそれを抑えることは難しいようだ。
「あのボク、とってもいい子だったわね。うふふ……気にいっちゃった……」
 まだ誰もいない城からは、誰も近寄ることができない程熱気が放たれていた。

 一方、また会えると信じた少年は帰宅して都に関する資料を引っ張り出し勉強を始めた。これであの人の喜ぶ顔が見れるのなら……。もっと詳しくなってあの人とまたあちこち散策をしたい。純粋にそう思うと少年の勉強熱は更に増していった。
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