厄除け祈願焼きもち【魔】

文字数 3,848文字

「これでおしまいっと」
 少年は持っている錫杖をしゃんと鳴らし、この世に縛られている霊を祓った。霊は苦しみの表情を浮かべながらべりべりと強い力で引きはがされていき、問答無用でその場から消えさった。少年は念のため、この辺りに似たような霊の気配がないかを確認した。手にした数珠を握り直し意識を集中させると、さっきまで耳の奥で響いていた不協和音がなくなっておりそれはこの辺りには霊が存在しないことを意味していた。
「ふう。これで依頼は完了だね。さて、戻ろうか」
 錫杖を持ち直し、霊を祓う道具をしまう少年の名前はスオウ。若くして除霊師としての経験を豊富に持っており、あちこちでスオウ指名の除霊関連の仕事が後を絶たなかった。スオウが除霊した土地はしばらく何をしなくても不浄なものが近寄らないという噂が広まっており、そのお陰かスオウが休める日はしばらくありそうになかった。
「仕事がないよりはましだけどな。おっと、こうしちゃいられない」
 次の仕事の時間が迫っていることに気が付いたスオウは、依頼者からもらった饅頭を頬張りながら次の現場へと向かった。

 スオウ。深紅のような髪に意思を感じるまっすぐな瞳。法衣は動きやすさを重視しているのか、形式ばったものではなくまるでおしゃれ感覚に着崩しており、その道を長く知っている人からは首を傾げられているが、スオウは全く気にしていない。そんなことに気を向かせている時間があるのなら、さっさと次の依頼をこなした方が有益だと考えているからだ。
 町の人から慕われている一方、同じ除霊師からはかなり嫌悪の視線を向けられている。それは除霊師としてはタブーと言われている霊を使役し戦うということ。なぜタブーなのかまでは詳細は不明なのだが、スオウはその道を選び今日まで生き延びている。使役している霊はスオウの指示をしっかり聞き、スオウを守りつつ眼前の敵を滅していく。そうしている理由の一つに、スオウをここまで育てた師匠と関係があると言われているのだが……スオウに深く聞こうにも当の本人はのらりくらりとはぐらかしている。タブーをしてまで生き残ろうとする強い意志は、今日もスオウに吉報を運んできている。

「っと、現場はここかな」
 依頼書に同封されていた手書きの地図を頼りにたどり着いたのは、薄暗い沼地だった。見た目も雰囲気も如何にもな場所だと思いながら、地図を頼りに現地へと向かうスオウの横を白い何かが通り過ぎた。続いて二つ、三つと白い半透明のものがスオウの横を通り過ぎるのも無視し進んでいく。地図が示している印と照らし合わせるとここで間違いないようだった。それにしてもと考えていると、背後から女性のすすり泣く声が聞こえた。
「……くすん。くすん」
 はぁと溜息を吐き、スオウがゆっくりとすすり泣く方を見ると半透明の女性が悲しそうに手を目にあてて泣いていた。しかし、それに動じることなくスオウはすぐに錫杖を構え地を突いた。
「……あれ」
 いつもなら錫杖の音で除霊ができるのだが、それがうまくできていない。その理由は、スオウがバランスを崩したことにヒントがあった。
「あっ。そうか……この辺りは湿地帯か」
 地面が水分を多く含んでいるせいで錫杖が土の中に潜り、音が出なかったのだ。急遽スオウは数珠を取り出し素早く言霊を発した。
「グガ……ガァア」
 藻掻き苦しむ女性の霊をさらに追い込むようにスオウは左手で何やら紋様を描くと、そこから紫色の雲のような物体が現れた。その物体は女性の霊を包み込むとものの数秒でおとなしくさせてしまった。物体が女性の霊から離れると、今度はスオウが除霊の言霊の仕上げをしようと近づいた。その時、霊は最後の力を振り絞り道連れを謀った。
「しまったっ!!」
「コレデ……オマエモ……フフフ……アハハ」
 油断し女性に体を捕まれ、そのまま不気味な渦へと吸い込まれていったスオウの意識は真っ暗になった。


 ひんやりした風に頬を撫でられ、意識を取り戻したスオウ。ゆっくりと目を開けるとさっきまで立っていた場所とは全く違う場所にいた。足元には今にも消え入りそうな蝋燭の明かりが不規則で並び、隙間から流れてくる風がまるで笛のように鳴り、不気味な不協和音を奏でていた。ごつごつとした岩肌は、今にも崩れくるのではないかという不安を掻き立てるには十分すぎるくらいにぐらついていた。その間には細い道しかなく、スオウはやれやれといいながら自身についた埃を払いながら紋様を描いた。さっきの紫色の雲のような物体を呼び出し、微かに光るその明かりだけで前へ進むことにした。
「それにしても……ここは……」
 文献で読んだことのあるものばかりがあちこちに点在していることから、ここは地獄へ通じる道なのではないかと思ったスオウの顔は、ほんの僅かに笑みを浮かべていた。
「へぇ……面白そうじゃん」
 数々の修羅場を経験しているスオウからすれば、こんな滅多な経験はできないと前向きに捉え紫色の雲のような物体から放たれる明かりを頼りに前へと進んでいった。


 やがて大きく開けた場所へと出ると、そこには大きな宮殿のようなものが見えた。門扉は不用心にも開きっぱなしで誰でも入ってこいと言わんばりだった。とりあえず何かあるかもしれないと思ったスオウはその宮殿へと向かおうとしたら足元から大きな声が聞こえた。
「ちょっとあんちゃん。横入りはよくないな」
「ちゃんと順番は守らないといけませんよ」
 何事かと思い、スオウはよく目を凝らして見るとそこには額に三角の布のようなものをつけた霊体がふよふよと浮いていた。
「あ、悪い。そんなつもりはなかったんだ」
「お、そうか。ってかお前さん、生きてる人間だろ? なんでこんなところにいるんだ?」
「ああ。実は……」
 スオウはここまでの経緯をかいつまんで話すと、霊体は「なるほどな」と頷き宮殿の方を向いた。
「あの宮殿の中に閻魔大王っていう人がいるんだ。その人に聞いてみるといいかもな」
「わかった。助かるよ」
「いいってことよ。先に並んでる奴らには俺が事情を話しておくから。それより、お前さんはまだここにくるには若すぎるからな。達者でな」
 霊体に見送られ、スオウは宮殿の中へと入るとまず目に入ったのは真っ赤すぎる赤い絨毯だった。その絨毯は皺ひとつなく宮殿内に敷かれており、ただ敷かれているだけなのだがどこか不気味さを感じてしまう。そして、その絨毯の上で熱心に書類を作成しているピンク色の髪にビジネスシャツといういで立ちの女性がいた。その女性は書類になにやらさらさらと書いていくと、隣に立っている眼鏡をかけた男性へと手渡した。そして次の書類に手を付けようかとしたとき、その女性はスオウの存在に気が付き、声をあげた。
「誰だ貴様は」
 腹の奥にずんと響くその声は、とても女性のものではないと感じたスオウはさっきの霊体の話を思いだし、その名前を口にした。
「お前が閻魔大王か」
「なっ! 貴様、軽々しく名前を呼ぶな」
 書類を処理し終えた眼鏡の男性が怒りを露わにして叫んだ。それを女性は片手で制しながら口を開いた。
「いかにも。わたしが閻魔大王だ。貴様、生きてる人間だな。何用でここへ来たか話してみよ」
「閻魔様っ!」
「篁(たかむら)。少し休憩でもしていろ」
「……わかりました」
 篁と呼ばれた男性はなんだか納得のいっていないような不満そうな顔をしながらどこかへ行くと、閻魔大王は足を組み換えスオウの話をまっすぐに聞いた。
「なるほど。大方の事情は把握した。だが、ここは貴様のいる場所ではない。とっとと失せよ」
「そうしたいのは山々なんだが、出口がどこだかわからないんだ」
「出口ならあるぞ。この宮殿の裏に魔力の渦がある。そこへ飛び込めば現世へと帰ることができるだろう。だがな、その渦はいつも出ているわけではない。お前以外に生者がいてな。そいつを返そうとして開けたのが数分前。そしてその渦は徐々に小さくなりつつある。次はいつ開くか全く予想がつかないのだ。だから、急いだほうがいい」
「わかった。助かる」
「……二度と来るんじゃない」
 そう閻魔大王が言い放つのを最後まで聞かずに、スオウはすぐに宮殿裏にあると言っていた渦を探した。するとノイズ交じりに聞こえる小さな黒い穴のようなものを見つけた。これが閻魔大王の言っていたものか確かめる時間も惜しいと感じたスオウは、何も言わずにその穴へと飛び込んだ。意識がぐにゃりと歪む感覚に気分を害しながらも、スオウはこみ上げるものを飲み込みながら耐えた。


 スオウが意識を取り戻したのは、何かが瞼に刺さるような感覚だった。その感覚を確かめるためゆっくりと目を開けると、青空の中に真っ白に輝く太陽がスオウを見下ろしていた。お腹と胸の間に残る不快なものを感じながらゆっくり起き上がると、そこはあの女性の霊と対峙していた場所だった。来たときは淀んでいた空気も、あの女性の霊がいなくなったからか心なしか空気が澄んでいるように感じた。
「……戻ってこれたのか」
 無事現世に戻ってこれたことを実感したスオウは、錫杖を使い立ち上がると軽く伸びをした。胸いっぱいに澄んだ空気を取り込み不快なものと交換するように深く息を吐くと、なんだかしゃきっとした気持ちへとなったスオウは自分に気合を入れ、まだ残っている依頼をこなすため、歩き出した。
「ま、これもまたいい経験ができたってことで」
 すべてを前向きに捉えるスオウ。その顔はいつになく嬉しそうに緩んでいた。
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