しゃりしゃりサークルパインのシャーベット【神】

文字数 3,704文字

「ふう。今日も暑いわね」
 自分の手でぱたぱたと風を起こしている言葉を司る天使─ガブリエル。氷を操る魔法を駆使しながら第三、第四軍団のリーダーを務めている。カスタードクリームのような長い髪に永久に溶けることのない氷のティアラを挿し、知的な瞳には複雑な細工がされたモノクルをかけている。薄く脆そうに見える鎧は、見た目に反し丈夫でありある程度の武具であれば跳ね返すほどの強度を有している。
 天界に住んでいるガブリエルは今日の訓練を終え、自室にて涼もうと窓を開けても体を冷やす程涼しい風は入ってこず、ガブリエルは温い風に吹かれ難しい顔をしていた。あまりの暑さに我慢ができなくなったガブリエルは、右手をかざし小さく詠唱を始めた。詠唱をして間もなく、目の前に小さな氷塊が現れた。その氷塊は一つから二つ、二つから四つへと分裂していきあっという間に部屋は冷気に包まれ快適な空間が生まれた……はずだった。
「あら。なんで……」
 あまりの暑さからなのか、ガブリエルの集中力の問題なのかはわからない。今、目の前で分裂していた氷塊はじわじわと溶けてなくなっていってしまったのだ。魔法で作られた氷であるためか、部屋の中が水浸しになることはなかったのだが、せっかく涼んでいたというのにこういう事態になってしまったガブリエルは大きく溜息を吐いた。
「もう。こう暑くてはたまりません。なにかこう……涼しい場所はないのでしょうか」
 部屋の中を探していると、ガブリエルの頭に何かがばさりと落ちてきた。急な衝撃に思わず小さな悲鳴をあげたガブリエルは、落ちてきたものをきっと睨むとそこには半開きになった雑誌があった。
「あ、これは。この前もらったフリーの雑誌だわ」
 そういえば、この前どこかに立ち寄ったときに紫の髪色の女の子が配っていたのを手に取った覚えがあった。そのときは買い物をしていたので中身までは確認していなかったが、今改めて中を見ていくと「サマー特集! 今年のおすすめスポット」という題目で記事が書かれていた。ぱらぱらとめくっていくと、そこには今流行の水着を着用したモデルが何人も写っていた。シンプルなものから少しエキゾチックなものまでと様々だったが、それを見たガブリエルは小さく「プール……か」と呟いた。ここ最近、戦闘訓練が多くまともに休んだことがなかったガブリエルはこれをきっかけに少し休暇を貰おうと申請書を取りに事務局へ向かった。
 ガブリエルの申請は難なく通り、明日から三日間自由な時間を約束された。事務局員にお礼を言いガブリエルはさっそく出かける準備を始めた。
「ええっと。私、水着なんて持ってたかしら……」
 クローゼットをひっくり返す勢いで探すガブリエルは、いくら探しても見つからないということはきっとそういうことなのだろうと諦め、自分が必要だと思うものを大きめな鞄に詰め込み雑誌に書かれていたプールへと向かった。その間、ガブリエルの頭の中は持っていない水着でいっぱいだった。

「いらっしゃいませー。次のお客様どうぞ」
「あっ、はい!」
 結局到着まで水着のことが頭から離れないまま、ガブリエルは列に並んでいた。そしてふいに自分に向けられた声にはっとし、慌てて係員の前に立ち入場料を支払った。
「はい。ちょうどですね。このまま奥にお進みくださ~い」
 係員が笑顔でロッカールームへの道を案内し終えたタイミングで、ガブリエルは小さな声で係員に尋ねた。
「あっ、あの。私、水着を持ってないのですが……」
 恥ずかしそうに言うガブリエルとは反して、係員はにっこり笑いながら案内をしてくれた。
「ご安心ください。ロッカーの中にいくつか水着をご用意しておりますので、お好きなものをお選びください」
「ほ……本当? あぁ……よかったぁ」
「今日は楽しんでいってくださいね」
「……はいっ!」
 安心したガブリエルは胸を撫で下ろし、係員にお礼を伝えロッカールームへと向かった。中はとても広く、天井も高かった。まるで王宮を思わせるようなステンドグラスなどプールの施設にしては派手かなと思う箇所はいくつかあったが、わくわくで満たされつつあるガブリエルの目には「きれい」としか映っていなかった。がらがらのロッカールームを一人歩くガブリエルは気になったロッカーに手を伸ばし開けた。そこには数種類の水着がハンガーにかかっていた。
「まぁ……素敵」
 カラフルな色使いのものや単色のものもあったが、ガブリエルが手にしたのは薄いアイスブルーの水着だった。胸元にはブルーローズを思わせるコサージュまでついている水着に思わずはしゃぐガブリエル。
「うん。これにしましょ」
 さっそく着替え、プールへと向かうとそこは天界ではみたことのない光景が広がっていた。青青々とした大きな葉っぱが伸びた植物、太くしっかりした木、洞窟のようなほらあななど知的好奇心をくすぐられるものばかりだった。だけど、ここは数多くの利用者がいる場所だと自分に言い聞かせ、逸る気持ちを胸に無理やり押し込んだ。軽くシャワーを浴びてから準備体操を行いプールに入ろうかと思ったとき、プールサイドに大きな浮き輪が置いてあった。そこには「ご自由にお使いください」と書かれていた。なるほど、あれを使って浮かぶのも悪くなさそうだと思ったガブリエルは大きな浮き輪を持ち、静かにプールに入った。
「さ、出発よ」
 ゆっくりと流れる水流に身を任せるだけでも楽しいと感じたガブリエルは、まずは一周ぐるりと流されてみることにした。書物でしか見たことのない植物や環境音にしばし驚いてばかりいた。もうすぐ一周するというところで、今度は浮き輪に腰を下ろし流れてみることにしたガブリエルは、持参した書物を手にいざ出発。
「こういうのも悪くないわね」
 すっかりご満悦のガブリエルに、近くでちゃぷちゃぷと水が跳ねる音が聞こえた。最初、きっと誰かが遊んでいるのだろうと思い気にしていなかったのだが、その音は段々とガブリエルに近づいてきている。書物を閉じ、後ろを振り返るとオレンジ色の生物と平べったい魚のような生き物が気持ちよさそうに泳いでいた。
「や~、楽しんでる~~?」
「あ……あなたは?」
「ぼくはチャプルっていうんだぁ。普段は海に住んでるんだけど、こういう場所も気になってたんだよねぇ」
 おっとりとした口調で話すチャプルと名乗った生物は、完全に脱力したように体を水に任せ仰向けになって流れていた。その様子を不思議そうに見るガブリエルに、チャプルは小さく笑いながら言った。
「ここで君を知ってる人はだぁれもいないよ。だから、思い切り楽しまないと損だよ~?」
「え?」
「ここは思い切り楽しむところだよ。だから、普段の君から一歩前へ進む場所でもあるんだ」
「わ……私は……」
「なぁに。難しいことはないよ。自分がしたいことをすればいいんだよ。例えば、ほら。あの大きな山は見える?」
「山?」
 チャプルが指した先にあったのは、巨大や岩山だった。そしてその岩山から悲鳴があがると、大きな水しぶきをあげながらプールの中へと滑って行った。
「なっ……なんですの? あれは」
「あれはウォータースライダーという遊びだよ。ぼくは遊ぶことができないけど、君はできると思うよ~」
「わ……私、高いところは……」
「まぁ、無理にとは言わないよ~。そんじゃあ、ぼくはこのまま流されてるからぁ」
 チャプルが流されている間、ガブリエルは葛藤していた。このまま流れるプールで遊ぶもよし、チャプルが提案してくれた

という遊びをするもよし。だけど、あの高さから落ちるのは……と考えていると、ガブリエルの足は自然と流れるプールから出ていて、ウォータースライダーへと向かっていた。小さな段差を上り気が付いたときにはもう頂上に立っていた。
「あぁあ……た、高い」
 普段から高所にいるはずのガブリエルが怖いというのは、少し意外かもしれない。だが、ガブリエルは何とも説明しがたい何かと戦っており、順番待ちをしていた。そしていよいよ、ガブリエルの番となると、足は小刻みに震えていた。
(大丈夫。大丈夫……ふう)
「それでは、いってらっしゃーい」
 係員の合図と共に、ガブリエルは体を支えていたバーから手を放し、激流に流されていった。
「………………!!」
 声にならない叫びを上げながら激流を下り、目の前が明るくなったかと思うと今度は強い衝撃を受けた。何が起こったのかを確認しようと水面に顔を出すと、あの激流を下り終えたあとだった。
「はぁ……はぁ……終わった……の?」
 管のようなものの間を下っている間、ずっと怖い思いをしていたはずなのだが、今のガブリエルの中にあるのはその怖い思いから開放された安心だった。
「なんて……なんて楽しいのかしら」
 天界にはない楽しいことに気が付いたガブリエルは、もう一度岩山を上り激流を下った。その姿をチャプルは楽しそうに見ていた。
「よかったねぇ。君はもっと、もぉっと開放されていいんだからねぇ~」
 チャプルの言葉は誰に向けられたものかはわからないが、その視線だけが誰に向けられているのかを物語っていた。
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