御手洗団子 涙徒然~るいつれづれ~

文字数 5,298文字

 今日も変わらず地獄での仕事は忙しく、息つく暇を与えてくれない。書類や端末などを駆使し、死者の魂を調べ鏡の前で罪人自ら告白させる。それをここの最高責任者─閻魔大王が判断し審判を下す。白のぱりっとしたブラウスに黒のレザースカートとキャリアウーマンの出で立ちの閻魔大王は手際よく魂を文字通りさばいていく。
「ふぅ……」
 閻魔大王の口から小さな息が漏れた。それは「少し疲れた」という合図でもある。普段なら吐息が漏れる前に温かいお茶が運ばれてくるのだが……最近はそれがない。いつも閻魔大王の世話をしてくれる執事のような存在─小野篁(おののたかむら)。彼は現世と地獄をつなぐ井戸を通って、こちらの世界でも仕事をこなす根っからの仕事人間。黒髪にビジネス用の眼鏡をかけ表情一つ変えずにあれこれをこなすある意味化け物でもある。そんな彼がここ最近、地獄にきていない。というのも、彼は元々あちらの人間なのだからそれは仕方ないと言っていたのだが、こうも彼の顔を見ないと少し不安になる。いつもしてくれていることがないと、こうも不安になるのかと閻魔大王は小さく呟いた。
「いかんいかん」
 閻魔大王は頭を振り、一時的に魂の流れが止まったことを確認した閻魔大王はまた別の仕事の処理を始めた。今頃、三途の川にいる奪衣婆(だつえば)が罪人の衣服を剥ぎ、罪の重さをはかっている頃だろうと思い、ちょっとの隙間時間で済むものに手を付ける。さらさらと署名をするものだけだったため、あっという間に終えた閻魔大王はまた流れ作業のように魂を審判する準備に取り掛かった。

「はぁ……終わったな」
 一通りの仕事が終わり、協力してくれた獄卒たちに労いの言葉をかける。あとは今日の報告書を作成すれば完了。さきに獄卒たちを帰し、自分は端末を起動し報告書を作成していく。カタカタと文字を入力していると突然、閻魔大王の胸に針で刺されたような痛みが襲い、くぐもった声が漏れた。
「っ!!」
 胸を抑え、少し荒い呼吸を整えながら閻魔大王は思う。何か悪いものでも食べたのだろうか。いくら記憶を遡っても悪いものを食べた覚えはなく、小さく唸った。納得はいかないが、今はそういうことにしておこうと思った閻魔大王は再び端末を操作し始めた。
 無事に報告書が完成し、それを綴じてデスクにしまうとふと彼のことが頭に浮かんだ。元気にしているのだろうかと思ったとき、また閻魔大王の胸に痛みが走る。
「あっ……な、なんなのだ……この痛みは……」
 原因不明の痛みに戸惑う閻魔大王は、自室に戻りストックしてあった風邪薬を適当に服用しその日は早めに体を休めた。

 翌朝。特に目立った痛みなども感じないと思った閻魔大王は、あれは疲れだと判断することにした。最近、忙しくてまともに体を休ませてなかったのが原因だろうと決め、そのことは気にしないことにした。審判の間に入り、先に来ていた獄卒たちに挨拶をし、今日の審判に備えて準備を始めた。
 時間を忘れ、次から次へと魂を裁き息つく暇もなかった。やっと列が途切れたことを確認するとはぁと息を吐く。そして今日も……。
「あ……」
 無意識に手を伸ばすも、いつもの場所にあるものがない。それは彼が淹れてくれるお茶。いつも飲み頃のお茶を飲むのが最高のひと時なのだが、今日もそれがないことに気が付いた閻魔大王はまたあの痛みに苦悶の表情を浮かべる。
「っ……!!!」
 それは昨日よりも痛みを増し、閻魔大王の胸を刺す。さすっても痛みが和らがないことは百も承知。だけど、さすらないとより痛みが増すような気がした閻魔大王はゆっくり胸をさすった。
「だ、大王様……如何されましたか」
 異変に気が付いた獄卒がおろおろと尋ねる。普段はそう滅多に表情を崩さないことを知ってるので、苦しそうにしている閻魔大王を見ると途端に不安に駆られたのだろう。
「だ……大丈夫だ。心配するな」
「そ……そうですか……何かお飲み物持ってきます」
 獄卒の一人が飲み物を取りに審判の間を出ると、閻魔大王の胸の痛みは少しだけ和らいだ。だけど、あの痛みがいつまた来るかわからないとなると、閻魔大王は少しだけ不安になった。
「大王様。お持ちしました」
 冷えた水を持ってきた獄卒が、閻魔大王にそれを手渡すと喉を鳴らしながら一気に飲み干した。相当喉が渇いていたのだろうか。息継ぎもしないで飲み切った閻魔大王は一心地着いたのか、落ち着いた様子に戻った。
「すまない。余計な心配をかけてしまったな……」
「いえ。何かあればすぐに申し付けください」
「ああ。そうする」
 自分に気合を入れ、また押し寄せてくる魂という波を崩すため閻魔大王は仕事モードに切り替えた。

 今日も乗り切ることができたのだが……昨日からのこの胸の痛みは一体何なのだろう。疲れではないとしたら……必死に頭を動かすも原因に心当たりがない閻魔大王は諦めの吐息を漏らす。また報告書を作成しようと端末を起動させると……またきた。
「っ……!!!」
 それも今までにないくらいの痛みが閻魔大王の胸を刺した。針なんて可愛いものではなく、なにか太い尖ったもので勢いよく突かれたような痛みが閻魔大王を襲った。
「……なんなのだ……これは……」
 今までに感じたことのない恐怖に、閻魔大王の目から涙があふれた。それは書き途中の書類に落ち、ゆっくりと滲んで消えた。それを気にせず、閻魔大王は胸の痛みからくる「悲しい」という感情に流され、声に出して泣き出した。
「なぜだ……この痛みは……なぜ起きるのだ……」
 一人しかいない審判の間に、閻魔大王の嗚咽が響いた。

「すっかり遅くなってしまったが……大丈夫だろうか」
 とある人物が廊下を走りながら何かを心配していた。それは仕事のことなのかはたまた別のことなのか……。目的の場所に着いた人物は静かに扉を開けた。そこには声を出して泣いている女性がいた。鮮やかな桃色の髪にぱりっとしたブラウス……間違いない。彼女こそ……。
「閻魔大王様。遅くなって申し訳ございませんでした」
 閻魔大王と呼ばれた女性は肩を震わせながら、声のする方へと頭を動かす。今まで見たことのない、涙で濡れてしまった女性の顔をみた人物は驚きを隠せなかった。
「閻魔大王様……一体どうしたのですか……」
「か……むら……なのか……」
「はい。私、篁でございます」
 漆黒のような黒い髪にビジネス眼鏡。滅多なことで驚かない彼─小野篁がここまで驚いている。一体何があったのかを尋ねた。
「わ……しにも……わ……ない」
 しゃくりあえがながら話す閻魔大王。篁と呼ばれた人物はすぐに閻魔大王を介抱した。涙で濡れた閻魔大王の顔は、審判を下す者ではなく一人の女性の顔をしていた。
「か……むら。きい……くれ……。ここ……いきん……ねが痛い……だ……」
「胸が……痛い?」
 何か具合が悪いのかと篁が尋ねるも、閻魔大王は首を横に振った。なのになぜと篁は疑問に思った。少し考えた後、篁はどういうときに痛むかを聞いてみた。
「……」
「大丈夫です。ゆっくりでいいです。なにか思い当たる節はありませんか?」
「……ういえ……ば。一息……こうと思った……れがない……とき……」
「あれ? あれとは……お茶のことですか?」
 こくんと頷く閻魔大王。いつも篁が様子を見て淹れているお茶がないときに胸が痛む……もしかしたらと思った篁は唇を少し噛んだ。
「閻魔大王様。少々お待ちいただけますか。すぐに戻ってきますので」
「篁……うん……」
 篁は閻魔大王を優しく諭すと、あるものを用意するため審判の間を出た。あれがあればきっと落ち着くはずだと睨んだ篁の足は、いつもより早かった。
「失礼します。閻魔大王様。篁です。入ります」
 ゆっくりと扉を開け、審判の間に入る篁。さっきまでの声はなく、代わりに落ち着いた様子の閻魔大王がそこにいた。目は少し腫れぼったくなっていたが、呼吸も乱れていないことを確認した篁は少しほっとした。
「お待たせして申し訳ございません。どうぞ」
 閻魔大王の前に出されたのは、篁が淹れたお茶だった。閻魔大王は出されたお茶を見ると、ぱっと顔が明るくなったことに篁は気が付いた。幾度となく飲んできたこのお茶に何度癒されたかわからないくらいの不思議な力を感じていた。
「お熱いので気を付けてください」
 お気に入りのマグカップに並々と注がれたお茶を、ふーふーと息を吹きかけて冷ましながらゆっくりと口に含む。
「はぁ……おいしい……おいしい……」
 体がじんわりと温まっていくのを感じながら、閻魔大王はゆっくりとお茶を飲んだ。半分くらいまで飲み終えたとき、ふと閻魔大王の手がぴたりと止まった。
「……閻魔大王様?」
 次第に手が震え、肩を震わせ嗚咽を漏らす。すぐに篁は閻魔大王に駆け寄り、様子を窺う。
「か……ら……。お……えて……れ」
「どうされました」
「……たしの……胸が……たいんだ……針に刺されたように痛いんだ……」
 嗚咽混じりに叫ぶ閻魔大王に、ひとつだけ……たったひとつだけ心当たりがあった。さっき、篁がもしかしてと思ったことはどうやら的中してしまったようだ。
「……むら。もし……っていたら……しえて……れ……この……たみは……んのだ……?」
「閻魔大王様……」
「おま……を……えると……るしいんだ……。こ……は……なん……のだ……しえて……れ。……のむ……たの……」
 篁の腕をがしりと掴み、懇願する閻魔大王を直視できなかった。なぜなら、それを知ってしまったら、閻魔大王はきっとここでの仕事ができなくなってしまう。
「……」
 そしてなにより、それを言ってしまったらどれだけ楽なのだろうかと考えてしまう篁。言えないもどかしさと戦いながらも、篁は唇を開いた。
「……申し訳ございません。私も存じ上げません……お力になれずすみません」
「……そうか……お前でも知らないことがあるのだな……すまぬ」
 篁は首を横に振り、知らないと告げる。嘘をついてしまった罪悪感を感じながら堪えると、閻魔大王の手がするりと篁の腕から離れた。
「……新しいものをご用意してきます」
「……すまない」
 すっかり力が抜けてしまった閻魔大王を見やりながら、篁は新しいお茶を淹れるために一旦、審判の間を後にした。その道すがら、篁は申し訳ない気持ちで一杯になり篁自身も目に涙を浮かべていた。

「失礼します」
 静かに審判の間に入り、閻魔大王を見やるとどこか遠くを見ているような様子だった。冷めかけたお茶と淹れたてのお茶を交換し、再び閻魔大王の前に出すと両手でそれを持ちながらすすった。美味しそうにそれをすする閻魔大王を見た篁は何かを必死に堪えているようにも見えた。それは閻魔大王に対しての特別な感情なのか否か……。ぐっと拳を握った篁は閻魔大王にはっきりとした口調で宣言した。
「閻魔大王様。今後、私は現世での仕事は程ほどにしたいと思います。その代わり、ここでの仕事を優先させたく思います」
 突然の宣言に驚く閻魔大王を後目に、篁は続ける。
「私にできることがあれば何でも申し付けてください。一歩でも二歩でも先を読んで閻魔大王様のお役に立ちましょう」
「お……お前。現世の人間なのだから……そこまで無理をしなくても……」
「いいえ。さきの閻魔大王様を見ていて決心がつきました。私は、閻魔大王様にお仕えできることを……幸せに思います」
「なん……だと。私に仕えることが……幸せ?」
「はい。地獄での仕事もだいぶ慣れてきたので、あちこちに指揮を執るのはどうかと……」
 閻魔大王は少し悩んだ末、ゆくゆくはそれを任せてもいいかと提案すると篁は深々とお辞儀をした。
「この小野篁。お役に立って見せましょう」
「もう既に十分役に立ってくれているといのに……お前は……」
 ふっと表情が緩み、篁に笑いかける。それを見た篁も小さく微笑む。ふいに笑った篁を見た閻魔大王は顔を真っ赤にし、突っ伏してしまった。そして、突っ伏したままの閻魔はそのまましばらく動くことができなかった。
「……閻魔大王様? 如何されましたか」
「……なんでもない。それと、一つお願いがあるのだが……」
「はい。なんでしょう」
「こ、今度から……閻魔って呼んでくれないか……。その……閻魔大王って言いにくかろう」
「……よろしいのですか? ほぼ呼び捨てに近い形になってしまいますが……」
「か……構わぬ。お、お前が良ければ……だが……」
「私は一向に構いませんよ。ただ、呼び捨ては心苦しいので最後に様は付けさせていただきます」
「う……うむ。た、試しに呼んでくれぬか……」
 もじもじする閻魔大王をまっすぐ見つめながら、篁はいつもの調子でこう呼んだ。
「御用があれば何なりと申し付けくださいませ。閻魔様」
 初めて呼ばれる呼称に、閻魔大王の顔は更に真っ赤になりしばらくの間は何も答えてくれなかった。
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