☆ベリーベリーハニーティー プチチョコスコーン添え

文字数 5,343文字

 カチカチカチ カチカチカチ カチカチカチ

 時を刻む音。過去から未来へと進む足音。思い出に変わる音。

 普通の人間ならば煩くてたまらないのだが、そこに佇みまるで音楽を楽しんでいるかのような悪魔がいた。艶やかな金色の髪からのぞくうねった角、褐色の肌に豊かな胸。色魔だと勘違いしてしまうかのような体躯に完熟した果実のような蠱惑的な声。過去、未来、現実の間─時の狭間に住む彼女の名はエルロージュ。空間に浮かぶ無数の懐中時計の中、ゆったりとくつろぎながら時の進む音に耳を傾けている。エルロージュは時を干渉できる力を持ちながらも、自らそれを行使しない。ただ興味本位でやってみたいという気持ちはあるようなのだが……未だそれに手を付けたことがないんだとか。実際に手を出したらどうなるのかは、時を操るものであればなんとなくわかるだろう。
 そんなエルロージュなのだが、無数に浮かぶ懐中時計を手に取り、中を見てビクンと体を震わせた。それは不意に背後から声をかけられたときに似た感覚で、エルロージュはしばらく胸の鼓動が収まらなかった。それと同時に懐中時計い映っているとある人物に興味が沸いた。

 ─この子なら……どうするかしら。

 ちょっとした悪戯心に火が点き、エルロージュはその懐中時計の元へと続く次元の扉を開け放った。懐中時計に吸い込まれるように消えると、時の狭間にはまた一つ、時の進む音が鳴り響いた。


 鬱蒼と茂る山道を大きな時計を模した杖を持ち、目的もなくふらふらと歩く少年がいた。少しはねた銀色の髪から覗く気怠そうな目。横に結ばれた口は何も語りたくないという表れなのか、言葉一つ発しない少年─エンデガは決して手を出してはいけない禁忌の魔術を習得した。それにより失敗したことや嫌なことはそれをなかったことにしてきた。何度も何度もそれを繰り返すうち、エンデガの心には虚無という名の魔物が住み着き、それを使う度に魔物が笑う。
 
 時空操術 じくうそうじゅつ

 時を操り、過去へと戻れる魔術である。かつてエンデガは過去に家族を失っており、あの悲しみをなかったことにしよう、家族を救ってみせると考え、必死になって時空操術について勉強しついには習得……したのだが、ここでエンデガは気付いてしまった。習得してすぐに過去へと遡り、たどり着いたのは時空操術を習得する前の時だった。何度も術を行使するも何度も同じ場所へと辿り着いてしまう結果に、エンデガは信じたくない答えを導き出す。

 



 そのことがわかってしまったエンデガの悲しみは深く、計り知れない。あの時見た光景や家族の悲鳴、家々が燃える音、成す術なくただ立っている自分が出てくる夢を何度も見続け、その度に苦しみ、悲しみ、嘆いた。なんで自分は何もできなかったんだ、なんで助けを求める家族の手を取ってあげられなかったんだ、なんで助けを呼ぶことができなかったんだ。挙げればきりがないくらいの後悔に塗れ、エンデガの心はじわじわと確実に蝕まれていった。
 今もそれを思い出してしまい、胸がぐっと何かに握られたような感覚に顔を歪ませながら痛い箇所を抑える。思い出さないようにしても、こうしてふとした時に訪れてはエンデガの胸を締め付ける。ぎりりと唇を噛みしめ堪えるも、収まりそうにないと判断したエンデガはゆっくりと腰を下ろした。暗くなる前にどこかで休まないとという気持ちが生まれ、エンデガは辺りを見回した。しかし、目に映るのは木、木、木ばかりでとても都合のいいような小屋は見当たらなかった。
「……そんなに都合よくはいかないか……はぁ」
 そう上手くいくことはないと知っていても、口は素直な気持ちを吐き出した。杖にもたれるようにしていると、エンデガの視線の先で赤くちろちろと何かが揺らめいた。最初は火事かと思ったのだが、そうではないようで赤くちろちろとしたものはまるでエンデガを導くかのようにゆっくりと動き出した。何があるかわからない。だが、この場でじっとしてるよりはましだと考えたエンデガはその赤いものを追いかけ始めた。
 途中、頬に枝があたるも、木々の根に足元を取られそうになるもエンデガは赤いものを見失わないように必死で追いかけた。

         駆けて
            駆けて
                駆けて……もう二度と失わないと決めたのだから。
 やがて赤いものはその場に留まり、まるでエンデガが来るのを待っているかのようだった。赤いものはそこから動くことなくじっとしていると、エンデガがゆっくりと忍び寄り手を伸ばす。

 もらった

 エンデガは心の中でそう確信すると、赤いものは懐中時計に変わりエンデガを吸い込んだ。
「なんだと……」
 エンデガの声も吸い込んだ懐中時計は、程なくして地面に落ちてからゆっくりと消えていった。

 「……ここは」
 意識を取り戻したエンデガは、さっきまで自分がいた場所とは違うことに気付いた。さっきまでが密林だったのに対し、今度は星が煌めく夜空に浮かぶたくさんの懐中時計というあり得ない光景だった。その懐中時計はどれも同じように時を刻み、ほかの懐中時計とぶつかりながらも悠然と漂っている。足元は純度の高い硝子を敷いたかのような床で、まるでそこには足場がないような錯覚を覚えるのと同時にじっとしていると方向感覚が狂いそうなほどだった。
「ぼくはさっき、赤いものを追いかけてた……よな」
 直前の記憶を遡り、赤いものを追いかけてもう少しというところで……何かに吸い込まれた。何に吸い込まれたかを思い出そうとしていると、背後からやけに明るい声が聞こえた。
「やっほー。いらっしゃーい」
「……っ!!」
 エンデガが振り返ると、大きな時計に腰かけている人物がいた。その人物はエンデガの顔を見るや否や、嬉しそうに笑うと大きな時計から飛び降りエンデガへと近付いた。
「……何者だ」
 すっと杖を構え、鋭い視線を送るエンデガに対し、その人物は怖がる素振りも見せずにどんどん近付いてくる。甘くねっとりとした視線に惑わされないよう、エンデガはただ無言で杖を構える。
「もう。そんなに怒らなくてもいいじゃん。ぶーぶー」
「……何者だ。もう言わないよ」
 完全に戦闘態勢に入ったエンデガを見て、さすがにまずいと感じた人物は両手を挙げながら声を張った。
「あーもー。ごめんってばぁ。ちょーっとからかっただけじゃん。あたしはエルロージュ」
「エルロージュ。ぼくに何の用だい」
「決まってんじゃーん。君を助けたかったからだよ」
「……本当の答えは?」
 更に視線を尖らせ、エルロージュを睨みつける。焦った素振りで「それが本当の意味にきまってんじゃん」と訴えてきた。その様子から嘘を吐いているように見えなかったエンデガは、杖をゆっくり下ろし警戒を解いた。解いたといっても完全にではなく、視線だけはまだ戦闘態勢だと訴えていることに気が付いたエルロージュは半べそをかいた。
「もう……謝ったじゃん。許してよぅ……くすん」
「……ふん」
 これ以上は面倒くさいことになりそうだと判断したエンデガは、視線から放つ殺気を解いた。安心したエルロージュは改めて自己紹介をし、この場所がどんな場所かを説明した。すると、エンデガなんとなく察した様子でエルロージュを見ると、馬鹿馬鹿しいと呟きそっぽを向いた。そっぽを向いた先にエルロージュが現れ、驚いたエンデガを見て心から楽しそうに笑うエルロージュ。何度もからかわれ、次第に苛立ちが募ったエンデガはここから出してほしいと訴えた。
「えー。もう帰っちゃう? あの場所はもう夜で危険だよ」
「そんなこと、お前には関係ない。さっさと戻せ」
「んー。戻してあげてもいいけど……。さっき、あたし言ったよね。あなたを助けたいって」
「……ぼくは助けを求めてないんだ」
「ねぇ、時を干渉できるって言ったら……どうする?」

 ドクン

 エンデガの胸が跳ねた。それも今までで一番強く激しく。あの時の記憶が胸でざわつき、悪魔がそれそれと踊りだす。踊る度に胸の痛みは増し、縛り付ける。息を漏らし苦しんでいるエンデガの背後からエルロージュがはぁと生暖かい息を吹きかける。
「言ったでしょ? あたしは

って……」
「ぐっ……うぅ……」
「ほぉら……この懐中時計はあなただけのものなのよ」
「うぅ……うっ……」
「知ってるわよ。あなたは過去に悲しい体験をしてることも、それに対して何度も嘆いてることも……あたしは知ってるの」
「はぁ……はぁ……」
「苦しかったわよね。辛かったわよね。あなたの悲しみは痛いほどわかるわ……大切な家族を取り戻したいって気持ちはすっごくわかるわ。あたしも、同じ経験をしたから……ね」
「う……うぅ……っ」
「ほぉら……この懐中時計を手に取れば……あなたは助かるのよ。今まで苦しんでいたことから解放されるのよ……辛かったことから解放されるのよ……ほら……」
 懐中時計の盤面に映し出されているのは、エンデガが味わったあの惨劇が映し出されていた。燃える村、ただ立ち尽くしている人影、手を伸ばしている家族……どれもがエンデガの心を精神を抉るには十分すぎた。
「うわあぁああぁああぁああぁあああっっ!!!」
「そんなに悲しまなくていいの。ほら、この懐中時計に飛び込めば済むことよ」
 甘ったるく粘度の高い言葉がエンデガの耳を、心を、精神を蝕んでいく。これはきっと罠だと頭ではわかっていても心は精神はそれを欲していた。心は今からでも間に合う、だからいますぐにあの時へと帰りたい、家族を助けたいと声の限り叫んでいた。精神は家族を救って今すぐ抱きしめてもらいたい、そして思い切り泣きたいと欲していた。エンデガはその二つと葛藤し叫んでいた。心と精神の欲求に答えたい、しかしそれは罠だと……頭を抱え叫び、泣き、足場をどんどんと叩き答えが出ないことへの自分への苛立ちをぶつける。その様子を見ていたエルロージュはというと……頬を赤らめながら眺めていた。期待通りいやそれ以上の反応にエルロージュは歓喜していた。ここまでの反応は見たことがなかったからなのかもしれないが、エルロージュは次第にもう少しだけ……もう少しだけ意地悪をしてやろうと考え追い打ちの言葉をエンデガの耳元で囁く。

「あなたは悪くないわ。ほら……家族が待っている場所へ……ね?」
「っっっっっっっ!!!!!!」

 エンデガは頭を掻きむしり、泣き、叫んだ。もう何もかもどうにでもなってしまえ。時の狭間でエンデガは狂ったように暴れた。それでも懐中時計に手を伸ばさないエンデガにエルロージュは目の前に差し出す。しかし、それを受け取ることなくエンデガは叫んでいた。もう少しなのにと焦るエルロージュなのだがその焦りも空しく、結局エンデガは懐中時計を受け取らなかった。
「はぁ……はぁ……うぅ……はぁ……はぁ……」
「……落ち着いた?」
「もうぼくに構うな。わかったらさっさとぼくをさっきの場所に帰してくれ」
「わ、わかったわよ。ちょっと悪戯しただけじゃん……」
「それにしてはずいぶんな悪戯じゃないか……時を超える恐ろしさ、君も知ってるだろ」
「知らないわけないじゃん! もう……ごめんなさい。えいっ」
 エルロージュが手を叩くと、半透明の扉が現れ静かに左右に開いた。扉の先を覗き込むと鬱蒼とした木々が映っており、間違いないことを確認したエンデガは何も言わずに潜った。目の前がぐにゃりと歪み眩暈を覚えたエンデガはそのまま意識を失った。

 冷たい風に起こされ、意識を取り戻すとあの鬱蒼とした森の中だった。空は少しだけ明るくなっていることから、間もなく夜明けだということがわかった。エンデガはさっきのは夢だったのかと頭を振った。しかし、それはすぐにそうではないことだとわかる。エンデガの左手は

を持っていた。丸くて手のひらから伝わる駆動音。それにぞっとしたエンデガは左手に納まっているものを確認した。
「……っ!!」

  カチカチカチ カチカチカチ カチカチカチ

 あの時見た懐中時計だった。規則的に刻む時の音に、信じたくなかった気持ちが一気に否定へと変わった。夢ではなかったのだ……。ぞっとしながら懐中時計を眺めていると、背面に何か書かれていることに気が付いたエンデガはゆっくりと文字を追った。
「……これは君のものだよ。苦しかったらいつでも覗き込めばいいからね。それと、からかってごめん。君を助けたいという気持ちに嘘はないからね エルロージュ……ふん」
 時の狭間の住人エルロージュからのささやかなプレゼント。それは小さな懐中時計という形だが、エンデガは覗き込むことなく胸ポケットへとしまった。本当は捨ててもよかったのだが……なぜか捨てることができないことに違和感を覚えた。これは捨ててはいけない気がする。第六感がなんとなくそう告げているような気がした。
「……ぼくは、満足することができるのだろうか……」
 今まで心を満たされたことがないエンデガ。ふと出た本音は鬱蒼とした木々に吸い込まれ、消えていった。そして、それに対して答える者は当然いるわけもなく、エンデガは今日も答えを探し歩き続ける。
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