まろやかミルクたっぷり♪ふんわりボーロ【魔&竜】

文字数 2,602文字

 とある喫茶店。いつもならたくさんのお客さんで賑わう店内なのだが、今日は異常ともいえるくらい誰もいなかった。品書きとにらめっこしているお客さん、注文しようと手をあげるお客さん、お友達と楽しく話しながら食事をするお客さんなど、店内にはそんな活気が溢れているのだが今日に限っては給仕係も驚いている。長年この喫茶店のシェフを勤めている店主ですら、これは異常だと呟く店内でどうしたものかと悩んだ給仕係は、訳もなく誰もいないテーブル席の拭き掃除をしていた。
 お昼時が過ぎ、店内にある柱時計が午後一時を知らせる鐘を鳴らすと給仕たちもあまりの退屈さにため息を漏らしていた。昨日までのあのてんてこ舞いは一体どこにいってしまったのだろうと一人がそう呟くと同時に、店内のドアチャイムが軽やかに鳴った。

 からんからん

「いらっしゃいませぇ! ……ってあれ??」
 本日ようやく一人目のお客様だと思って、給仕は声にも笑顔を幾重にも上乗せして挨拶をしたのだが、やってきたのは大きな黄色いカタツムリに乗った赤ん坊だった。
「あか……ちゃん? どうしたのかしら?」
 人間をはじめ、竜人、悪魔、天使など色んな種族のお客さんが来るのに慣れている給仕だが、まさか赤ん坊が来ることは想定してなかったようで、目を丸くしながら屈んだ。
「迷子……かしら? だけど……??」
 給仕が困っていると、カタツムリが首を動かしながらジェスチャーで「ちょっと休憩させてほしい」と伝えていた。給仕はなんとなくその意味を自分なりに解釈したことをカタツムリに伝えると、カタツムリは「そうだ」というように首をゆっくり縦に動かした。どうやらカタツムリはこちらの言葉を理解してくれているようだから問題はなさそうだが……問題はそのカタツムリの上でぐったりしている赤ん坊だった。給仕はカタツムリに赤ん坊がぐったりしている理由を尋ねると、少し考えてからカタツムリは「慣れない人混みで酔ってしまった」とのことだった。給仕が赤ん坊の顔色を窺うと、少し熱っぽさも感じることもありとにかく体を休めることができる広めの席へ通すと、急いで冷えた水をいくつか運んだ。
「うぅ……うぅうう……」
 気持ち悪さからなのか、赤ん坊はぐずりだしてしまった。カタツムリは自身の体の中から赤ん坊をケアする道具をいくつか器用に取り出し、手当を行ったが赤ん坊のぐずりは止まらなかった。
「うえ……うぇえ……ぇえええん!」
 気持ち悪さに耐えきれなくなった赤ん坊は、声をあげて泣き出してしまった。あれやこれや試しても赤ん坊の機嫌がよくならないことに困っていると、店内に新たなドアチャイムが鳴り響いた。現れたのは夕焼けのような眩しいオレンジ色の髪、頭部に生えた真っ赤な角は純白のヘッドドレスで飾られている。どこかの屋敷のメイドさんなのか、エプロンドレスを身に着けているが……その腕や脚部は武装していると思われる籠手やすね当てを着けているなど物々しい雰囲気を漂わせいるが、朗らかな笑みがそれを中和していた。
「いらっしゃいませぇ! 一名様でしょうか?」
「はい。ですが……赤ん坊の泣き声が……どうかされましたか?」
「あ……ああ。すみません。どうやら体調が優れないようでして……」
「なるほど。ちょっと看てもいいですか?」
「え……ええ」
 冷ややかまでとはいかないが少し言葉に表情がないようにも感じながらも、給仕は赤ん坊が休んでいる席へと案内すると、赤ん坊は感情に任せ泣いていた。これにはカタツムリも困ってしまい「どうしたものか」と表情を曇らせていた。
「では、失礼します」
 おしぼりで自分の手をしっかり拭いてから、メイドさんは赤ん坊をゆっくりと抱きかかえた。
「よしよし。眠かったのかしら」
「ふえ……ふえ…………」
 メイドさんに抱かれた赤ん坊は次第に声を落としながら、ゆっくりと寝息を立て始めた。メイドさんは時折体を上下させながら赤ん坊をあやすと、カタツムリと給仕は驚いたように顔を見合わせた。
「すごい……あっという間に泣き止んでしまいました」
「きっと眠たかったのでしょう。起きたらおなかも空いていると思うので、たっぷりのミルクを用意しておきましょう」
 まるで手馴れているかのように準備を進めていくメイドさん。赤ん坊がいつ目が覚めてもいいようにてきぱきと物事を進めていく姿はまさにメイドさんだった。
「ふう。これくらいでしょうか」
 保温性の優れているボトルに適温になったぬるま湯を入れ、分量もきっちり計った粉ミルクを小分けにし、すぐにおかわりができるようにともう何もかもが行き届いていた。
「わぁ……何もかもしていただいて……申し訳ないです……」
「いえ。これもメイドとしての務めですので。それにしても……」
 すやすやと寝息を立てて眠っている赤ん坊を見て、メイドさんはふっと表情を緩ませた。
「赤ん坊の寝顔というのは、いつ見ても心が洗われますね」
 赤ん坊がずっと握っているガラガラには「テプル」と書かれているのを見つけたメイドさんは、テプルが起きないに小さな声で「テプル。おやすみなさい」というと、メイドさんは静かに立ち出口へと歩いて行った。
「あ……あの、お客様。その、お礼を……」
「いえ。それには及びません。たまたま……何かに呼ばれたような気がして入ってみたもので。ですが、近いうちに必ずまた来ます。こちらの店内にいると、心が解れるというか……なんだか安心するような気がします。では、わたしは職務に戻ります」
 メイドさんはそういうと、エプロンドレスを摘まみながらお辞儀。ドアチャイムが鳴らないよう静かに扉を閉めると、店内には再び静寂が戻ってきた。一時はどうなるかと思ったが、今は規則正しい寝息を聞きながら平穏を楽しむことも悪くなさそうだ。
「店長~。ちょっといいですか?」
 給仕の一人が店長に何やら相談をすると、店長は「そうだね。そうしよう」と賛成の意の言葉を発すると、給仕が店の外にある「営業中」のプレートを「準備中」にひっくり返し、そのまま今日の営業を終了することにした。今日くらい、静かな店内があってもいいではないかと店長が呟くと、エプロンを外しテプルの寝顔を見にホールへとやってきた。給仕たちもエプロンを外し、テプルの寝顔を見ながら時を過ごすことにした。カタツムリは申し訳ないという顔をしながらも、ありがとうという気持ちを全身で表していた。
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