ふんわり甘いローズガナッシュ【神】

文字数 4,250文字

 わたしの元に一通の手紙が届いた。きれいな白い封筒、裏にはしっかりと蝋で封がされていてた。蝋が欠けないよう慎重に剥がしていくと、これまた丁寧に二つ折りされた便箋が入っていた。とてもきれいな字で「貴公に話がある。同封した場所で待ち合わせをしよう」とだけ書かれていた。一体何のことなのだろうと思い、それらしいことを思い出してみたが、どれもぱっとしないものばかりだった。とここで、差出人が誰かを確認すると、流れるような字で「ザフキエル」と書いてあった。ザフキエルがわたしに話とは……ますますわからなくなったわたしは一旦深呼吸をし、気持ちを落ち着かせた。
 ザフキエル。確か冒険に出る前にパートナーにできる防御タイプの技を持っていたダンディな男性だったということはわかっている。いつも強力な攻撃を身を挺して守ってくれるその姿に、何度も申し訳ない気持ちでいっぱいなのだけど、いつも彼はにこりと笑って許してくれる。そして口を開けば「貴公が無事で何よりだ」と言う。わたしは無事だけど……その度にザフキエルが傷だらけになるのは、体は無事でも心は申し訳ない気持ちで溢れていた。そんないつも守ってくれるザフキエルがわたしに話って一体なんだろう。しばらく唸った後、わたしは便箋に書かれている場所に向かうため、手早く準備をし家を出た。神の世界で待ち合わせなんて、ちょっと変わったところも気がかりだったが、今は考えないようにした。

 待ち合わせの時間までまだ猶予はあるはずなのだけど、わたしの足は妙に急いでいた。理由はわからないけど、今はとにかく遅れないことを優先しもう少し足を動かした。綺麗な花が咲き始める今、長かった冬を乗り越えた草花たちが大きな欠伸をして眠りから目覚めるときをだった。こっちでは咲いているけど、こっちはまだお寝坊さんなのか蕾はまだ開いていないものがあったりとそれぞれ性格があるみたいでちょっと楽しかった。桃色の花びらが舞うトンネルを抜けた先にある橋の上で誰かが立っているのが見えたわたしは、思わずはっとした。確かに橋の上は待ち合わせ場所なのだけど、そこに立っているザフキエルの様子がいつもとは違っていたのだ。

 いつもは純白の鎧に身を包んでいるだが、今はスカイブルーの半袖に白銀(プラチナ)のベスト、パンツには金色の刺繍が施されていた。胸元にはシルバーのネックレスをしていて髪はラフに纏め後ろで緩く結ばれていた。そして、普段は中々見る機会がないザフキエルの瞳は、まるで丁寧に淹れた紅茶のダージリンを思わすような綺麗な琥珀色をしていた。凛々しい笑みの後ろではザフキエルの象徴でもある金色の翼が小さく羽ばたいていた。
(ちょ……ちょっと。ザフキエルってあんなにおしゃれさんだったの??)
 心の中でそう呟くわたし。普段見たことのないザフキエルの姿にあたふたしていると、それに気が付いたのかザフキエルはわたしに向かって小さく手を振った。
「突然、手紙を送付してしまって申し訳ない。だが、どうしても貴公に渡したいものがあってね」
 そう言うザフキエルの手には可愛くラッピングされた小さな箱があった。赤いボックスに金色のリボンで巻かれていて、頂点には様々な色をしたバラをのせていた。え、今日ってなにかあったっけとザフキエルに尋ねると、ザフキエルは薄く笑った。
「今日はホワイトデー。貴公に感謝をする特別な日だ」
 わたしに感謝って、感謝するのはわたしなんだけどと思っているとザフキエルはわたしの前で小さくお辞儀をした。ゆっくり顔を上げるとその顔はまさにダンディで溢れていて思わずくらっときてしまいそうだった。
「先日、貴公から貰った果実の礼と日ごろの感謝だ。遠慮など必要ない。受け取って欲しい」
 ザフキエルの手元からわたしにボックスが渡ると、ザフキエルは嬉しそうの微笑みながら「喜んでくれるといいのだが」といい、大きな翼をぶわりと広げた。そして、その片方をわたしの後ろで広げなおすとザフキエルが半歩先を歩いた。
「さぁ、今日は貴公に感謝をする日だ。私がエスコートしよう」
 こうしてザフキエルから案内をされつつ、神の世界をあちこち歩き回った。植物に始まり建造物までありとあらゆるものについて、ザフキエルは丁寧に説明をしてくれた。こうやって話していると物知りなんだなって思うのと、それとさっきから妙にザフキエルとの距離が近く感じるのは気のせいだろうか……。大きく跳ねるわたしの胸の鼓動を無理やり抑えつけていると、ザフキエルは一つの建物を指さして言った。
「そろそろランチの時間だ。あそこの店のパスタセットは絶品なんだ。貴公にも楽しんでもらいたい」
 まるで神殿のような佇まいだった。建物の周りには蔦が伸びていてさらにその雰囲気を助長させていた。ザフキエルが先に入り扉を開けベルチャイムを鳴らすと、中からふわりと甘い香りが漂った。ケーキを焼いているのだろうかふんわりとした優しい香りがわたしの鼻をくすぐった。落ち着いた色の家具で整えられた店内は、シンプルでいながらとても心地の良い空間だった。やがてメイド服の女性がやってきてぺこりと頭を下げて席へと案内してくれた。柔らかい桃色の髪がとても印象的な彼女はテラス席に誘導すると、メニューを置いてまた一礼をして去っていった。少しだけ冷たい風がわたしの髪で遊びどこかへ去った後、メニューを開いた。最初のページに「おすすめランチセット」という表記と写真が一緒に載っていた。パンかパスタが選べるようになっていて、ザフキエルはパスタがおすすめだって言っていたから、わたしはパスタセットをメイド服をきた彼女に告げるとザフキエルも同じものを注文した。メニューを下げてキッチンへと向かい、ほどなくして冷えた水を運んでくれた。一口含むと、ほのかな柑橘系の味が広がりなんとも爽やかだった。グラスを置き料理が運ばれるまでの間、何を話そうかと考えているとそれよりも先にザフキエルが口を開いた。
「最近、貴公の活躍をよく聞く。それも、困難なクエストばかり受注しているというではないか。貴公の活躍はとても嬉しいのだが、あまり無理をしないで欲しい。私は貴公あっての私なのだから」
 突然そんなことを言われ、わたしは一瞬で頭が沸騰したような感覚に襲われた。そんなわたしを他所にザフキエルは続けた。
「貴公が私を最初のパートナーにしてくれたこと。なんとお礼をしていいか、その感謝を伝えるにはどうしたらいいか私なりに考えた結果、私がいる限り貴公に降り掛かる災いは私が盾となり、防いでいこうと誓ったのだ。こういうことでしか伝えられない不器用な私だが、今後とも頼ってくれると嬉しいな」
 最後まで真っすぐわたしを見て発言するザフキエル。なんかもう……わたしは何も言えなかった。嬉しいやら恥ずかしいやらなんやらで脳がパニックを起こしてて……両手で顔を覆うことしかできなかった。そんなザフキエルからの感謝の言葉が終わったのと同時に、注文した料理が運ばれてきた。鮮やかなバジルが添えられたシンプルなパスタに、かぼちゃのポタージュ。サラダにはコーンやトマトがきれいに盛り付けられており、とても華やかだった。
「では、いただこうか」
 ザフキエルと会話をしながら食事をしていると、今までザフキエルに抱いていた思いがいい意味で裏切られた感じがした。いつもは厳格な感じがして、少しだけ近寄りがたいなって思っていたけど、今日のザフキエルを見てから本当は優しくて思いやりのある人(天使?)なんだって思った。そう思ってからわたしも自然と笑うことができたし、淀みなく話すこともできた。デザートが運ばれたときにはすっかり打ち解け、気負うことなく素敵な時間を過ごすことができた。最後に紅茶を飲み、席を立つとザフキエルはわたしにウインクをした。きっとザフキエルは言わなくてもわかるだろうと信じているのだ。それに対し、わたしは小さく頷き神殿のようなお店を出た。
 しばらくしてザフキエルがお店から出てくると、「行こうか」と言いまたわたしの半歩先を歩き出した。なんだろう、もう少しザフキエルとお話していたいけど時間がそれを許してくれなかった。ザフキエルが足を止めたのは、神の世界からわたしのいる世界へと戻る扉の前だった。その頃には神の世界も夕暮れとなっていて、ほんの少しだけ肌寒くなってきていた。
「今日は私の我儘に応えてくれて、本当にありがとう。とても有意義な一日だった」
 恭しく頭を下げてお礼を言うザフキエルだけど、お礼を言いたいのはこっちもそうなんだけどと思い、わたしもザフキエルに時間を共有できたことにお礼をした。こうして話す機会なんてないと思っていたからとても嬉しかったし、その……その……えっと、何を言おうとしたんだっけ……おかしいな。嬉しいはずなのに……嬉しいはずなのに涙が止まらない。止めようと思っても涙は止まってくれないし寧ろ溢れてくる。目の前が涙で霞んで見えなくなると、ザフキエルの温かくて大きな手がわたしの頭を優しく撫でた。
「貴公の優しさ、痛み入る。またいつか、こうして私と話してくれると嬉しい」
 しゃくりあげながら、わたしは何度も頷いた。もっと話をしたい、もっと色んな場所を教えてほしい。途切れ途切れで聞き取りにくいかもしれないけど、わたしはそうザフキエルに伝えた。するとザフキエルは「もちろんだ」と答えてくれた。わたしの頭からザフキエルの手の温もりが薄れていくのと同時に、わたしは小さな光の粒に包まれていた。自分の世界に戻るときがきたのだ。
「大丈夫だ。またすぐ顔を合わせるときがくる。それまでしばしの別れだ」
 ザフキエルがそう言い、わたしに向けて手を振るのが見えたのを最後に視界は暗くなった。

 目が覚めるとそこは自分の住んでいる世界だった。わたしの後ろには神の世界へ繋がる扉があり、今は反応もなくただ静かに佇んでいた。帰ってきたことに少し寂しさを覚えつつ、わたしは帰路へと就いた。そしてふと手元をみると、あの可愛くラッピングされた赤い小箱があった。わたしは待ちきれず帰路の途中でリボンを解き、中を見た。すると小さな青いバラが可憐に咲いているような髪飾りが入っていた。添えられていたカードには「いつまでも元気一杯な貴公でありますように」とあった。ザフキエルの優しさにまた涙が溢れ、今度は声に出して泣いた。

    ザフキエル……わたしもあなたと会えて本当によかった。ありがとう。
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