アセロラとネクタリンのクリーミーソルベ

文字数 7,252文字

「今度は、少し変わった観点のお客様を招待してみた。同業者……といっても差し支えはないかもしれないな」
「左様でございますか。それは楽しみです」
 悪魔執事─ラデルの淹れた紅茶を楽しむ吸血鬼男爵─ガエタノは、次の招待客についてラデルに話をしていた。なんでも同業者のようで、今までとは少し違ったお話が聞けるのではないかとガエタノは既にウキウキしている様子だった。その様子をまた嬉しそうに微笑むラデルも、自分のカップに新しい紅茶を注ごうとしたとき、ガエタノが先に注いでくれた。
「これはこれは。お気遣いありがとうございます」
「何を言っているんだい。我輩と君の仲じゃないか。むっふっふ」
 ふんわりとした湯気の先に、ガエタノの笑顔を見たラデルもその期待に応えようと新作のスイーツを考え始めていた。

「……ここは。主の館ではないですね……主は一体どこへ」
「……打ち合わせをしないといけないのですが……困りました」
「あら……ここは……」
 ガエタノの招待状の力によって集められた三人の客人。可憐さと瞳から意思の強さを感じるメイド─ヴェルトリンデ、たっぷりのドレープが施されたドレスに身を包み、大きく開かれた胸元には緑色のバラのタトゥーが刻まれている令嬢─アイリア。一部の隙もなくきっちりとタキシードを着込み、額の両側から二本の角を生やし、手には何やら素材を握りしめている執事─ミシェイリアス。顔を見合わせた三人は軽く自己紹介を済ませて辺りを見渡すも、それぞれがいた空間とは異なることに何事かと騒ぐものはいないものの、動揺は隠せなかった。
 困惑する三人の耳に、玄関からかちりと何かが開く音が聞こえた。辺りを警戒しながらヴェルトリンデを先頭に屋敷の玄関へと進んでいく。背後はミシェイリアスが担当し、何の気配を感じないと小さく呟く。ドアノブに手をかけながらドアチャイムを鳴らすヴェルトリンデ。中からくぐもった声が聞こえ、ゆっくりと扉を開ける。乾いた音と共に開いた扉の先には一人の人物が立っていた。
 三人の姿を確認したその人物は、深々とお辞儀をし軽く自己紹介を始めた。名はガエタノ。招待状を送った主であることを伝えると、ヴェルトリンデが一歩前へ出てすぐに主の元へと帰らないといけない旨を伝えると、ガエタノはむっふっふと笑いながら髭を整えた。
「安心したまえ。ここで過ごした時間は現世にはなんの影響を及ぼさん。だから、ここでの時間を有意義に過ごしていただきたい」
 その一言にまず胸を撫で下ろしたのはミシェイリアスだった。彼は洋服を仕立てることをなによりも楽しんでいて、主がデザインを考えそれを形にすることで生活が成り立っている。彼なりのアレンジを加えて主を何度も驚かすこともしばしばで、その美しい仕立ては各世界へと広がりつつある。一切の妥協も許さない彼だからこそできる業なのかもしれない。ただ、一つだけ難点を示すとしたら……主がデザインした洋服を身に着けると知らず知らずのうちに生命力を奪われてしまうということがある(らしい)。そしてその吸い取った生命力というのはミシェイリアスの主の元へと集約し、永遠に健康体でいられるという。ミシェイリアスが仕立てた洋服を購入する人はみな、生命力に溢れた竜の貴婦人や、魔力がずば抜けた魔女などそれぞれが何かしらの力が豊かな種族であることであれば何ら問題はないのだが、それを持たないごく一般の人間が誰かから譲り受けたものを着たとき、最初はわずかな倦怠感から始まるのだが最終的には立つことはおろか自力でその洋服を脱ぐことができないくらいだというのだ。ただ、あくまで噂ということなのだが実際に起きても不思議ではないことにミシェイリアスは戸惑いを感じていた。
「……私の作った洋服でそのようなことがあってしまったら……一度、主に相談してみよう」
 思い切ってミシェイリアスは主であるレディ・シトラスに話をもちかけたのだが、全く聞く耳を持たず理由を問うと「私の永遠の若さが手に入ればそれでいい」とばっさり。しかし、よくよく考えると悪評がついてしまっては今後のデザインなどにも支障が出ると思ったレディ・シトラスは今後は転売などをしないという契約を交わした人物のみへの販売をするとミシェイリアスと約束をした。それであれば問題はないと思ったミシェイリアスは失礼をお許しくださいと深く頭を下げて謝罪をした。レディ・シトラスはそんな大袈裟なとからからと笑いながら自分のアトリエにこもり、新作ドレスのデザイン業務へとうつった。
 約束をした以上、大丈夫だろうと思ったミシェイリアスはレディ・シトラスからのデザイン表に目を通し新作のドレスやタキシードを作成する準備をした。
「私が作った洋服で少しでも華やかさを添えることができるのなら……」
 そういったミシェイリアスの気持ちをふんだんに込めた新作の衣装の売れ行きは言うまでもなかった。

「そうか……なら、少しの間お邪魔をさせていただいても……?」
 ミシェイリアスが尋ねるとガエタノは無論だといい、会場であるメインホールへと三人を案内し始めた。先に行くヴェルトリンデ、ミシェイリアス、最後尾にアイリアという並びで廊下を進んでいく。最初はおどおどしていたアイリアだったが、屋敷の趣が自分の感性と合うとわかると美しい絵画に思わず足を止めたりガエタノに絵画の詳細を尋ねたりと、段々生き生きとしているのが見てわかった。
「この絵画の色使いがとても素敵だわ……はぁ……わたしの部屋にも飾りたいくらいだわ」
「なら、この屋敷の主に聞いてみては如何かな。きっと良い回答が返ってくる」
 ぱっと表情が明るくなったアイリアは、これから会う屋敷の主がどのような人物なのか、胸を躍らせながら廊下を歩いた。しばらくして大きなホールへとたどり着いた三人は、ホール中央にてしゃんと立っている一人の人物が目に入った。そこにいるのは濃紫のタキシードを着こなし、三人を確認すると腰を綺麗に折り、挨拶をする悪魔だった。
「この度はお越しいただきまして、誠にありがとうございます。ささやかではありますが、今宵は時間を忘れてお楽しみいただけるよう、努めて参ります。申し遅れましたが、私はこの屋敷の主、ラデルと申します。お見知りおきを」
 ラデルの挨拶が済むと、ラデルはすぐに配膳をこなしメインホールにある大きなテーブルにはたくさんの料理が並べられていた。料理だけでなく、飲み物や果物、スイーツが所狭しと置かれ、三人は感嘆の声を漏らす。
「たくさんご用意いたしましたので、どうぞ遠慮なくお召し上がりくださいませ」
 ハロウィンが近いというだけあってか、料理の大半はそれを模したものが多かった。かぼちゃをふんだんに使ったパイ、季節のキノコを使ったキッシュ、栗と甘いもを使ったカナッペ、リンゴとブドウ、イチジクを使ったタルト、クランベリーとキウイのスパークリングカクテル……などなどどれも美しく装飾されていて且つ美味しそうだった。
「……美しい……」
「これを……あなたがですか?」
 ラデルは頷き、少しでも楽しんでいただけたらと付け加え紅茶の準備を始めた。我慢ができなくなり、最初に手を伸ばしたのはアイリアだった。アイリアは美しく装飾されたかぼちゃのパイを指さすと、ガエタノが切り分けられたパイを皿にのせてアイリアに手渡す。
「ラデル君が丹精込めて作った逸品だ。きっと喜んでもらえるだろう」
 ガエタノがウインクしながらアイリアに言うと、アイリアは小さく頷き添えられたフォークで切り分け口に運ぶ。しっかり噛みしめ味わいながら楽しむと同時に小さな吐息が漏れた。
「……はぁ。かぼちゃの甘みと香ばしさがこんなにも美しく響き合うなんて……感激です」
 微かではあるが、アイリアの瞳が潤んでいるようにも見えたガエタノは小さく笑いながら淹れたての紅茶を渡した。香りが高く口に含むと爽やかな飲み口で後味がすっきり……かぼちゃのパイにぴったりだった。
「本日はダージリンをご用意しております。お好みでミルクやレモンを添えてもよろしいかと」
 喉をこくりと鳴らし、ラデルの紅茶を受け取ったミシェイリアスはまずはストレートで楽しんだ後にミルクを少量混ぜて楽しんだ。自分で淹れるものよりも美味しいと感激したミシェイリアスはキノコのキッシュを選びガエタノから受け取る。
「なんと……こんな濃厚なキッシュは初めてだ……今度、主に作ってみたいのだが……」
「でしたら、後程レシピをお渡ししましょう。ベースのクリームができればあとはお好きにアレンジが可能となっていますので、ぜひお試しください」
 まさかレシピまで教えてくれるとは思わなかったミシェイリアスは更に喜び、いつものクールなキャラは少しずつ綻び、肩の力が抜けてきたようにも見えた。最後まで気難しそうな顔をしていたのはヴェルトリンデだった。主に仕える身としてここはしっかりとしないといけないという気持ちが一番強かった。強張った表情のまま立っていると、いつの間にかガエタノの声が背後から聞こえ、驚くヴェルトリンデ。
「君はいつも生真面目な様子だ。だが、いつも真面目でばかりだといつかは疲れてしまう。今日は君にとって息抜きの時間だと思って……寛いでくれないかね、マドモアゼル」
 そう言ってヴェルトリンデにクランベリーとキウイのスパークリングカクテルを差し出す。耳元で弾ける音がなんとも心地よい……のだが、それを受け取ろうとしない。
「私は……一刻も早く主の元へ戻らねば……」
「美味しいものは、時に心を豊かにするものだ。自分で作ったものよりも美味しく感じるときというのは、心が楽しんでいるということだ。今日だけ、その心を感じてみないかね」
 しばらく無言が続き、観念したのかヴェルトリンデはガエタノからカップを受け取るとじっと見つめる。何かを心配している様子だと察したガエタノはノンアルコールだと告げると、ヴェルトリンデの表情はぱっと明るくなり、一口含んだ。
「……どうかね。心の様子がわかりそうかね」
「……」
 グラスをじっと見つめたまま、ヴェルトリンデは小さく頷いた。それをみたガエタノは目を細めヴェルトリンデの頭を優しく撫でた。
「たまにはこういう時間も必要だ。頑張ることだけが仕えるということではないことだ。我輩たちはいつでも歓迎するから、落ち着きたいという気持ちが少しでも出てきたらまた来るといい」
「……」
 今の主に仕えてこの方、あまり休暇という休暇をとったことがなかった。主のためだといい自分を戒め、主のためだといい双剣を握り、主のためだといい腕を振るう。そんな生活をしてきてどのくらい経っただろうか……いつしか、自分の料理しか口にしていなかった。それも味見程度の量。全ては主のためと自分を戒め続けて自分を見失いかけていたとき、このスパークリングカクテルは笑いかけてくれた。
─ねぇ、そんな顔しないで。一緒に笑いましょ?
─ほらほら! こうやって……にぃいいって
─そうそう! じょーずじょーず! もっと笑って!
─あなたの笑顔、素敵よ!
 弾ける音がヴェルトリンデの耳に入り、爽やかな飲み口が喉を伝い心に染み渡る。心が潤うと自然と頬は緩み、何か張っていた気持ちがふっと解かれていくようだった。解けていくのがわかるとつうと涙が頬を伝い、嗚咽が溢れてくる。今まで主のためだと頑張ってきた気持ちが緩んだ証拠なのか、ヴェルトリンデは大きな声で泣き始めた。それを優しく抱き締めるガエタノはただ静かにヴェルトリンデの頭を撫でていた。
 落ち着いたのか、ヴェルトリンデは袖で涙を拭いガエタノに謝った。それを何のことかわからないと惚けるガエタノに小さく笑うと、恭しくお辞儀をし料理が並ぶテーブルへと歩み目を輝かせる。
「私は……これを貰ってもいいですか?」
「もちろんだ」
 リンゴとブドウ、更にはイチジクをたっぷりと使ったタルトを選ぶとガエタノはすかさず取り分けヴェルトリンデに手渡す。ずっしりと重量のあるタルトを受け取り、大きくカットされたフルーツが零れないように口へと運ぶとさっきまでの気難しい顔はどこへやら、とろけるような笑顔へと一瞬にして変わった。これは心が楽しんでいるのか美味しさのあまりとろけたのかヴェルトリンデにはわからなかった。
「あらヴェルトリンデ。いい笑顔じゃない。それ、そんなに美味しいの?」
「……!」
 無言で頷くヴェルトリンデに感化されたアイリアは、同じ物を貰い一口。たちまちヴェルトリンデと同じ顔になった。
「甘くて酸っぱくって……美味しいっ! ブドウが弾けるときがなんとも楽しいわ」
 声を弾ませ喜ぶアイリアにこくこくと頷くヴェルトリンデと、それを近目で見るミシェイリアスはこっそり同じ物を貰い、一口。一瞬にして顔が緩んだのは言うまでもない。それから三人はお互いのことを話したり、ダンスを踊ったり歌ったりと思い思いの時間を過ごした。ラデルはそんな楽しんでいる三人を見て、ガエタノを見やった。どうやらガエタノも同じ思いだったらしく目が合うとにっこりと笑い合った。
 ゆるりと時は流れ、三人は満ち足りた様子で温かい紅茶を飲んでいた。そんな中、ミシェイリアスはなにやら道具を取り出しちくちくと縫物をしていた。それは今、ここにいるヴェルトリンデとアイリアをイメージした新しいドレスを仕立てているのだった。もちろん、レディ・シトラスは関与していないので生命力を奪われるようなことはないので、その点はミシェイリアスは心置きなく縫物に専念ができた。
「この度は素敵なお話をありがとうございます。私からのお近づきの印に……どうぞ」
 完成したドレスをそれぞれ手渡し、早速広げる二人。シンプルでありながらどこか気品漂うドレスに二人は大喜びした。ラデルはすぐに試着室を用意し二人を案内した。二人が着替えている間、ガエタノは即興でドレスを仕立ててしまうことに驚いていた。ミシェイリアスはこれしか取り柄がないと呟くと、ガエタノは首を横に振りそれを否定した。
「誰でも女性をすぐに笑顔にできることはできないものだ。しかし、君はそれをすぐにできてしまう。それも君の取り柄ではないかと我輩は思うのだが……どうかな」
 実感がないからよくわからないと肩をすくめ、後片付けを始める。しかし、ガエタノの言葉を噛みしめていくうちに段々と納得している自分に気付き、ふっと笑う。片付けも終わりあとは二人が出てくるのを待つだけ。とそこへ、声を弾ませながら出てきた二人を見たガエタノ、ラデル、そして製作者であるミシェイリアスは息を飲んだ。
「これはこれは……なんとも素敵な装いです」
「ぬっふっふ……マドモアゼルたちが輝いている」
「……」
 自分が仕立てたとはいえ、ここまできれいに着こなすとは思っていなかったミシェイリアスの顔はほんのり赤みを帯びていた。
「……どう……かしら。きちんと着れているかしら」
「これは……中々に動きやすくていいですね。舞踏会に合いそうです」
 アイリアにはバラをイメージした真っ赤なドレス、ヴェルトリンデにはリコリスを思わせる力強い赤とシックな黒を組み合わせたドレスだった。サイズも調べなくとも目測で仕立てたとは思えない程着心地が良いと二人は声を合わせて言った。
「この笑顔を生み出したのは、紛れもなく君自身。もっと胸を張ってもいいのだよ」
 ぽんと背中を叩きつつ小声で励ましの言葉を送るガエタノに、ミシェイリアスは小さく頷く。
(これが……私の取り柄。主もこの笑顔が見たいからあんな嘘を……?)
 ミシェイリアスは小さく唸るも、考えたところで答えは思い浮かばないので今は考えないようにし、しばし二人の弾ける笑顔を見て「作ってよかった」と思うようにした。

「やはり帰ってしまうのかね」
「ええ……」
「十分お休みを頂きました。ありがとうございます」
「大事なことを教えていただいたので、それを活かしてみたいと思いますので……」
 残念そうに顔を曇らせるガエタノだったが、三人の意見は変わらずだった。唸っても仕方がないと思ったガエタノは玄関ホールまで三人を見送ることにした。来た時よりも笑顔が増えた三人を見たガエタノは心の底から温かいものを感じていた。
(やはり……こういった催しは大切にしたいものだ)
 玄関の扉を開けると、まるで水面のような壁が現れ時折水滴が落ちたときのような波紋が広がる。これを潜れば元の世界へと帰ることが可能だとガエタノが説明している途中、ラデルが現れてそれぞれにお土産のお菓子、それとミシェイリアスにはキッシュのレシピ、アイリアには気になっていた絵画を、更に全員に小さな手鏡をそれぞれ渡した。元々何も貰う気などなかったヴェルトリンデは狼狽え、これは一体何かと問うと、ガエタノは嬉しそう笑った。
「さっきお話した通りだ。何か思いつめたことやすっきりした時はその手鏡を覗き込むといい。一瞬でここに案内できるよう願いを込めておいた。我輩たちはいつでも誰でも歓迎する。同業者として……ね。ゆっくり寛ぐ時間も従者にも必要ということだ」
 ヴェルトリンデは手鏡を大事そうに手で包むと、メイドらしくドレスの両端を摘まみながらお辞儀をして水面を潜った。それに続くようにアイリアとミシェイリアスも潜り、玄関ホールは静寂に包まれた。
「……行ってしまったな」
「ええ。とてもよいお客人でした。またお話を伺いたいものです」
「我輩も同じことを考えていたよ。さて、後片付けを始めるとするかね」
 ガエタノが指を鳴らすと、屋敷全体が歪み闇の彼方へと吸い込まれていった。屋敷があった場所はもともと何もなかったかのような、僻地へと変わった。
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